三百十八 三狸、島の名物を口にする事
見渡す限り猫ねこネコCat……一時間少々の船旅を終え徹島に着くと、其処は数え切れ無い程の猫が闊歩する、噂に違わぬ猫の島だった。
人口五百に少々届かぬ程度と離島としてはそこそこ多いと言える、その大半は漁を生業として居り、良い漁場に恵まれたと言うだけでなく、雲丹や鮑、牡蠣等の養殖も盛んに行われている。
そしてそれらの漁場を目当てに集まる釣り客を当て込んだ釣り船屋や民宿といった観光業で収入を得る者も決して少なくは無い。
近年は人の数を軽く超える猫を目当てに来る観光客も増えているらしく、島の経済の行先はまぁまぁ明るいと言える状態らしい。
車両毎乗り入れる事が出来るフェリー航路が敷かれている事でも解る通り、徒歩で回り切るには少々広過ぎると言える。
とは言え、島内にはバスも走っている様だし、フェリーを降りる観光客目当てだろうタクシーも何台か止まって居り、わざわざ車を持ち込む者は俺達だけの様だった。
「いゃぁ……、他に車の客が居なくてよかったな、ほんとに……」
俺は船着き場から離れていくフェリーを見送りながらそう呟いた。
それはフェリーから降りる際に、想像以上に手間取ったからだ。
「真逆、船酔いで真っ直ぐ走れないとは……ね」
引きつった笑みを浮かべてそう追従する芝右衛門。
けれども酔ってダウンしたのは芝右衛門でも無ければポン吉でも無く、
「……此奴、船に弱かったんだなぁ。俺も知らなかったわ。其処の駐車場で休ませておくしかねぇなこりゃ」
……ポン吉の愛車だった。
「まぁまだ昼にも成ってないしそう慌てる事も無いだろう。神社までは歩いても一時間も掛からないみたいだし、ゆっくり歩いていけば良いさ」
軽く肩を竦め俺がそう言うと、
「取り敢えず、其処らの猫を捕まえて話を通して来るから、お前さん達は其処らの店で何か美味い物でも仕入れて置いておくれよ」
芝右衛門が手にした鞄から小松が飛び出した。
此処までの道中一言も言葉を発する事無く、ただ黙って鞄の中に潜んで居た彼女の存在を、連れてきた芝右衛門は勿論、一緒に後部座席に居たポン吉も気づいて居た様で、驚いた様子を見せたのは俺だけだ。
「くっくっくっ。小松の言葉に甘えてよ、ほら其処の土産物屋でも覗こうぜ、牡蠣ソフトっての一寸興味あるわ」
悪戯の成功した悪餓鬼の顔で笑いながら、そう言うポン吉を軽く睨みつけ、ふらついた様子で走っていく小松の姿を見送るのだった。
「牡蠣アイス……雲丹アイス……鮑アイス……鯖アイスって……なんでもアイスにすりゃ良いってもんじゃねぇぞ……」
「此方の三毛猫アイスってのは、流石に材料が三毛猫って訳じゃないよね?」
「……無難な味のアイスが一個も無いぞ、これどれを食うにしても勇気が居るラインナップだな」
店内の一角を占める開放型冷凍庫に並ぶカップアイスを目にし、俺達は思わず突っ込むのを止める事が出来なかった。
流石は観光地と言う事か、一寸他所では見る事の出来ない品揃えだったのだ。
牡蠣や雲丹と言った海産物を使ったアイスは、漁業を主産業とする土地の土産物としては決して驚くべき物とまでは言えないだろう。
だが其処に混ざって三毛猫アイスや鯖アイス……では無い鯖虎アイス何て猫の名前の付いたアイスが有れば、その材料と言うか味に不安を覚えるのは仕様が無い事かも知れない。
釣り客は兎も角、そうでない観光客は『猫の島』を求めて此処に来るのだから当然猫好きであろう、そんな彼等に猫を食わせるなんて事のはブラックジョーク過ぎる。
土産物なのだからどこでも買える様な一般的な物が無いのは当然と言えるのだろうか?
「……俺ぁ、牡蠣アイスにするわ」
前言通りと言う事か、それとも他の怪しい味に恐れを成したのか、早々に自分の分を選ぶポン吉、
「あ、じゃぁ俺は……雲丹にしようかな?」
視線を彷徨わせ、それからあからさまに日和った選択をする芝右衛門、
「そう来たら俺はコレを取るしか無いじゃないか……」
学生時代から何かと要領良く立ち回るポン吉に、穏当な選択を好む芝右衛門、自分から積極的にという訳では無いが冒険するのは何時も俺だった。
そんな昔と変わらぬやり取りに懐かしさを覚えながら、俺は『三毛猫』アイスに手を伸ばした。
その他にも幾つか土産物を買い込んで車に放り込み、アイスを食いながら小松を待つ。
「お……ミルキィな牡蠣が思ったよりはアイスに合うな、けど次に買う事ぁ無いだろうなぁ。不味くは無いが美味くもねぇや」
一口貰ってみれば、細かく刻んだ牡蠣の身が入っている様で磯臭い粒々が舌に当たり、ポン吉の言う通り好んで食べる様な物では無いだろう……
「此方は甘くないのか、うん……冷たい塩雲丹って感じで、アイスだと思わなけりゃ美味しいわ。これ酒とも合いそうだな。でも……瓶詰めの方が良いかな?」
芝右衛門が口にしている雲丹アイスはその言葉の通り、よく冷えた蕩けかけた雲丹その物と言った感じで、わざわざアイスで食わなくても雲丹の瓶詰めなんかを買えば良い様に思う。
そして俺が手にした三毛猫アイスは白茶黒の三色が完全に混ざり合う事無く一つのカップに押し込まれている、そんなアイスだ。
味を確かめるため、それぞれの色一つ一つをそれぞれ別に口にしてみれば、それぞれの味に思い当たる物が有った。
「三毛は……見た目の事なんだな。普通にバニラとチョコと……胡麻?」
バニラの白、チョコの茶色はまぁ見たままの物だ、黒胡麻のアイスは前世に食べた事は有るが此処まで真っ黒では無くせいぜい灰色だった記憶が有る。
疑問に思いながらカップの側面の材料表示を見てみれば『竹炭』と明記されている、食べた感じソレが味に影響を与えている様子は無く、完全に着色料の類として使わている様だ。
『ナポリタン』と呼ばれる三色のアイス……バニラ・チョコ・ストロベリーの組み合わせの物は何度か食べた事は有るが……
コレは完全に猫の島に引っ掛けたネタアイスの範疇だろう。
「うん、土産物として話のタネにゃぁ成りそうだが……」
「確かに、お土産でウケ狙いには良いけれど……」
「ハズレを引くのも、まぁ観光の内……かな?」
三つのアイスを口にした俺達は声を揃えて
「「「名物に旨い物無し」」」
と言う格言を吐き出したのだった。
口直しという訳では無いが、一緒に買った鮪ジャーキーを齧りながら待つ事暫し。
そろそろ戻って来ない小松を心配し始めた頃だった。
「失礼、今楠寺の狢小路様とその御一行で間違い御座いませんか?」
と、フェリー乗り場の駐車場へと入って来た軽トラックから降りてきた、緋袴の巫女装束を纏った、ただし巫女さんと言うには少々……いやかなりお年を召した女性が俺達に声を掛けてきた。
「え、ええ。失礼ながらそちらさんは猫神神社の?」
ポン吉が戸惑う様な様子を見せているのは、彼女の特異に見える存在故……と言う事では無いだろう。
「はい、小松殿からお話を伺いまして……御神体の元に御案内致します。表の御社とは少々外れた場所へ行きますから、船酔いで辛いかも知れませんがちゃんと付いてきて下さいね」
袂で口元を隠し上品に笑ってそう答えを返したが、ポン吉の反応を見透かす様に目だけは笑って居ない。
「あ、はい」
別段威圧されたと言う訳では無いが、返答を返せずに居るポン吉に代わり芝右衛門がそう応えると、踵を返し再びトラックへと戻って行く。
「巫女ミコ老婆とか誰得だよ……」
隙を見せる事無く遠ざかっていく、只者ではない後ろ姿に届かぬ程度の小さな声で呟いたポン吉の声は、絶え間なく響き渡る波音に飲み込まれ消えて行くのだった。




