三百四 志七郎、彼を知り懐かしきに出会う事
時は戦国乱世の世、天下太平とは程遠く力による乱暴狼藉がまかり通った時代。
当時、この地を治めていた大名家に、千の薔薇――時代的に恐らくは野薔薇――を並べたよりも尚美しいと讃えられる姫が居たそうな。
名を雲雀姫、見事咲き誇った美しき姫君を我が物にせんと欲っした近隣の大名達は、小大名に過ぎなかった彼の家を、有る者は領地を安堵する代わりに姫を差し出せと、有る者は姫を差し出さねば攻め入ると、恫喝にも似た求婚をしたのだそうだ。
如何な美貌の姫君と言えども、その身の振り方を決めるのは家長だ、家の存続の為に最も良い相手に嫁ぐのが当然の時代で有る。
とは言え、姫君が一人で有る以上何処に肩入れするにせよ、断った他方との関係悪化は免れない。
何処と結ぶのが最も良い選択か、それを決めきれぬ内に日は流れ、とうとう痺れを切らし攻め入る者が出た。
小国なれども文武に優れた家臣に恵まれ、民を愛し民に愛された彼等は一度ならずとその侵攻を跳ね返すが、幾つもの勢力に狙われては永遠に守り続ける事など出来よう筈も無く、とうとう落城の憂き目を見る事と成る。
姫君は一人の家臣と一匹の猫を連れ城から落ち延びたが、その道中、柳峠で落ち武者狩りと遭遇してしまった。
姫君を質に取られ家臣は命を落とし、彼女はその身を汚されるよりも早く自害する。
連れた猫が恨みを飲んで化けたのか、それとも元々只猫では無かったのか、それは定かではないが、その夜より柳峠には二刀を操る化け猫の侍が現れ、通り掛かる者有れば誰彼構わず切る様に成ったのだ。
「彼の者、名を猫柳黒之助。雲雀姫と黒柳馬之助なる侍の恨み辛みを晴らす為、千人斬りの誓いを立て候……か」
紹介状を書いてもらうにせよ、相手の事を何も知らないのでは交渉も何も有った物ではない。
そう判断した俺は、情報のありそうな場所――小学校に併設された郷土資料館へとやって来ていた。
此処でそれらしい資料が見つからなければ、電車で一時間半程行った先に有る県庁所在地の千戸玉市の図書館へ行くつもりだったが、幸い此処に有った『千薔薇木の民話・伝説集』と言うそのまんまなタイトルの本の中にソレらしい記述を見つける事ができた。
上記『黒猫の侍』の他にも『柳峠の人斬り』や『黒津波と黒侍』と、幾つか別の説話として記されていたが、みな二刀を操る黒い侍と言うのが共通して登場しており、ソレがポン吉の言っていた猫の侍の様だ。
呪いを孕んだ化け猫は黒衣の侍の姿で人を……人だけでは無く無数の化物すらをも斬り殺し、彼の縄張りとも言える柳峠周辺に近づく者は居なく成った。
それでも尚人斬りを止めぬ……辞める事の出来ぬ彼の者は、自ら根城を捨てて獲物を探し放浪し始める。
だがそれでも手当たり次第、誰彼構わず襲っていたと言う訳では無い、無辜の者を傷付けたと言う話は一つも無く、戦乱を言い訳に無体を働く輩が居ればソレを斬り、我欲に人を傷付ける者が居ればソレを斬り捨てた。
そんな事を繰り返して行く内に、辿り着いた海辺の村で深海から津波を伴い現れた悪竜と相対する事となる。
その結果は昨夜ポン吉から聞いた通り、悪竜を討ち取った黒き猫の侍は、その身に宿した呪いを乗り越え猫の神へと成り、飼い主の姫とその伴侶も成仏する事が出来たのであった。
「……で、その後は徹島を護り続けて今に至る……と」
和風冒険ファンタジーの主人公のその後……とでも言うべき相手な訳か。
取り敢えず来歴は解ったが、それは飽く迄も人々の間で伝えられている逸話で有り、ソレが何処まで事実なのかは解らない。
向こうの世界の事では有るが、この手の英雄賛美的な逸話では、色々と話しが盛られていたり、他人の逸話と混ぜられていたり……と言う事は幾らでも有ったからだ。
家の書庫に有った『猪河創家語』と、おミヤに聞いた話しの落差は正に盛りに盛られた物の代表格と言えるだろう。
他所様の事だから、話半分とは言わないまでも丸々信じるのは少々戸惑われる所だ。
と、その本を一通り読み終わり、一息付いた所で隣の建物から『ウェストミンスターの鐘』の音が聞こえ、それに反応するかの様に腹の虫が鳴り響いたのだった。
幾ら好きに使えと渡された財布だとしても、返す宛の無い他人の金を好き勝手するのは気が引けた。
取り敢えず今楠寺に行けば食べるものは有るのだから、と一旦戻る事にして、携帯電話の履歴に残っていたネット小説を久しぶりに読みながら歩きだす。
「そこの坊や、携帯電話を見ながら歩いてちゃ危ないわよ」
と、小学校から寺へと向かう道すがら、住宅街を歩いている時だった。
不意に誰かからそんな言葉を投げかけられたのだ。
その声の主を振り返ると、其処には辛うじてその面影に覚えがある……俺の記憶に有るよりも随分と年老いた……前世の母が居た。
彼女に最後に会ったのはもう十五年以上前の事、兄貴の結婚式の場だ。
あの時は、新郎の母として恥ずかしくない装いと言う事で、確りとした化粧をしていたが故に、然程老いたとは思えなかった。
が、目の前の彼女は俺の記憶が確か成らば還暦を少し回った程度の筈が、余程心労を重ねたのか頭髪は完全に白く色落ち、比較的膨よかだった筈の頬も痩せこけ、口元や目尻の皺も最早隠す事すら出来ぬ程に刻まれている。
「歩きスマホは駄目よ。こんな田舎町でも車位は走ってるんだからね」
買い物の帰りなのだろう、重そうな袋を両手にぶら下げ、歩くのも精一杯と行った風では有るが、それでも歩きスマホと言う危険行為をしている子供を見かけ、捨て置く事も出来ずに声を掛けて来たらしい。
その袋は商店街に有るどの店の物でも無い、駅を挟んだ反対側に比較的最近出来た大型ショッピングセンターの物だ。
俺がまだこの街で暮らしていた頃は、商店街で殆ど毎日必要に会わせて買い物へと出て居た為、こんな風に大荷物を彼女一人で抱えて歩くなんて事は無かった。
纏め買いをする必要が有る様に、生活形態が変わったのかも知れないが、それにしたって一人で持ち帰るには少し重すぎる様に見える。
「え……? あ……?」
幾ら小さな町とは言え、無作為に歩いてこうして関係者に巡り合う確率と言うのはどれ程の物だろう。
運命と言う奴なのか、それとも神の思し召しと言う事なのか……
「注意一瞬、怪我一生って言うでしょう? 何も無いだろうと、大丈夫だろう……なんて不注意で命を落とすなんて馬鹿らしいじゃない。そんな馬鹿らしい事で貴方を失ったら、お父さんもお母さんも悲しいなんて物じゃないのよ」
思わず呆けた顔で彼女を見る俺に、優しいけれど何処か悲しそうな笑みを浮かべて、言い含める様にそう言葉を放つ。
何か言葉を返すべきだろう、けれど何と言って良いか解らず、ただただ頭を捻り言葉を探すが、結論が出るよりも早く身体が勝手に返事を返す。
「あら? お腹が空いてるのね……。そっか、お狸さんにお昼を貰いに行く途中だったのね。 でも……良かったらお婆ちゃんのお家に来ない? 今日は家だれも居なくて、お昼一人きりだったの、付き合ってくれると嬉しいわ」
クスリと上品に笑う老婦人、その表情から憂いは消え、丸で幼い孫を心配しつつも微笑ましく見守る物へと変わっていた。
それに対して、返すべき言葉はまだ見つからなかった。
けれどもするべき事は解っている。
俺は前世の俺が幼い頃にそうした様に、荷物へと手を伸ばし、それを支える様に持ち、そっと受け取り、母の顔を見上げ微笑み掛けるのだった。




