三百八 志七郎、任侠武人と再会する事
「有難うございました、それじゃぁ、お……僕はこの辺で……」
駅舎を出ると既に日は落ちかけ、街灯に明かりが灯り始める頃だった。
そう言って祖父から逃げる様に立ち去ろうとした俺の腕を取り、
「迎えは来ていないのかい? 流石にこの時間にお前さんの様な子供を一人で歩かせる訳にゃぁ行かねぇやな。儂が送っていってやろう、どっちへ行くんだね?」
不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、小さな子供を心配する気持ちが半分、この時間まで子供を放置する親に対する不愉快さが半分と、酷く解りやすい表情を浮かべてそう言った。
けれどもその瞳は表情程に感情を宿した物では無く、俺の一挙手一投足全てを観察し何かを見定めようとしている様に見える。
多分今見せているこの表情も意識的に作った物で、下手に親しげな笑みを浮かべるよりも、こう大人としての威厳を醸し出す方が、小賢しい小僧を相手にするには良いだろう、と判断したのではなかろうか?
身内の中でも最も俺との縁が薄かったのはこの祖父だったが、数少ない記憶の大半は圧倒的とも言えるその観察力と交渉力で、剣や拳を交える事も無く負けを認めざるを得ない状況へと追い込まれる、そんな掌で転がされていた事ばかりだ。
無理に振り切って逃げるのも何か疚しい事が有るようで不自然だろうし、今楠寺まで送ってもらうのも色々と見透かされそうだ、と言う意味で不安で有る。
子供特権を活かして大きな声を上げると言う選択肢も無い訳では無いが、上手く行っても失敗しても祖父さんに迷惑を掛ける事に成るのは間違いない。
さて、どうしたものか……とそう思った時である、
「隠神の御隠居さん! 突然で申し訳ありゃしませんが、親父が相談したい事が有るそうで……。本当ならウチの方から伺うのが筋なんですが、ちょいとどうしても手の離せない事体が有りやして、誠に申し訳ねぇがご足労願えやせんか」
駅前のロータリーに止められた如何にもと言った風情の黒いセダンの後部座席から、何処からどう見ても堅気のサラリーマンにしか見えない風貌の中年男性が姿を現すと、深々と頭を下げてそんな事を言ったのだ。
「お前さんは……確か白浜の所の若い衆だったな。筋者が儂の様な爺になんのようだね?」
この千薔薇木県に根を張る『白浜組』の彼等は堅気の者に手を出す事を良しとせず、義理人情を重んじる、比較的真っ当と言える収入源だけで活動する、古式ゆかしい的屋系の非指定暴力団だ。
縁日や出店の取り仕切りと言った的屋らしい仕事は勿論、警備会社や人材派遣会社などなど幾つものフロント企業を抱えているが、それらが大きな事件を起こした事は俺が知る限り一度も無い。
他の地域と比べると、何故此奴等が暴力団と言う括りに有るのか疑問としか思えない、ある意味で『仁侠物』に憧れ、それに酔った連中が集まっている様な組で有る。
そんな連中だが彼等には彼等の『任侠道』が有り、その中の一つが他所の与太者から地元を護ると言う物で、他所の暴力団との抗争が全く無いと言う訳では無い。
目の前に現れた一般商社に務めるサラリーマンにしか見えないこの男、実のところ俺は前世に何度も会った事が有る。
白浜組の若頭、当代組長の磯辺浪平の娘婿で、名実共に一の子分、鉄砲塚益臣だ。
俺が命を落としたあの事件、その情報提供の主は何を隠そうこの男だった。
直前に先々代組長が急死したため、殴り込みを止めざるを得ず、かと言って時間を置く事で相手の勢力が増すの黙ってみている訳にも行かず……切羽詰まった末の苦肉の策がソレだったのだと、情報提供を受けた際に言っていたのを覚えている。
その彼が、そして白浜組の親分が、祖父の協力を必要とするのは、どう考えても外国から犯罪勢力の類がこの地域に入ろうとしているのを止める為だろう。
「お祖父さん、僕は一人で大丈夫だから、その人の頼み聞いて上げてよ。きっと大事な話しだろうから」
もっけの幸い……と言うにはその背景が少々物騒では有るが、祖父さんを振り切るには好都合で有る事は間違いない。
俺はそう言って腕を掴む手を振り払い、帰宅を急ぐ人の群れの中にその身を紛れ込ませたのだった。
偶然と言うには余りにも……丸で仕組まれた彼の様に次々と俺の縁者が目の前に現れ過ぎるのではなかろうか。
幾ら小さな町とは言え、そうそう知った顔に会うと言うのも可怪しな話しなのだ。
駅から真っ直ぐ駅前商店街を抜け、今楠寺へと続く一本道を歩き続けていくと、剣道着を纏い竹刀と防具を背負った数名の男達が前からやって来る。
その中の一人、連れている若者達の誰よりも背筋が伸び、軸が通った隙の無い歩き方からも高い実力がある事が推し量れる、還暦を少し回った位の男性……隠神剣士郎……前世の俺の父親が居た。
海上自衛官だった彼は定年退職後、曾祖父さんから剣道道場を継ぎ、道場主として余生を過ごしている筈だ。
恐らく共に歩いているのは道場へと通う大学生達だろう。
「さっさと帰ろうぜ。腹減っちまったぁ」
中に一人、妙に馴れ馴れしい態度で親父にそんな言葉を投げかける者が居たが、
「幾ら成長期とは言え、食い気を抑える事を覚えねば、若い内は良くとも歳を取れば、あっという間にメタボるぞ……」
それに対して、あの礼儀に厳しい親父が叱り付ける様な事も無く、困った奴だと言わんばかりの苦笑いを浮かべ、そう言うに留まった。
その慈愛の篭った眼差しは、俺や兄貴に向けられた事の無い優し気な物で、それだけでも彼が誰なのかが容易に想像が付つく。
兄、剣一郎の子で、俺の甥っ子にあたる男、隠神剣太郎だろう。
直接会った事は無く、生まれた直後にメールで写真を貰ったきりだが、目の前の彼は15~16と言った所に見える。
そんな一団とすれ違う、その瞬間、ふと親父が足を止めた。
「少年、子供とは思えぬ程に鍛えているな。その軸の通った体捌き、此方を避ける際の動きも最小限の動作のみですれ違った。並の修練で辿り着ける境地では無かろう。この辺の子では無いとは思うが、お師匠様は何方かな?」
歩と言うのは、武芸では大きなファクターの一つで有る、見る者が見れば、その立ち姿歩き姿を見るだけで、技を見ずともある程度の腕前を理解する事が出来る物なのだ。
まだ曾祖父さんが道場主だった頃、入門希望者達が多すぎた時が会った。
そんな時、曾祖父さんは玄関に並べられた、希望者達の靴を一つ一つ手に取り、それだけで合否を決める様な事が有ったのだ。
靴裏の減り方に偏りが無い、癖の無いすり足にも近い事が身に付いている者は合格、つま先……それも親指の力が掛かる部分がすり減った物もまぁ合格、つま先立ちは武道の足さばきの基本と言える、それらが出来ているかを判別する為で有る。
日本の剣道の諺では無く中国武道では『歩を教えれば、師が打たれる』と言う言葉が有る、それほどに歩と言うのは武芸に置いて重要な物なのだ。
普段から意識してそうしている訳では無いが、前世でも……そして志七郎としての今生でも、体軸と歩の在り方は可能な限り時間を造り鍛錬し、無意識でもソレが出来る様にしてきたつもりである。
故に十分『達人』足り得る親父が、俺を尋常ならざる子と看破したのは決しておかしな話しでは無い。
「流石に君の様な子供に勝負を挑む様な事はしないが、その師には興味が有る、どうすればその歳でそこまでの域まで力を付けさせる事が出来るのか……それを知れば、俺はまだ強く成れるかも知れない、自分の子供すら護れなんだ不甲斐ない俺でも……な」
流れる涙を拭う事も無く、はらはらと男泣きを見せる、それは俺の知らない父の姿だった。




