三百六 志七郎、新聞を読み後悔を口にする事
中身は貴方の息子ですとは口が裂けても言う事は出来ず、かと言って父は刑事では無く藩主です等と言うのも違うだろう。
写真に映る俺は確かによく似ているとは思うが、飽く迄も言われて見ればとか、並べてみれば……と言う程度の物で、それが即座に血縁関係に繋がる様な事では無い。
なんと言葉を返せば良いかを探して視線を彷徨わせると、柱に吊るされた日めくりの日付が目に入った。
今朝本仁和尚が言っていた通りならば俺の月命日で有る今日、お袋は俺の墓へと行っていた筈だ。
その帰り道で、死んだ息子に良く似た子供を見かけたりすれば、其処に何らかの縁が有ると考えるのも仕様の無い事かも知れない。
「御免なさいね、変な事聞いちゃって」
だが俺が何の答えも返さ無かったのを、子供を困らせる質問だと判断した様で、膝を折って目線を合わせると、謝罪の言葉を口にし俺の頭を一撫でする。
「あの子に子供が居たら良かったのに……と思ったけれど、それはそれで子供から父親を奪う酷い話よね……」
小さく……きっとそれは俺に聞かせるつもりの無い、心から漏れ出した呟きだったのだろう。
彼女の言う通り、もし俺に妻子が居たとしたら……いや、俺が命を落とす事で遺される者が居る自覚が有ったなら、あの時俺は面倒だったとしても現場へ行くのに防弾チョッキを付けずに行く様な事は無かったのではないか?
所詮自分の命は自分だけの物、俺が死んだ所で何と言う事も無い、そう高を括って居たのでは無いか?
しかし実際はどうだ……家族も数少ない友人達も深い悲しみに沈み、それでも尚俺の不名誉を雪ごうと老体に鞭打ち、或いは約束された出世の道を捨て、激務の日々を送っているのだ。
俺は俺の命という物を少し軽く考え過ぎて居たのではないだろうか?
「……お昼、ご馳走様でした。一寸行く所が有るので、そろそろ失礼します」
自身の不明を突きつけられた様な、この状況に居た堪れなく成った俺は、淋しげに微笑むお袋に頭を深々と下げながらそう言って、その場から逃げる様に立ち去るのだった。
『警察の暴走、国際問題に発展か?』『警察の闇、組織ぐるみのヘイトクライム』『悪意ある捜査官、公務員一族の闇』『政権の関与? サミットで恥を掻かせる目的か?』
センセーショナルな見出しが踊るのは、俺が命を落としたあの事件から数日の間に出された新聞の物で有る。
俺が死んだあの事件が社会にどの程度の影響が有ったのか、それを知る必要があると感じた俺は、結局千戸玉市に有る、県内唯一の図書館へとやって来たのだ。
殆どの新聞が何の謂れもない某国の商社を、事もあろうに警察が一方的に銃撃し、その結果流れ弾で俺が命を落とした、と記事にしている。
当然の様にビルの中から押収された様々な犯罪の証拠については全く触れる事は無く、中には日本政府が首脳会議の場で彼の国より自国の立場が上だと言う事をアピールする為に命じた、とまで書いている物すら有った。
だがそうした新聞での扱いもほんの数日の事で、まるで事件そのものが無かったかの様に続報の様な物はほぼ無い。
ただ一紙、地元の小さな地方紙だけは、空きビルを占拠していたのが所謂『半グレ集団』で有り、銃器や爆発物等の危険物が大量に押収された事を伝え、警察の対応が妥当だったと報道していたが、組織が概ね壊滅した事も有ってかやはり続報は無かった。
そしてその新聞だけは俺を撃った犯人がリーダー格の男の弟で十七歳の少年だった事、凶器の拳銃もそのグループが密輸した粗悪な物だった事、グループがあのビルを拠点に危険ドラッグを販売したり、特殊詐欺などを繰り返して居た事を伝えている。
現場で対応した俺からすればアレは完全にアジア系マフィアのソレなのだが、その報道に拠れば、あの時相手にした一団は、飽く迄も日本の伝統的な『暴力団』では無い連中と言う事の様だ。
伝統の有る暴力団の方がまだしも、やって良い事と悪い事を理解している様に思えるのは、多分錯覚では無い。
下っ端が何かやらかせば上役の面子が潰れ、場合によっては連座制の如く上役が逮捕される暴力団では、若い下っ端にはそれなりに躾が行われる物だが、半グレと呼ばれる様な連中は簡単かつ刹那的に犯罪に手を染めるのだ。
この千薔薇木県千戸玉市にも古くから『白浜組』と言う伝統的な暴力団が居るが、先代、当代と義理と人情を厚く仁義を重んじる男が組長で、構成員から懲役者を出した事が無いのが自慢と言う、本当に暴力団なのか疑問に思う様な奴らだった。
そんな彼等でも自分達の縄張りで余所者が違法薬物を捌いていたり、ボッタクリバーを出店したりすれば、黙っている事は無く、存在している事が多少の抑止力と成っていた側面が無かった訳でも無い。
少なくとも俺の前の四課長と先代の組長が飲み友達と言う時点で、なぁなぁの関係だったのは間違い無く、それは双方が代替わりしても然程変わる事は無かった。
必要悪と言う言葉は好きでは無いが、社会からドロップアウトする人間はどうしたって出る、そんな彼等の受け皿に成るのはやはりその手の組織だ。
義理も人情も無い海外マフィアと、多少なりともソレを標榜する極道と、何方がマシかと言う程度の話しでは有るが……。
閑話休題、そんな犯罪者組織と銃撃戦をしたと言うのと、真っ当な手段で国内拠点を得ようと言う海外企業の社員を銃撃したと言うのでは、印象が天と地程違うのは当然の事だ。
偏重報道も良い所の酷い新聞ばかりだが、この手の報道で有りがちな家庭や家族への強引な取材が行われた様子が無い様に見受けられた。
恐らくは警察や、今楠寺の檀家衆等地元住民達――もしかしたら白浜組も――の配慮が有ったのだろう。
そうした取材が難航した事から、続報がないニュースと成ったのかもしれない。
相手国も首脳会議の期間中は色々と騒いで居た様だが、終わると同時にその後の外交カードとして提示される様な事も無い様子で、物的証拠が山ほど押収された以上、先方にとって不利な事件は(彼等の中で)無かった事に成っているのだろう。
取り敢えず新聞を読む限りでは、世間に大きく影響を与えた事件……と言う程では無い様だが、親父より上の定年組は兎も角、県庁勤めだった兄貴はこんな報道をされ、職場では針の筵だったのではなかろうか?
この一件で出世のレールから外れ、それを取り戻す為に政治の道へと路線変更した……と考えるのは、悪意に解釈し過ぎだろう。
やる事成す事如才無く、感情的に振る舞う事の無い、思い描く理想の大人像を具現化した様な兄貴では有るが、感情を噛み殺す力に優れているだけで、その芯には熱い物を持っている事を俺は知っている。
冷静な表情を保ちながら瞳だけに怒りを灯し、木刀を手に義姉さんを襲おうとした不良共の所へ殴り込みに行った事も有れば、馬鹿をやらかした俺達三人を纏めて折檻した事も有った。
お袋にも、兄貴にも……新聞報道からは窺い知れないが、曾祖父さんにも、祖父さんにも、親父にも……俺がくたばった事で掛けなくても良い迷惑を掛けたのは間違い無いだろう。
無沙汰は無事の便り成り、とはよく言った物だ、何の連絡もしなかった十数年俺は無事その物で、その後に届いたのは訃報だったのだから。
和尚の言う様に、コレだけの大迷惑を掛けたのに、詫びの一つも入れず、その迷惑を見ようともしなかった今朝までの俺は、不義理不人情の屑野郎だった。
「今夜……ちゃんと謝らないとな……。それをせずに帰ったら、それこそ後悔しか残らない」
界渡りを成せるのは七歳未満の子供の内だけだ、こうして俺がこの世界に帰るのはコレが最後の事だろう。
少しでも手の届かない後悔は少ない方が良い、そんな決意の言葉を誰とも無く呟く。
と、静かな館内ではそんな声でも大き過ぎた様で、本を読んでいた者達が揃って此方を振り向き
「「「「しー 静かに」」」」
と声を揃えて注意の言葉を発するのだった。




