二百九十六 志七郎、秘術を目の当たりにし曙を見る事
御幣を振り鳴らし、呪文を唱え、踊り狂う……。
見る者が見なくとも怪しげな儀式は、少しずつ少しずつ速さを増していく。
二足歩行に適した作りの身体では無い猫達は、回り続ける内に一匹また一匹と前のめりに倒れ込み、そのまま本来あるべき四足走行へと移り、更に更に加速する。
氣に依る動体視力の強化をしている俺の目には、その姿が未だはっきりと映っているが、常人の芝右衛門には最早『一繋がりの何か』にしか見えて居ないだろう。
それでもまだ序の口と言いたげに、更成る加速をしていく内に、御幣を手に最後まで二足歩行で粘っていた小松もそれを手放し四足へと移行する。
只猫が至るのは不可能であろうその速度は、既に地上最速の動物と言われるチーター超え、際限なく速さを増していく様に見えた。
自らバターにでもなろうと言うのか、決して止まる事無く回り続ける内に、静電気の弾ける様な音を響かせ始め、さしたる時間を置く事も無く放電にも似た輝きを帯びていく。
猫魔達から放出される妖力が臨界点に達したのは、時速88マイル に達したその瞬間だった……と言うのは後に聞いた話で有る。
突如として爆発的に膨れ上がった妖力は、衝撃波を伴い俺達を包み込む。
「ちょ!? ばっか野郎! 此処までやるなんて聞いてねぇぞ!」
慌てた様子でそう叫び声を上げながらポン吉は、この場で唯一の只人で有る芝右衛門を庇う様に前へと飛び出し、襲い掛かる妖力の波に氣を叩き付けた。
だがポン吉の拙い氣功では、落雷のそれにも等しい膨大な妖力を相殺するのは不可能だっただろう。
それは彼自身とて理解していただろう、それでも身を挺して友を護ろうとする男を、見捨らてる程、俺は軟弱者に成り下がった覚えは無い。
意識加速を用いずとも彼より早く反応し、更に前へと飛び出す事が出来たこの身体は、幼いながらも既に、前世の俺よりも高い身体能力を持っているのではなかろうか?
無意識に纏う程度の物では無く、自らの意思で心臓から絞り出した氣は、普段よりもずっと容易く膨れ上がり、礼子姉上より……いやお祖父様が放つそれよりも強大な物に感じられる。
「波ぁぁぁあああ!!」
自分でも制御仕切れそうに無い氣の奔流を、せめてその方向だけでも調整しようと歯を食いしばり……そして突き出した双掌から撃ち放つ。
妖力と氣がぶつかり合い、更なる衝撃が大地を震わせ岩山に罅を入れ、舞い上がる粉塵が辺りを染め上げ、数瞬の後再び視界が開けた其処に広がっていたのは、築地の魚河岸も斯くやと言わんばかりに、死屍累々と横たわる猫魔達の姿だった。
「……小松!? 葵!? 勝!? アルノー!? 戎丸!? 虎!? たまご!? お銀!?」
果たして彼等の儀式は成功したのか失敗だったのか……そんな事よりも倒れ伏したままピクリとも動かぬ猫魔達を心配の声を上げる芝右衛門。
だがそれに対する答えが返って来るよりも早く、中天高くに一際大きく輝く真の銀の鏡の様な月から一雫の光が音も無く滴り落ちる。
ほんの小さな輝き、だがそれはこの場に居る者達皆の視線を引き付けるだけの圧倒的な存在感を秘めており、力尽き絶え横たわる猫魔達すらも眩しそうに薄目を開けてそれを見つめていた。
輝く光の雫、それは儀式によって呼び出された魔力とでも言うべき力の雫なのだろう。
それが卵に落ち吸い込まれる様に消えるまで、ほんの一瞬の事だった。
と、同時に雲が掛かった訳でも無いのに月の光が消え失せ、暗闇と沈黙が辺りを支配する。
何かが起こる前兆としか思えぬその状況に、誰もが身動ぎ一つせず、物音一つ立てる事無く、固唾を呑んで結果を見守った……が、
「……何も、起きない?」
最初にそう口にしたのは誰だっただろう、けれども間違いなく誰かがそう言い、その言葉の意味が浸透するとやはり誰とも無く落胆の溜息が漏れる。
通夜の様な重苦しい雰囲気が辺りを包み込み、先程までとは別の意味合いを含んだ沈黙が辺りを包み込みかけた……その時だった。
「まだだ! まだ終わってない!」
チカラを使い果たした筈の小松がそんな叫び声を上げながら、蹌踉めきつつも立ち上がったのだ。
そして瞳を焼く様な眩い、それこそ太陽の様な光が辺りを白く染め上げる。
光源は当然の様に猫魔達の中心に鎮座したダチョウの卵だ。
溢れ出した光と共に何かが罅割れ、そして砕け散る音が響き渡った。
「……成功かい?」
そんな疑問符の付いた声を上げたのが誰だか俺には判別が付かなかったが、女性らしいその声色から察するに芝右衛門の所の猫魔の内の誰かなのだろう。
「たぶん?」
「きっと?」
「おそらく?」
「めいびー?」
それに続いて聞こえる返答もまた疑問符が付いた物ばかりである。
目を開ける事すらも憚られる白い闇とでも言うべき物が収まり、再び開けた視界の先に有った物……それは一台の大きな特殊簡易公衆電話であった。
「見よ! これぞ秘奥義『冥界伝話』の術! 成功……ちゃんと成功したよ!」
感極まった様子で涙混じりに雄叫びを上げる小松の言葉を聞いて、歓声と拍手が巻き起こる。
「これで……おミヤと連絡が付くんだ?」
妖術、秘術の類としては余りにも機械的なそれに、俺は思わず懐疑的な声でそう問いかける……すると、
「いや……宮古御前の連絡先なんて私ゃ知らないからね、先ずは知ってそうな奴に連絡を取って、確認しなけりゃ成らないよ……」
気不味そうに視線を逸しながら返って来たそんな言葉に、一同揃ってズッコケたのは仕方の無い事だっただろう……。
「えーと、千、十、マル……っと……。あ、もしもしセンちゃん? お久しぶり……嫌だねぇ私だよ、私、私……? え? 私ワタシ詐欺? 違うよ、九段下の小松だよ……」
メモも見ずにダイヤルを回し、昔馴染みらしい誰かにそう問いかける小松。
対して俺を除く皆は、見る物は見終わったと言わんばかりの態度で、暇つぶしモードに突入している……その雰囲気は完全に白けた感じなのはきっと気のせいでは無い。
ポン吉は囲碁の精成らぬ将棋の精とでも言うべき付喪神を相手に将棋を指し、ソレを観戦する草履大将に瀬戸大将。
琴古主に琵琶牧々、三味長老が音楽を奏で、それをBGMに芝右衛門は小松を除く他の猫魔達を労う様にブラシを掛けている。
土煙を被って汚れただけで無く、毛皮が所々焦げたり禿げたりしているのは、まず間違いなく先程の儀式に依る影響だろう。
「……うん、そうだね……有難うね……うん、また連絡するよ、ソレまで達者でね……」
と然程待たぬ内にそんな事を言いながら小松は一旦受話器を置き、改めて……今度は通話中に取ったらしいメモを見ながらダイヤルを回す。
「……もしもし、猫田さん? お久しゅう、九段下の小松だよ。元気してたかい?」
「……もしもし、猫野塚さん? お懐かしゅう……」
「……もしもし?」
「……もしもし?」
……
…………
………………
いったいどれ程の時間が経っただろうか……と言うかいったい何件掛ければ当たりに辿り着くのか、そろそろ東の空が白み始め、時間潰しをしていた他の者達もいい加減暇が過ぎたのか、寝こけている者すら居る始末だ。
「もしもし……、あ、私、九段下は玉葱長屋の小松と申します、笹原様のお宅で間違いないでしょうか……いいえ、インターネット回線の勧誘じゃぁ有りません……、いえ、学習塾でも無いです……」
と、今までの親しげな様子とは違い、改まった態度で話しかけているその相手は、彼女の知り合いと言う訳では無い様で、迷惑伝話の類と勘違いされている様だ。
「……はい、はい、有難う御座います。はい、はい、その辺は確りと……はい……重ねて御礼申し上げます……。はい、失礼致します……」
それでも根負けする事無く、丁寧に丁寧に説明を重ね、そんな言葉で会話を締め括り、受話器を置く。
そして……
「大分待たせたね! 宮古御前の連絡先が解ったよ!」
小松が振り返りそう言って笑った瞬間、東の空から一筋の光が差し込んだ……どうやら日の出の様だった。




