三十一 志七郎、死を覚悟し、一騎打ちに決着を着ける事
二十五 を修正しました。鞐は留め具であり、甲冑の肩部分の防具は大袖というのが正しいそうです。誤解を生む文章となっていた事申し訳有りませんでした。
右手側寄りに刃を垂直に立て左足を心持ち前へと出した、所謂『八相の構え』を取りじわりじわりと静かに間合いを調整する。
相手は右足を引き身体を斜に構えその身の陰に刀を隠す様な『脇構え』だ。
日本の剣術では『正眼』『上段』『下段』『八相』『脇』の5つの構えが陰陽五行にそれぞれ対応していると考えられている。
俺の八相――曾祖父さんは薩摩示現流の流れを汲んでいるらしく、蜻蛉と呼んでいた――は木行の構えとされており、相手の脇構えは金行であり、金剋木という事で俺の方が不利な構えということになる。
体格も相手の方が大きく、刀はハッキリとは見えないが恐らくは向こうのほうが長いだろう、となれば間合いに置いて相手の方が広いので先手は向こうに譲ることになると思う。
だが、攻撃に偏った構えである八相に対し、脇構えは元来カウンター重視の構えでもある。
実際に先に動くのはどちらに成るかは不鮮明だ、向こうが此方の動きを待つ可能性もある。
双方がすり足で付かず離れずじりじりと円を描くように動いていく。
一足一刀の間合いというにはお互いまだ遠いが、全身全霊を集中し相手の一挙手一投足に目を配る。
試合や興行であれば『にらめっこしてんじゃねぇ』等と野次が飛んで居ることだろうが、殆ど動きらしい動きも無いのに体力が削られているのが実感として理解できる、だがそれでも不用意に動くことは出来ない。
下手な場所に一撃でも貰えばそれだけでも致命傷となり得るのだ、先程まで小鬼達を相手に立ち回っていた事自体があまりにも無謀だったようにも思える。
此方はかなり上質な甲冑で、相手は鎧を着ていると言っても粗末な胴丸鎧、防具の質ならばかなり有利、場合によっては鎧で攻撃を受け止める事も視野に入れても良いかもしれない。
八相構えの性質通り先手を打って一刀で切り捨てるか……そう見せかけて相手の切り返しを誘い、それを躱してさらに切り返しを合わせるか……。
相手の動きに集中しているはずなのに、様々な事が頭をよぎる。
いつまでもこうしていては埒が明かない、既にかなり体力を消耗している分、長引けば此方が不利になる。
ここは一気に間合いを詰めて先手を取る! そう決めたその瞬間だった。
まだまだ遠いと思っていた間合いが、大鬼の爆発的な踏み込みにより一瞬で潰れたのだ。
弾け飛び舞い上がる尋常ではない土煙から、それが氣功を用いた物だと判断が付いたのは上体を大きく仰け反らせ、下から首へと迫る刃を紙一重で回避した後だった。
もう少し大鬼の剣技が巧みであったならば、避けるまもなく首を落とされていただろう、相手の動向から意識を逸らしていても同じだ。
攻めると決め、その動きに注意を払った瞬間だったからこそ躱す事ができた。
後方へと倒れこみながら、追撃を避けるために身体を横に転がしつつ、回りの様子を確認しそこまでを判断する。
どうやら先程の一撃で兜の緒を斬られたらしく、倒れた拍子に兜が落ちた。
急ぎ立ち上がるが、追撃を仕掛けてくる様子は無い。
「ホウ、今ノヲ躱スカ。流石ハアレ程ノ豪傑ガソノ生命ヲ預ケルダケノ事ハ有ル……」
正直あの一撃を回避できたのは殆どまぐれに近い、次に同じ攻撃が来たとしても同様に避けられるかどうかは怪しいところである。
正直速さが違いすぎる。
いや、恐らくは身体能力は相手の方が上だが、技量はこちらの方が上、それらだけで比べるのであれば同等程度だろう。
だがそれに氣功というファクターを加えるとその差は歴然となる。
今の一合撃までは抑えていたのだろう、全身から吹き出す氣に大鬼の姿が揺らいで見える。
こうして正面からそれも殺意の篭った氣を向けられると、全身から嫌な汗が吹き出すのを感じる。
前世での死に様は殆ど不意打ちであり死ぬという実感は全くなく、当然それに対する恐怖もまた感じることは無かった。
だが今は違う、氣功という圧倒的な力を持つ相手とそこから感じられる重圧は、死を意識させそれに対する恐怖故か、身体が強張り思うように動かない。
そんな俺の様子を見てか大鬼が構えを変える、脇に構えた刀を振り上げ頭上で固定する、上段の構えである。
先ほどまでの万全な装備であれば兎も角、兜を落とした今では頭部は最大の急所と言える。
次の一合撃で斬って捨てる、そう言わんばかりの攻撃的な構えに俺の緊張は更に高まり、構えた刀を固定しきれず細かく震え出すのが感じられた。
「どうした、志七郎! 貴様の覚悟はその程度か、啖呵を切ってまで縁も縁も無い者を助けここで犬死にするか! 貴様がその鬼を討たねば、いつか誰かが其奴に討たれる事になるぞ!」
斬られてしまえば楽になれる、そんな思いが脳裏をちらついた瞬間、不意に怒声が響き渡った。
「貴様は今、己の命だけでなくそれがしの命も、そして後ろに居るであろうあの子供達の命をも背負っていると心得よ!」
……そうだ、俺は何故小鬼を殺めた、それはあの傷ついた子供達を守る為だ。
ここで俺が諦め殺されれば、たとえ今は鬼達が引いたとしても、兄上の言う通りいつかはまた誰かが殺されるだろう。
他者の命を背負う……それはあまりにも重い、重い事の様に思えたが、同時に俺の身体を縛る緊張を削り取とるノミの様に作用した。
そしてその重圧が少しずつ失われていくと、胸の奥から何やら熱い物が徐々に全身へと満ちていく様に思えた。
いや、これは……気のせいなどでは無い、身体に熱が広がり、それが全身を満たし、溢れだす。
「は、ははは! これが、これが氣功か!」
身体中から立ち上る湯気の様なそれは、身体能力だけでなく集中力や反応速度をも高める様で、今まで気付く事が出来なかった相手の小さな踏み足にさえ反応できる。
「マサカ氣ヲ使ウコトモ出来ヌ小僧ニ、一騎打チヲサセルトハアノ御仁鬼ヨリモ鬼ヤモ知レヌ。ダガ、タトエ此処デ氣ニ目覚メヨウトモ、コノ勝負ハ我ガ頂ク」
苦笑……苦いものが混ざっては居たが大鬼は明らかに笑った、そして今までのような小さな動きではなく、大きく右足を踏み込み送り足に溜めを作る。
その動きには次の一合撃で決める、と言う気迫が見て取れた、そしてそれは俺自身も同じだ。
緊張も、身体を駆け巡る未知の力も、最大限に高まった……そう思えたのは恐らくほぼ同時だったのだろう。
「チェストー!」
「ガァァァァ!」
俺達は寸分違わぬタイミングで踏み込み、そして刀を振りぬいた。
前世ではありえない、超高速の踏み込みに己の動きも相手の動きもが認識の範囲を超える。
恐らくは、端から見れば二人の影が一閃の光となり交差したように見えただろう。
一瞬遅れて、鋼を打ち合わせる甲高い音が響き渡る。
「ミ、見事……也」
背後でドサリと倒れる音がした。
袈裟に振り下ろした俺の刀が一瞬早く大鬼の鎧を斬り裂割いたのだ。
結果握りこむ力が失われた相手の刀は俺の頭を外れ、大袖に当たり高々と舞い上がっていた。
氣功による差が無くなった事で、再び互角の勝負であったが勝利は俺の頭上に輝いていた。
「我ガ御首ヲ取リ誉レトセヨ。我ガオ主ノ様ナ前途有ル武士ト勝負セシ事、アノ世ノ果テデモ誇レルヨウ精進セシム事ヲ願ウ」
最期に残った力を振り絞りわざわざ仰向けに身体を返し、大鬼はそう言いながら首を晒す。
見れば鎧諸共胸が深く切り割かれており、それはもう助かる傷には見えなかった。
未だに殺すということ自体に慣れた訳ではない、だが武士の情けではないがこれ以上苦しめる事無くとどめを刺すことに迷いは無かった。
「緑鬼王、貴方と戦いそして学んだ事、決して忘れない」
俺のその言葉に、大鬼は満足そうな笑みを浮かべ、そして逝った。
そして天高くどこまでも届くように、全身の氣を高めそれを身体から漏らすこと無く口を開いた。
「敵将! 大鬼、大将。真山、緑鬼王。猪山藩主、猪河四十郎が七子、志七郎が討ち取ったり!!」




