二十八 志七郎、深き森の奥で、子鬼を見る事
昨日夕方に1話投稿しております。
平時投稿しておりますこの時間から、
開いてくださった方は、
前話を御確認下さいますようお願いいたします。
光の中から抜けるとそこは深い、深い森林の中だった。
鬱蒼と生い茂る木々の中、人の手によって整えられたのだろう、切り株が並ぶちょっとした広場の様になった場所へと転移してきたようだ。
桂殿が言っていた通り、俺達の他にもこの場所へと来ている者は少なく無いようで、切り株に腰を降ろし休む者、円陣を組んで気合を入れる者等、様々な者が見受けられる。
そうして辺りの様子を伺っていると、ふと目に止まった一団が有る、概ね20人程の徒党なのだが2人を除き皆が10歳前後の子供でその背中には小さな鯉のぼりを立てている。
装備自体は良質な物から、明らかな安物まで幅がある様で全員が武士の子弟という訳ではなさそうだ。
「志七郎、後から来る者とぶつかるやもしれん、転移した後は直ぐにその場を離れるのが鉄則でござる」
一体どんな集団なのかと思いそちらに気を取られていると、そう言われ兄上に軽く背中を叩かれた。
慌てて足早にその場を移動すると、それを待っていたかのように新たな光柱が現れ、また誰かが転移してくる。
今度現れたのもやはり10人位の子供たちで皆鯉のぼりを背負い、一人だけ大人が混ざっていると言う状態である。
彼らは現れて直ぐ、先に居た鯉のぼりの集団へと合流していった。
「ありゃお主と同じく初陣の童子達でござるな、武家の子であれば初陣の付き添いは御家から出すのが通例でござるが、町人や商家の子が鬼切り者になる場合にはああして金を出しあい引率者を雇い徒党を組む事が多いと聞く」
彼らを一瞥し、そう囁く様に言うと兄上は俺を見下ろしいかつい顔を一層引き締める。
「戦場の心得は至って単純、他人の邪魔をするな、他人の獲物を奪うな、他人の手助けをするな。以上の三つでござる」
「邪魔をするなと、獲物を奪うな、は解りますが手助けをするなですか?」
前者二つは恨みを買う行為であるし、それをするなと言うのは理解できる。
だが、手助けをするなと言うのはどういう事だろう。
「得心が行かぬ、と言った風情でござるな。さもありなん、普通の性根であれば他者の危機を見て見捨てる事を是とする事など無いからの。だが戦場では違う、助けた相手が此方に感謝するとは限らんのだ」
兄上によると明らかなピンチだと思い助太刀に入った結果、獲物を横取りされたと因縁をつけてくる輩が少なからず居るらしい。
相手が町人出身ならば、身分差があるので大きな問題に成ることは無いが、大大名の子弟等此方よりも立場が上な場合など『格下の者に助けられた事が恥』と家同士の問題となり面倒な事になる事も多いという。
「故にたとえ誰が危機に陥っていようと、助けを求められぬ限りは決して手を出してはならぬ。だが、逆に言えば助けを求められたならば積極的に助けるのは人として当然の心掛けとも言える」
助けを求めておいて逆恨みする者も居ないわけではないが……、と深い溜息を付きながら言う様は豪放磊落とした兄上には珍しく苦悩とも悲痛とも取れる複雑な物だった。
件の初陣徒党が兄上に言われたのと同じような内容を訓示の様に唱和しているの横目に、俺達は森のなかへと踏み出した。
ぱっと見た限りでは、光も薄っすらとしか差し込まぬ程に密集した木々が動きを束縛しそうで、戦う場所としては辛いものがあるかと思ったが、踏み込んでみると思いの外木々の間は広く視界も通る。
よくよく見てみると太く高く育った木々は、枝ぶりも良く葉の量が多いために光が入らない為暗いだけで、飛び道具も十分射線が通りそうだ。
たしか『江戸州鬼録』には、小鬼の森に棲息するのは、その名の通り『小鬼』が主で稀に『犬鬼』と呼ばれる鬼が出る程度で妖怪の類は殆ど出ない、と書かれていたと思う。
どちらも単独~4匹程度の集団で行動し、知能も武力も低く多少腕の覚えがある位でも油断しなければどうとでもなる程度の能力しか無いという事だったはずだ。
それでも、不意打ちを受ければ怪我ですまない事例があるとも書かれていたので、慎重に辺りを伺いながら少しずつ前に出て行く。
そうして暫く進んでいくと、俺のその行動は決してハズレという訳では無かったようで、木々の隙間にうごめく小さな人影が見えた。
最初はあの徒党の様な初陣の子供達かと思ったが、よくよく見てみると明らかに色がおかしい、緑色の肌に粗末な腰布頭髪は元々無いのだろうどれもがツルリとした禿頭だ、手には棍棒や錆びた刀、穂先の折れた槍などを持ち武装している。
……あれが小鬼か? あれって所謂ゴブリンじゃないのか?
慎重に進んできた事が功を奏した様で、向こうは此方に気が付いていない様だが、俺は刀の柄に手を掛けただけで、踏み出すことが出来なかった。
人型の生き物に対し刃物を抜く事に強すぎる忌避感を感じたのだ……。
今までは木刀、すなわち鈍器であり当てる場所と力加減に気を付ければ、まず命を奪う事は無かった。まがり間違って殺してしまったとしても、殺意が有ったわけではないので殺害ではなく事故の範疇だと思えた。
だが今回は違う、明確に殺害の意思を持って刀を抜くのだ……、そう思うと柄を握る手だけでなく、全身が細かく震え出すのを感じた。
その震えが伝わり、カチャカチャと耳障りな鍔鳴りが辺りに響き渡る、だがそれは決して大きな音というわけでは無いようで、小鬼達が此方に気が付く様子は無い。
殺す? 俺が? 何故? あれは犯罪者ではない、逮捕するべき対象ではない……、そんな気持ちが脳裏を過る。
同時に、此処は安全な現代日本ではない、俺は武士の子だ鬼を倒すのは義務の内だ、鬼は人の生活を脅かす敵だ、とそれらを打ち消す論理も思い浮かぶ。
息が荒くなり、心臓の音が早鐘の様に聞こえる……。
これがせめて動物形の妖怪であれば、まだ気が楽だっただろうか? いや、恐らくは命を奪うということ自体に慣れが無いので然程変わらなかっただろう。
せめて鶏を絞めたり、食肉を解体するなどして多少なりとも慣れて置くべきだった。
そんな益体もない考えが頭を埋め尽くす。
行くことも引くことも決断できぬまま時間だけが過ぎていく、そんな時だ。
ヒュンっと風を切る音がして、一本の矢が小鬼の一匹に突き刺さった。
直後に響き渡る鬨の声と共に背負った鯉のぼりを揺らしながら、子供達が各々武器を手に駆け抜けていく。
どうやら俺が躊躇している内に件の徒党が追いつき、そして追い越していったらしい。
即座に俺が殺す、という状況で無くなった事もありつい安堵の溜息を付いてしまう。
「ふむ、大人の心を持っているだけあって、殺すと言う事に躊躇が有るようでござるな」
兄上の発したその言葉には非難の色は無く、むしろ感心したと言った風情にも聞こえる。
「殺す事を戸惑うのは人として当然の事とそれがしは思う。それがしとて幾程の鬼や妖怪を斬ったか数え切れぬが、一度たりとも殺す事を楽しんだ事は無い」
そこで言葉を切り、だが……と改めて口を開く。
「ああして徒党で一方的な形で初陣を済ませるのはそれがしとしては感心せぬ。あれでは互いに手柄の取り合いばかりに逸り、殺し合いをするという覚悟を醸成する事が出来ぬ。あれでは強い武士は育たぬでござろう」
そうして話をしている内に、彼らは小鬼を倒しきったのか、はしゃぎ回る子供達の声がはっきりと聞こえてきた。
世界が違うのだから倫理観も価値観も違うのだろうが、それでもその子供達の声が俺には決して健全な物であるとは思えなかった。




