三百二 志七郎、古狸に見抜かれ説を教授される事
例の島に住むと言う大猫又――黒柳? 猫柳? 某への紹介状を認めて貰える様頼む為、翌朝早くポン吉に連れられ本仁和尚の下を訪ねると、俺が事を……界渡りを必要としている異世界の少年だと説明する。
子供にしか見えぬ自分がしゃしゃり出るよりは、良い大人で有る彼に任せるべきだと判断し、ポン吉の言を遮る事はせず黙って二人の様子を観察していた。
柔和な笑みを浮かべたその話を聞いていた和尚は、話が一段落をしたのを見計らい、黙ったまま懐から取り出した煙管に煙草を詰めてマッチで火を点ける。
荒唐無稽なほら話と真剣に話を聞いていないとも思わせる態度に、余程深い付き合いで無ければ解らない程度では有るが苛立たしげに眉を寄せ、更に言い募ろうと口を開く。
だがソレを片手で制し深く一息煙草を吸い込み、一瞬溜めてから大きく煙を吐き出すと、
「世の中、有り得ないと言う事こそ有り得ねぇ、真逆と思う事こそが事実だったなんてのは五万と有らァな。拙僧とて退魔僧の端くれ、その程度の事も理解出来ず居付いてたんじゃぁ、この歳まで生きちゃいねぇよ」
そんな言葉を口にしつつも武勇を誇るつもりは無いらしく、寧ろ己の腕前が劣っているからこそ、有りと汎ゆる可能性を考慮していなければ、命を落とす様な状況は何度も有ったのだと言う。
「お前さん達の話で言う様な異世界って程遠い所じゃねぇんだろうが、それでも現の世とは違う場所……幽世とでも言うのかね、そんな場所にゃぁ拙僧も心当たりが無い訳じゃぁねぇ」
若かりし頃、まだこの寺を預かる立場に無かった時代、才が足りぬ事を受け入れられず、ただ只管にその身を危険に晒し、実戦経験を積み上げる事でその殻を叩き割らんとした事が有るのだそうだ。
「その頃にな、東北の……たしか寒戸つったかな? そこで幼い子供の神隠しが頻発した事が有ってな、その件で何人もの退魔師やら武芸者やらが解決に乗り出した事が有ったんだな」
とそんな言葉から始まった話では、その神隠しは人を喰らいその皮を被る事で入れ替わろうとする猿の妖かし――狒々が子供を攫って居たのだと言う。
だが子供達は狒々の餌食と成った訳では無かった、狒々と敵対する山犬の化物がそれを奪い去り、だが無力な只人の下に返して折角助けたのに再び攫われては叶わぬと別の場所へと隠したのだ。
人の言葉を操る狒々の口車に乗せられて、山犬と敵対仕掛ける場面も有ったが、賢しい口を叩けども所詮は猿知恵、最後は山犬と協力し狒々は討ち取られた。
けれども身体を張って己の真を示した山犬は、傷付き弱り子供達の安否を示さぬまま命を落とす事に成る。
原因は排除出来たが子供達の救出には失敗した……と言う最悪では無いが決して無事解決とは言えない結果に終わろうとした時、和尚は一人山の奥で立地に似合わぬ立派な武家屋敷に迷い込んだのだそうだ。
攫われた子供達は皆その屋敷で匿われていた。
親が恋しく泣く子供達を気遣って、礼も早々に帰途へと付いたのだが、子供達は誰一人として屋敷の住人を見ておらず、其処へと至る道を確りと記録しておいたと言うのに、改めて礼に赴いた時には辿り着く事すら出来なかったのだと言う。
「今思えば、ありゃきっと迷い家って奴なんだろうな。そんな事も有ったんだから異世界って奴が有って、其処へと帰りたいってな子供が居る事は然程驚く様な事じゃぁねぇ」
でもな……と子供の浅知恵を丸っと馬鹿にする様に鼻で笑い、再び口を開き、
「肝心な事を隠したまんまで、他人を都合よく使おうってなその性根が気に入らねぇ。まぁケン坊がこの手の悪巧みをするたぁ思えね……。大方馬鹿息子の勝手な判断だろうがな」
好々爺とした笑みを消すこと無く毒を吐く和尚。
細められたその瞼の奥に薄っすらと見える瞳は、笑っていない所か俺達の全てを見透かしているかの様な鋭い光を放っている。
丸々とした福々しいポン吉が信楽焼きの狸なら、目の前でさも善良そうに笑いながら聞き捨てならない言葉を放ったこの老僧は見た目に違わぬ古狸その物だった。
「え……!? ちょ……!?」
「長々と話をして置いて何だがよ、ぶっちゃけその子の目を見りゃ尋常の子供じゃねぇ事位は一目で解らなぁな。んでよくよく見てみりゃケン坊と同じ魂の色してるじゃねぇか。身内でも無くそんだけ同じ奴は居ねぇよ」
驚きの余り言葉の出ないポン吉と、その反応を待っていたと言わんばかりに声を上げて笑う和尚。
一頻り笑った後、これまでの優しげな笑みを消し、
「超常の者と常日頃から接して生きてる馬鹿息子でも、ケン坊とお前さんが同一人物だなんて事ぁ、直ぐに理解出来るもんじゃぁねぇ。儂だって歳を食って無けりゃ一目で見抜く事なんざぁ出来やしねぇ」
懐から取り出した煙草を丸め、左手で弄んでいた煙管へと詰める。
「ましてや尋常の理の中で、それもより厳格な価値観で凝り固まった様なあの家の者に、手前ぇがくたばったケン坊の生まれ変わりだ、なんて言い出しても信じて貰えねぇ。そう考えるのも当然の事だわな。けどよ……」
一旦言葉を切りマッチを擦り、煙草に火を点ける。
「それでも信じるのが家族って奴じゃねぇのかぃ? 聞けば自分の手抜かりで命を落とした自業自得が故の逆縁だってんじゃねぇか。なのにこうして束の間とは言え戻って来たのに一目見る事もしようとせずに帰るってのぁ、ちったぁ親不孝が過ぎるんじゃねぇか?」
何の感情も示さぬ表情で此方を見ようともせず、虚空を見つめて煙を吐きながらそう言う和尚。
それはきっとその名の通り『仁』こそが『本』質で有る彼の、精一杯の怒りなのだろう。
記憶にある限り、死者を悼む時以外微笑みを消した顔を見た事が無い、俺達が子供の頃に悪い悪戯がバレた時でも苦笑いを浮かべはしても、怒りを露わにする事は無かった。
もっともその時は、家の曾祖父さんが和尚や芝右衛門の親父さんの分まで折檻した後だったが……。
兎角、怒りという感情は彼には無縁なのだと、心の何処かで思っていた。
確かにあの時――俺が命を落としたあの銃撃の時、防弾チョッキを身に着けていれば命を落とす事は無かっただろう、あの死は自業自得と言えなくも無い、その事は否定出来ない。
逆縁――親より先に死ぬ親不孝――だと言いうのも、ぐうの音も出ぬ事実である。
だが家族を両親を蔑ろにしたつもりは微塵も無い。
俺が江戸に……今の家族が待つあの世界に帰らねば成らない以上、下手に接触した所で一度子を奪われた親から、再度子を奪うと言う追い打ちを掛けるだけにしか成らぬ、とそう考えていたのだ。
「二年……『まだ』と見るか『もう』と見るかは人それぞれだろうがよ。未だに、月命日にゃぁ雨の日でも雪の日でも欠かさず墓に来て、曾祖父さんも親父さんもお前さんの不名誉を雪ぐ為、東奔西走してまわってる」
まだまだ俺がくたばった事で発生した、様々な問題の尻拭いは全て終わった訳では無い。
兄貴に至っては、安定した地方官僚としての出世コースを捨て、やはり俺が命を落としたあの事件に端を発した、某国との問題解決の為に政治家としての道を踏み出したのだと言う。
死神さんが見せてくれた、俺が死んだ事を報道するニュースと、それを見た家族の憤慨、それは決して忘れることなど出来はしない。
彼等にとって俺は出涸らしの出来損ない、とそう考えているのだと思っていた、ソレが間違いだった事をまざまざと見せ付けられたのだから。
「出来の悪い子程可愛いって言葉も有るんだぜ? 儂だって協力する事に否はねぇ。ただ少しだけ……彼奴等の事も慮ってやってくれねぇか? 俺の安い頭下げて済むなら幾らでも下げてやるからよ……」
ゆっくりゆっくりと、言いたいことは言い切った、と普段通りの柔和な微笑みを取り戻しながら、そう言う彼に俺は返すべき言葉が即座に出ず、言葉を探して沈黙するしか無かったのだった。




