三百二十三 志七郎、島を渡り試練を受ける事
「うにゃにゃにゃ! そいにゃぁぁああ!」
続け様に繰り出される足元への蹴り、ソレは人の繰り出す物とは違い、只の打撃では無く触れれば斬れる鋭い爪を用いた斬撃だ。
斬撃で有る以上芯に響く事も無いだろう、多少のダメージを覚悟で脛当ての厚い所で受け止める、と言う選択肢も有り得るが、其処に篭められた妖力に妙な副次効果が無いとも限らない。
故に少し大き目の足捌きで、掠る事も無い様躱し続ける。
尋常な人間成らば威力の有る蹴りを繰り出そうと思えばどうしても軸足に隙が出来る、かと言って飛び上がってしまえば空中で体勢を大きく変える事は出来ず、一連の技を捌き切れば大きな隙を晒し、此方に反撃の緒を与える事に成るだろう。
けれども相手はそもそも人間とは身体の構造自体が全く異なる妖怪で有り、必要に応じてその身を変じる変化の使い手で有る、文字通り変幻自在に繰り出される連続蹴りは時に骨格すら無視した形で飛んで来る。
はっきり言って氣に依る意識加速と身体強化の練度があと少しでも足りなければ、この猛攻を躱し続ける事は出来ないだろう。
せめて手にしているのが木刀では無く本来の得物ならば、受け流す事も選択肢に入るのだが、コレでは諸共に切り裂かれるのがオチだ。
しかしある種のハンディキャップマッチとは言え、こうして攻められ続けるだけでは合格点を得る事は出来ない。
そろそろ腹を決めて此方から仕掛け様かと、思ったその時で有る。
「コレで終わりニャ! 紅蓮! 虎昇拳!」
下から俺の顎を目掛け、炎を纏った肉球が擦り上げる様に打ち出された。
今まで執拗に繰り返された足元への連撃は、この一撃を打ち込む為の布石だったのだろう。
だが流石に今回はソレが余りにも露骨過ぎた。
いくら何でも勝負が始まってから此処まで八割以上が足元への攻撃な上に、残り二割弱も腹や胸辺りの高さまでで、一発足りとも頭部を狙った攻撃は無い。
此処まで極端に偏った仕掛けならば、それ以外に本命が有る事は馬鹿で無ければ容易に想像出来るだろう。
ボクシングで言う所のアッパーカットに近い形で迫るその一撃を、俺は後方へと上体を逸らす所謂スウェーバックで回避する。
と、決める心算で放たれた一撃は空を切り、全身が伸び切った状態で隙を晒す相手の姿が有り、横薙ぎに振り抜いた木刀は完全にその脇腹を捉えていた。
「うにゃ「うにゃ「うにゃぁぁああ!」
木霊の様に叫び声を響かせながら弾け飛んでいく、人の子供と同サイズの赤毛猫。
「勝負有り! 其処まで!」
その身が地に落ちると同時に、勝負の行方を見守っていたカリスマ旅猫又『沙蘭』がそう宣言する。
「『美食家』が敗れたか……」
と、沙蘭の後ろ暗がりからそんな声が聞こえてくる。
「ククク……奴は四天王の中でも最弱……」
姿を見せようともせず、そんな言葉を吐く彼らは、
「人間如きに負けるとは猫又の面汚しよ……次はこの、『転職』の虎婆相手じゃ!」
六龍島の四天王……俺が元の世界へと帰る為の、最後の試練だった。
フェリーを乗り継ぎ六龍島へと付いたのは、そろそろ日も傾き掛けた頃であった。
港で船から車を下ろすと、直ぐ側の民宿とも旅館とも付かない小さな宿にチェックインする。
然程大きくない島内に幾つもの温泉が湧き出すこの島は、知る人ぞ知る湯治場として『滞在』する者は決して少なく無いのだと、部屋に案内してくれた仲居の女性がそう話してくれた。
猫柳様の話では、人間の住人は居ないと言う事だったが、それも随分と前の話なのだろうと、そう思ったのは多分俺達の中では芝右衛門だけだ。
最低限の氣を常時纏った俺は勿論、日常的に妖怪達と関わるポン吉も、そして同族で有る小松も、彼女が人では無く、人に化けた猫で有る事を一目で見抜いて居た。
その彼女に猫柳様の手紙を示し取次を頼むと、あっという間に件の旅猫又の元へと案内されたのだ。
島の少し奥まった所に有る野風呂とでも称するのが相応しかろう露天風呂に浸かって居た彼は、呼び掛けに応じて風呂から上がると、猫柳様からの手紙を一読し、
「人の子を連れての界渡り、確かに儂成らば無理たぁ言わニャーが……めちゃんこえらいこっちゃ変わらニャーわ。もんだで、おミャーを試験させて貰うニャ」
そう言い放ち、冒頭の闘いへと繋がり、そしてたった今、第一の試練をクリアしたと言う訳で有る。
とは言え、その試練はただ武力を見せるだけの物では無いらしく、第一の試練が四天王の一人『美食家猫又』赫虎との立会だったと言うだけだ。
「さっきの話じゃぁ、お前さん『世界樹の盆栽』まで行くんだろう? 此方から送るのは『長靴の国』までだって話だけどサ。あたし等の出す試練すら越えれないなら、どっちにせよ自殺と変わりゃしない。あたしゃ子供が死ぬのは嫌いでね……」
そう言いながら姿を現した虎婆と名乗った猫又は、白と黒の対比も鮮やかな白虎の様な姿をしていた。
「あたしの出す試練は……様は鬼ごっこさね。この森を抜けてどんなルートを通ってでも良いから海辺まで逃げ切りゃあんたの勝ち、あたしに追いつかれたなら大人しくこの世界に骨を埋めるんだね……じゃぁ百数えたら追いかけるよ、いーち! にーい!……」
大きな声でそう数え始めた彼女の様子に、一瞬躊躇うも俺は全力で来た道を振り返り、氣を弾けさせ駆け出すのだった。
「あのー。本当にコレでクリアで良いんですか?」
最短距離で砂浜へと駆け下りた俺は、暫し遅れて姿を現した虎婆に思わずそう問い返す。
ぶっちゃけ今の俺が全力を出せば、地形なぞ気にする事も無く氣で宙を蹴り続け、殆ど一直線に跳ぶ事が出来る。
それ故、彼女が百数え終える前に浜辺へと付いてしまったのだ。
余りにも呆気なさ過ぎるこの展開に、寧ろ俺の方が驚きを隠せない。
「いやぁ……おばちゃんビックリだわよ、真逆、七つの子供が此処までの氣見せるたぁねぇ……。やっぱりこの世界の生き物とはモノが違うわね。あたしの見積もりが甘かった……うん、合格だよ」
その驚きは彼女も同様だったらしく、その口振りは驚きと呆れの入り混じった複雑そうな物だった。
「んじゃぁ、次はアテが相手でんなー。アテは崇喪『領域』の崇喪や。アテがおまはんに出す試練は……ちっと地獄を見て貰うだけの物や。精々死なんといてなー」
言いながら降ってきたのは丸々と肥えた、と言うか最早本当に猫なのかも怪しい、黒い毛玉としか言いようの無い不思議な生物だった。
着地と共に大量の砂が埃の様に舞い上がるがそれも一瞬の事、丸で数倍速で再生した動画を見ているかの様に、砂は地面へと超高速で落ちていく。
「グッ……がはっ……!?」
そして俺の回りに舞っていた砂にもソレが及んだ時、全身に襲い掛かった奇妙な重圧に、肺が絞られ喉から呻きが漏れた。
「……まだ五倍や、この程度耐えきれへんのやったら、界渡りなんて到底ムリな話やで」
だがそれは飽く迄も氣が抜けていた瞬間に受けたからであり、その言葉が示しているであろう五倍の重力程度ならば、歯を食いしばり下腹部に力を入れれば只人でも耐える事が不可能では無い範疇だ。
ましてやしっかりと氣を纏えばこの程度を耐えられない筈が無い。
真っ直ぐに崇喪の感情の映らぬ虚ろな瞳を見つめれば……明らかな歓喜の色へと染まっていく。
「ええ目ぇしとるやないの、ワテはそ~言う希望に満ちた反抗的な目が歪んでいくのを見るんが好きなんや……簡単に壊れるんやないでー。そら六倍……七倍……どんどん行くでー!」
丸っこいその身体に似合わぬ、肉食動物その物の笑みを浮かべそう言う崇喪に、俺は只真っ直ぐ彼の目を見返し、小さく一つだけ頷き答えを返したのだった。




