三百一 三狸、盃を交わし手掛かりを思い出す事
「んで? 結局どうなのよ? 帰る算段は付いたのか?」
閉店後の店内でグラスを傾けながらポン吉は、俺と未だに俺の膝の上に居座っている小松に対してそう言った。
この店で働いているのだから、芝右衛門以外の店員も化け猫に付いて理解が有る物と思っていたのだが、どうやらそういう事でも無いらしく、ポン吉が来た時点で俺の方から話を切り出そうとしたのを、猫魔達の集団フライングボディアタックで止められたのだ。
で、彼女達が仕事を終え帰宅の途に付いた後、生前に此処でそうした様に、カウンターにツマミを並べ、それぞれ好みの飲み物が入ったグラスを手に、こうして話をしているのである。
ポン吉の疑問の声に、もう一人の旧友も興味と心配が半々に混じり合った、なんとも微妙な笑みを浮かべたまま、無言で此方を見やり返事を促す。
「馬鹿言ってんじゃないよ。旅慣れた猫又の協力が必要なんて事ぁ、態々連絡しなくても解ってた事さね、此処は猫達が行き交う中でも辺境中の辺境なんだから……」
それに答えを口にしたのは、昨夜のダメージが漸く抜けてきたのか、多少パーマが取れて来た小松で有る。
界を渡りこの世界へとやって来た彼女の言に拠れば、無数に存在する異世界同士は近い場所で有れば有るほどの良く似た、だが何処かがほんの少しだけ違う世界なのだそうだ。
この地球を含めた世界と俺が帰るべき江戸の有る世界は、数多の異世界を俯瞰した『三千世界』と言う括りの中では端と端とも言える程に遠い遠い場所なのだと言う。
しかもこの世界は氣や妖力といった超常の力の源とも言える物が極端に薄く、その代わりと言う事なのか周辺にはそれらが淀む様に渦巻き、凶悪な化物が生まれる場所や、踏み込むだけでも命に関わる様な危険な場所が多々有るのだそうだ。
「この世界は地獄に囲まれた真っ只中に有るオアシス見たいな物なんだよ。だから何処へ行くにしたって地獄を突っ切る羽目に成る。しかも此処じゃぁ妖力はそう簡単に溜まらず、抜けていくだけだからね」
力の源が希薄なこの世界では、歳経た妖怪でもその身を維持するのが精一杯で、ただ時を刻むだけで力を増す事は出来ず、少しでも早く強い力が欲しければ、他の化物や人間を喰らうしか無いらしい。
当然ながら、そんな方法で力を得ようとすれば、この世界で静かに生活している化物や人間と敵対する事に成り、それらを相手取るのがポン吉の様な退魔師達なのだそうだ。
対して異世界の者達からは卓状世界とか、世界樹の盆栽等と呼ばれるあの世界は濃密な力に満ち溢れており、其処で生きているだけでこの世界とは比べ物に成らぬ程に強く育つので有る。
つまりこの世界に現れる化物は、大した力を持たない者を蹂躙し手軽に力と快楽を得ようと言う謂わば『気合の入っていない馬鹿』か、それ以上の強さを求めず静かな余生を送りたいと言う者達なので有る。
「……なんかそんな風に言われっと、俺達が身体張ってんのが馬鹿みたいじゃねぇか」
自分達が命懸けで戦っているのは雑魚とヘタレだけだ、と言われた形のポン吉は不満気にそう言う。
「俺達常人からすりゃ、そんなのでも十分危険な化物なんだろ? それを何とか出来るんなら、馬鹿にする方が余程馬鹿だろうさ」
と芝右衛門は、ポン吉のグラスに紙パックの野菜ジュースを注ぐ。
この中では唯一酒を呑む芝右衛門では有るが、他の者が呑まないのに一人だけ呑むのは気が引ける……と手にしているのは、消費期限が切れかけた乳酸菌飲料が入ったグラスだ。
「って事は、おミヤが言っていた旅猫又とやらが此方へ来るのを待つしか無いのかな?」
此方で動く事が出来ず、ただ待つだけと言うのは少々辛い物が有るが、ソレが最善手だと言うのであれば仕様が無い。
昨夜連絡した相手も此処から離れた世界に居る者達で有り、その者達の所まで行く事すら此処の猫魔達には荷が重く、最低限正式な修行を積んだ猫又が、俺を連れて長旅をするという前提ならば、やはり何度も界渡りを繰り返した旅慣れた者の力添えが必要らしい。
ため息混じりにそう言いながらコーラを口にする、普通の物では無くゼロカロリーの物なのは、糖分の取り過ぎは身体に悪いと芝右衛門に言われたのも有るが、通常のソレが近場では売っていなかったからでもある。
「ねぇ……松つぁん。もしかしたらだけどサ、此処だったら本物の猫又がまだ居るんじゃないかい?」
と、不意にそんな声を上げたのは、メインフロアでテレビを見ていた確か、お銀と言う名前の猫であった。
『猫島と呼ばれる島は、日本に幾つも有るそうですが、この千薔薇木の徹島にも沢山の猫が住んでるんですよー』
彼女が前脚で指し示して居るテレビに視線を向ける、と丁度ポータの女性がそんな事を言い、少し見ていただけでも至る所に猫が居り、神社らしき建物が映った時には、数えるのも馬鹿らしい程の猫、猫、猫……。
「あ!? それだ! 何で忘れてたかな、あの島なら居る筈だ! おっし、今日……は流石に無理だから……、明日にでも早速行くぞ!」
と何やらピンと来た様子のポン吉が、座っていたスツールを倒しながら立ち上がりそんな叫び声を上げた。
徹島の猫神社には猫の神が住んで居る、とポン吉は確信を持っているらしく、強くそう言い放つ。
遥か昔には間違いなく神々がこの世界にも居り、人々の生活に様々な影響を与えていた、がどういう理由に依る物か神々はその力を振るう事を止め、その存在その物が人々の目に留まるも無くなっていった。
それは神々がこの世界を離れ星辰の彼方へと旅立ったとか、力の源が薄くなりその存在を維持する事すら困難に成った、等など確かな理由は解っていない。
が、そうなった近年でも未だ力を持つ神が居り、日本と島の人々を海の底から現れる怪異達から守り続けているのだと、退魔を生業とする者達の中で噂されているらしい。
だが地元の――千薔薇木県の退魔師達を取り纏める立場の和尚さんから、ポン吉はあの島に居るのは神では無く、古い古い化け猫なのだと聞いた事が有るのだと言う。
「徹島には二刀を操る猫の侍が居る……その名は猫柳黒之助。大海の深き所より出たる悪竜を、見事討ち取りその首を、海に浮かべて島を成す……」
そんな言葉から始まったポン吉の語りでは、戦国時代以前の地図には徹島と思わしき島の記載は一切無く、江戸時代以降の地図で初めてその存在が確認出来るのだと言う。
普通ならば単純に見つかっていなかったと考える所だが、徹島は晴れた日には本土からでも肉眼で、その島影が見える程に近い場所に有る為、それは考え辛い。
前世の俺ならば、島を作った等と言われても与太話の類と切って捨てただろうが、妖怪なんてものが実在し無数の異世界が存在する事を知った今ならば、有り得ないとは言い切れない――いや、寧ろそれが事実なのだろうとすら思える。
「今でも本猫があの社には住んでて、親父も一回だけだが会った事が有るって言ってた! 親父に紹介状でも書いて貰えりゃ、ちったぁ相談に乗ってくれるかも知れねぇ!」
だがそんな有力な化け猫ならば、此処の猫魔達は何故彼を知らぬのだろう。
「私がこの世界に流れ着いてから、まだ百年も経っちゃ居ないしねぇ。地元の英雄ったって四百年近くも前の者じゃぁ知りやしないよ……戎丸あんた一応地元だろ?」
まぁ、異世界から流れ着いた小松が知らないのは決しておかしな話では無いだろう。
「無茶苦茶言わんといて~な。地元言うたかて日本生まれがワテだけ……ってだけの話やないかい。猫生大半は大阪に居ったんやで? そんな地方の事なんか知るわけありゃせぇへんがな……」
名前を呼ばれた三毛猫がそう返事をした、地元の……同じ県内で生まれ育った人間が知らないのだから、いくら同じ化け猫と言っても、皆が皆知り合いと言う訳では無い様だった。




