三百十七 三狸、海を目指す事
猫の神が住む神社が有ると言う徹島へ行くには、対岸に有る最寄りの漁村……では無く、千戸玉市内の港からフェリーに乗る必要が有るそうで、不確かな制限時間にもどかしく思いながらも、取り敢えず一眠りして朝を待つ事にした。
一寸目を閉じただけで、どれだけの残り時間が減るか解らないこの状況でも、寝ようと思えば眠る事が出来るのは、前世に幾つも経験した切迫した事件の数々のお陰と言えるだろう。
都内で起きた暴力団の抗争が原因と思われる連続殺人事件の捜査や、今思えば妖怪の類の仕業であろうと思い至る原因不明の怪事件の数々……。
警部に昇進し四課長と成るまで、幾度と無く合同捜査本部に出向したが、その期間中いつ何時更なる惨劇が起こるか解らず、かと言ってその間ずっと気を張り、不眠不休を続けると言うのは現実的な話では無い。
不慣れな若い頃には意識的に休む事が出来ず、力尽きて眠りに付くのを待つしか出来ないなんて事も有ったが、慣れれば休むべき時に休む事はそう難しい事では無く成っていた。
その経験は今生でも生きており、眠ると意識して目を閉じ、再び開ければ……。
「おーい、起きてるかー? 朝飯食ったら出かけるぞー」
予定通りの時間だったようで、少々疲れた様な表情を浮かべそう言うポン吉の姿が有った。
「おはよう。どうしたんだ顔色が悪いぞ? 何か有ったか?」
無理をさせて居るのは間違い無く自分だろう、そう思いながら問い掛ける。
「ふあぁぁ……。お前さんの鎧を車に積むのに苦労してたんだよ。親父の用意した札だけじゃ妖気を封じ切れねぇもんだから、知り合いの神社やら教会やらに色々と取りに行ってきたんだわ」
どうやら一睡もして居ないらしく、眠そうに欠伸をしながら返って来た答えに拠れば、あの鎧櫃は本仁和尚が用意した物で、その櫃事体が桃の木と銀で誂えた妖気を封じる為の物で、御札と合わせれば余程の大妖怪でも封印出来る代物だと言う。
だがこの世界ではあり得ない程の妖気の塊とも言える俺の装備はそれでも封じ切れず、そのまま持ち出せば漏れ出す妖気に中てられる者が、どれ程出るかも解らない。
他人に被害を出すのも困り事では有るが、それ以上に厄介なのは、中途半端に妖気を振りまきながら移動する事で、縄張りを荒らされたと感じた者や、喰らう事で力を増そうとする者等、どれ程の妖怪に襲われるか想像も付かないと言う事らしい。
そこで法則の違う封印を重ねて行う事で、漏れ出す妖気を許容量と言える程度まで抑える事にしたのだそうだ。
朝食を取りながらその話を聞き、食事を終えた後、駐車場に止まった車に向かう。
何度か見た黒塗りのバン……の姿をした妖怪自動車の中には、町外れの教会から貰ってきた西洋数珠に、山向こうの神社から貰ってきた注連縄が巻かれ、更に無数の御札がベタベタと貼られた、あからさまに胡散臭い箱が有った。
眼に氣を篭めてよく見れば、確かに箱から漏れ出す妖気は極めて薄く、妖怪自動車が放つ妖気に十分紛れる程度に思える。
「おっす、お待たせ。俺が運転するからポン吉は少し休みなよ。流石に今の剣に運転席に座らせる訳には行かないしな」
とそんな事を言いながら姿を現したのは当然、芝右衛門である。
「芝右衛門? 仕事は? 店はどうしたんだよ?」
わざわざ俺の為に店を臨時休業にしてやって来たのだろうか? 思わずそう驚きの声を上げると、
「副店長も居るし二、三日ならお袋もヘルプに入ってくれるから店の方は大丈夫だよ。それに幾らポン吉の車が生きているって言っても、運転手が居眠りしてちゃ不味いだろう?」
なんという事も無いと言う風に、普段通りの優しい笑みを浮かべそう答えてくれた。
だがその目を見れば、其処には確かな決意の様な何かが宿っているのが見受けられる。
それが何に対してのものかは解らないが、それでもその意志を無視して彼を追い返すのは、間違えている様に思えた。
「……そんじゃぁ俺は後ろで寝るから運転頼むわ。行き先はナビ通りで大丈夫だからよ」
恐らくポン吉も同意見だったのだろう、軽く肩を竦めてそう言うと後部座席を倒し、寝る体制へと入るのだった。
後部座席から響く鼾を聞きながら、一路、港を目指す。
目的のフェリー乗り場への最短ルートは、千戸玉市の中心部を突っ切って行く道なのだが、この時間帯は都心ほどでは無いが、それでもそれなりに渋滞する。
それに捕まれば、先ず間違い無く一本目のフェリーに乗るのは難しい。
一日に数本しか往復しないらしく、朝一を逃せば次の便は昼過ぎに成ってしまうのだ。
事前にそれを織り込んでルート設定がされているらしく、車に据え付けられたカーナビ……専用機では無く一昔前の携帯ゲーム機は迂回するルートを案内してくれる。
『ぶるぅぁぁぁ! 300メートル先、左方向で頼みますぜ旦那』
……妙に濃ゆい男の……漢の声が流れるのは、ポン吉の趣味とは一寸違う様に思える。
こんな印象に残り過ぎる声のナビが着いていたなら、先日乗った時に突っ込んでいた筈なのだが、思い返してみればあの夜は其処には機器が着いて居なかった。
まぁ携帯ゲーム機だし、容易に付け外しが出来るのだろう。
「……ぷっ!? ポ、ポン吉の奴……狙ってやってるのか!?」
寧ろ問題は、アナウンスが流れる度に吹き出しハンドル操作を誤りそうに成っている芝右衛門だ。
幸い前後に他の車は無く、道も比較的真っ直ぐに近い為、事故には成っていないが、肩を震わせながら笑いを堪え吹き出す度に、アクセルを踏んでしまっている。
とは言えペーパードライバーや免許取り立ての若造の様な拙い運転だったのは、流石に最初の内だけで、走っている内に聞き慣れて来たようだ。
「こんなネタみたいなの有るんだなぁ……」
ゲームには疎い俺では有るが、この機械は一時期大流行した狩ゲーとやらを同僚がやっているのを見た事は有る。
まぁ携帯電話で動くナビアプリが有るのだが、携帯ゲーム機でソレが出来る事は不思議では無い。
とは言え、この声は反則だろう。
「……いや話には聞いてたけれどコレは強烈だなぁ」
俺よりはゲーム……と言うか声優に詳しい芝右衛門が苦笑しながらそう言ったのは、道程は無事に進み海が見えて来た頃だった。
「ぁぁああ……と、そうだ、残り時間はどうよ? 一晩でどれ程減ったよ?」
と、仮眠から覚めたらしいポン吉が、欠伸をしながらそんな問を投げかけてくる。
気にしすぎるのも良くないだろうと思い、起きてからは手形に目を向け無い様にしていたのだが、そう言われては見ない訳にもいくまい。
「えっと……九二日五時間三一分五五秒……って思ったより減ってない……どころか止まってるぞ?」
記憶違いか、目の錯覚か、そう思い一度手形から視線を外して目を擦り再度見てみるが、やはりカウントダウンは止まっている。
何か不具合でも有ったのかと、手形の裏を裏返して見ると其処には……
『此方は世界樹運営委員会です、外部からの不正介入に対する防備強化の為、緊急保守点検を行います。作業中、世界樹の全ての機能が利用出来ない状態と成ります、終了時刻は決定次第随時掲示致します。詳しくは……』
と、そんな文言が読める筈の無い未知の文字で浮かび上がっている。
「うわぁ……なんじゃこりゃ。知らねぇ文字なのに、意味が解る……気持ち悪ぃ」
肩越しに覗き込んで居たポン吉の言葉は、正に俺が今思っている事その物だった。
此処数回、延期に次ぐ延期でご迷惑をお掛けして申し訳有りません。
この状況で申し上げるのは、大変心苦しいのですが、早ければ週明けから、少々今までとは仕事の受け方が変わる予定で、暫くの間今までの様に執筆時間をとる事が難しくなりそうです。
その為、7月中は隔日定期更新では無く、平日不定期&週末土日の何方かには更新する……というような形を取らせて頂きます。
8月以降は、スケジュールに余裕が出来る筈なので、再び定期更新に戻れる……と良いなぁと思っていますが、今の段階では確定出来ませんので、決まり次第割烹にてお知らせ致します。
今後共拙作『大江戸? 転生録』お楽しみ頂ければ幸いです。




