三百二十四 志七郎、危機に陥り試練突破する事
俺の身体だけではない、身体に降り掛かった砂、そしてその上に存在する空気の重さすらも、崇喪の妖力に呼応し重さを増して行く。
だが胸の奥から溢れ出す……いや、自らの意思で絞り出すレベルの氣を持ってすれば、耐えられない程度の物では無い。
「そろそろ十倍超えたってぇのに……なんやまぁ生意気な目ぇしたまんまやないか。そら糞温いこの世界の小僧っ子とはちゃうとは聞いとったけど……ほんま萎えるわー。こら本気で虐めたらんと……ワテの気がすまへんよなぁ!」
獰猛な獣の笑みから呆れを含んだ物へと表情を変え、それから再び笑み――獲物を狙う物という点では共通しているが、完全に嗜虐趣味の変質者のソレだ――を浮かべながらそう言い放つ。
言葉の通りそれまで放たれていたのとは、比べ物に成らぬ濃密な妖気がその身から立ち昇りそれに比例して重圧が一層強さを増すが、俺は歯を食いしばり抗い続ける。
けれどもそれは、今の俺に取って決して困難な物では無い。
徹島で猫柳様の代わりに『島』を押さえ込んだのに比べれば、その差は歴然『若手の四馬鹿』と一郎翁を比べる様な物だ。
「十五……十六……十七……どないや? 人間が耐えられる範疇はとうに超えとるで? 早う諦めた方が身のためなんやないか……って、その目を見りゃ諦める気は無さそうやなぁ……けったくそ悪いわぁ……ほなら……次は……こうや!」
余裕が有るとまでは言わずとも、心を折られるには程遠い、俺の様子に苛立ちを顕にした崇喪は、大きく息を吸い込むと……真っ赤な炎を吹き付ける。
その温度はきっと人を……生き物を焼き殺すのに十分な熱量を秘めた物だっただろう、だがそれは俺の髪の毛一本焦がす事は無い。
流石に生身で受けたならば幾ら氣の恩恵が有るとは言え只では済まなかった筈だ。
しかしこの身を包む『亀甲鎧四式』は『火』『水』『風』『土』それら単独の妖術を受け付ける事は無い。
それは属性の法則が違う異世界で有っても変わらない様で、完全に熱が遮断出来た訳では無いが、それでもサウナに入っている程度の熱さでしか無かった。
とは言え、氣さえ抜かなければ何時まででも耐えられそうな程度の重圧は兎も角、この熱は不味い。
即座にどうこう成る様な事は無いが、幾らサウナが好きな者でも長時間そこに居れば体力を削られる。
四属性を無効化すると言っても、飽く迄それは直接的に傷つかないと言うだけで、『水』の中で呼吸が出来る様に成る訳でも無ければ、『風』で飛ばされる事が無く成る訳でも、『土』の重さに潰されなく成る訳でも無い。
当然、長い事『火』の中に居れば、熱中症を起こしかねないだろう。
特に『熱』は火と土の複合属性でも有るが故に、他よりもダメージに繋がり易いと言える。
その場から飛び退き火炎の吐息から逃れ様にも、頭の上から押さえ付ける様に伸し掛かる重圧がそれを許さない、氣を足に集め様にも何処か一部でも氣が抜ければ其処が潰され兼ねないのだ。
一度に出来ぬ成らば少しずつでも後退るにしても、異常重力の中では足元に纏わり付く砂は、鉛の様に重く邪魔をする。
どうにか逃れる手段は無いかと考えを巡らせるが、既に全身に纏う氣は今の俺に取っての限界近く、氣だけでどうにかするには遅きに失していた。
「そうや……ようやっとワテが見たかった目に成って来たわ……」
内心の焦りが目に出ていたのだろう、笑みを深めながら炎を吐くのを中断し、そんな言葉を口にした後、
「けどな……ワテの方がもう限界やってん……。いやぁもう、ほんましんどいわぁ……」
急に真顔に成ってから、風船の様に丸かった彼の身体から空気が抜ける様な音を響かせ萎んでいき、遠回しながら合格の言葉を告げたのだ。
そして人の掌に収まる程に潰れた崇喪が、浜から吹き付ける風に飛ばされたのを、純白の猫又が受け止め、
「ふん、言うだけの能力は有るようだが、心の方はどんなもんかねぇ? 俺は『婚活』のThe・Ξだ。俺が示す試練を見事突破する事が出来るかな?」
不敵な笑みを浮かべ、そう言い放つのだった。
「あら……可愛らしい坊や、おねぇさんと良い事しましょ?」
「ねぇ、あたしとお医者さんごっこ……しよ?」
「日焼けしちゃったかなぁ……? 赤くなって無い?」
「えー? そんな事よりお風呂行きましょう? 背中流して、ア・ゲ・ル」
前世の俺と同年代と思わしき艶めかしい黒髪から、今の俺と同じ位に見える幼い金髪ツインテールの少女――と言うより幼女――まで、幅広い属性の女性が媚びた視線を此方へと向け、甘く囁く様な声で呼び掛けて来る。
水着に湯浴み着、Tシャツ、Yシャツ、中には殆ど全裸に等しい様な際どい紐? らしきものしか纏わぬ者も居るが、際どいながらも見えては行けない部分だけは、皆確実に死守していた。
「ふっふっふっ! これぞ我が秘術! 『後宮の術』也! 日々様々な資料を読み研究し尽くした、この雄の本能に訴えかけるこの術! そう簡単に逃れられはしない! ああ、こんな恐ろしい術を編み出した自分の才能が……怖い!」
丸で頭の悪いお色気系少年漫画の見開きページの様なそんな絵面を晒しながら、勝ち誇った様に胸を張ってそう言い放つThe・Ξの姿に俺は失笑を禁じ得なかった。
てか『資料』って何だよ、どう考えてもエロ本かエロ漫画の類じゃねぇか? しかも大事な部分が全く晒されていない所を見るに無修正の類を目にした事の無い、比較的純情な中、高校生男子程度の知識しか無いのでは無かろうか?
と、言うかこの変態猫又……自分の術に興奮してやがるのか微妙に腰が引けている。
向こうなら、人と猫又が結ばれると言う事は決して珍しい話では無いのだが、少なくとも妖怪の存在が秘匿された此方の世界では極めてレアケースの筈だ。
愛し愛された結果、結ばれる事まで否定する積もりは毛頭無いが、単純な性欲の相手として完全な異種族に劣情を催すのは、変態性欲に分類されるのは間違いない。
猫耳や犬耳と言った動物属性に萌えを感じる者が居る事位は知っているが、少なくとも俺は全身毛皮で覆われた女性に性欲を持て余す様な事は前世でも無かった。
この光景を俺以外に目にしている虎婆や崇喪も、侮蔑の眼差しを彼に向けている辺り、猫又に取っても毛皮の無い人間に欲情するのは変質的な扱いなのだろう。
兎角、もしかしたらポン吉当たりが相手だった成らば、其処の金髪ツインテール白スク水(微透け)の幼女辺りにどストライクを撃ち抜かれ、不覚を取る事も有り得るだろうが、残念ながら未だ幼いこの体は、それらをまともに見た所で碌に反応を示す様な事も無い。
前世の俺は、数えるのも馬鹿らしく成る程の色仕掛けを潜り抜けた『歴戦の魔法使い』で有る、はっきり言って相手が悪かったとしか言い様が無いだろう。
うん……コレはクリアって事で良いんだろうな。
声には出さずそう判断しただ一つ溜息を付いた俺は、一足飛びに肌色の肉林を飛び抜け、一人身悶えて居る性倒錯者目掛けて、足を全力で蹴り上げた。
「幾ら歳経た妖怪とは言え、猫が人間に欲情してるんじゃねぇ!」
思わずそんな言葉が溢れるが、器用に両手の親指、人差し指、小指を立てたまま、回転しつつ天高く飛んで行き、そろそろ日が落ち暗くなりは始めた空に、一番星の光を放ち消えて行く。
いつの間にやら姿を現していた、この島の猫又達がみな揃って親指を立て俺に対して祝福の笑みを浮かべていたのだから、多分俺は間違えた事はしていないのだろう……うん。




