二百九十四 志七郎、立場を語り友吠える事
俺の形見となった私物の携帯は、碌にデータ消去もされぬままポン吉の手に渡ったそうで、履歴とお気に入りの大半を占めるネット小説を見られてしまったのだと言う。
いやまぁ、子供の頃からプライベートの大半を共にし、お互いの趣味性癖の類はほぼほぼ把握した者同士、今更見られた所で別段何と言う事も無い。
そもそも幼馴染で同門の剣士だと言う事よりも、それ以上に揃いも揃って世間一般から見ればヲタク系と分類されるで有ろう趣味に傾倒していた事こそが、未だに続く交友関係の根っこだったと言えるのでは無いだろうか。
俺はネット小説がメインでは有ったが所謂ライトノベル、芝右衛門はアニメと声優、そしてポン吉は子供の頃には普通にファミコンやゲームセンターのゲームだったのが、高校進学を機にパソコンを購入してからは子供には見せられないゲームにドハマリしていた。
ソレだけならばまぁ、若い男だし仕様が無い事とスルーできる話だが、問題は此奴が好むキャラクターの容姿や年齢に極端な偏りが有ると言う事だ。
礼子姉上や瞳嬢よりも、鈴木のお花さんや睦姉上の方に食指を動かしかねないと言えば、その危険な方向性がご理解頂けるのでは無いかと思う。
流石に現実でそう言う方向に目を向ける様な事は無かった筈では有るが、万が一此奴が事件を起こし俺や芝右衛門がインタビューを受ける様な事が有れば、
『あの人が真逆そんな事をするなんて……(プライバシーの為音声を加工しています)』
等とは口が裂けても言えず、きっと
『何時か……何かやるんじゃないかと思ってたんです、彼奴はやる時はやる男なんで……(プライバシーの為音声を加工しています)』
そんな答えを全国のお茶の間にお届けした事は想像に難く無い。
「あのな、現実は小説みたいに簡単じゃないんだよ。向こうと此方を簡単に行き来出来るならまだしも……」
と、そんな内心はおくびにも出さず、これ見よがしの溜息を吐きつつそう言い返す。
実際、ある程度自由になる銭を手にし、それなりに江戸での生活にも慣れてきた頃、転生チート物の小説で多々見る様なテンプレ的な商売が出来ないか考えた事は有るのだ。
先ず食事関係、照焼場賀や高良なんかが紛い物とは言え既に有るのだ、当然の様にマヨネーズも有ればケチャップなんかも有ったし、街を歩けば拉麺屋だって見かけなくは無い。
次に農業関係、郊外の田園地帯へ行けば当然の様に肥溜めは有るし、テンプレチートの代名詞の様な四輪農法も『田畑輪換』と言う名で似たような事は既にされていた。
ならば蒸気機関を作って産業革命でも起こしたろか! とも考えたが、正味の所自力でそんな物を作る技術は俺には無いし、何処かの職人に依頼し作るとしても、それに掛かるだろう莫大な費用を藩の財政から出す権限が無い。
と言うか、家安公と言う財力的にも権力的にもそれらを作らせる事が十分に可能な前例が居るにも関わらず、ソレが作られていないのだから未だ子供に過ぎない俺が手を出すには少々以上に荷が勝ちすぎる。
今回俺が態々トランクスを大量購入したのも、向こうでは布製品がべらぼうに高く、そう簡単に使い捨て出来る様な代物では無いからだ。
木綿一反で六百文前後、一反の布地でだいたい大人の着物が一着作れる程度の大きさが有り、ソレを裁断して作る褌は一反から十枚程度で有る。
一枚1,500円と言われれば、然程高いとは感じない金額かも知れないが、飽く迄もソレが最低ラインの額面なのだから、それなりの収入が有る者ならば兎も角、一般庶民がそれを身に着けないのも解らない話では無い。
とは言え、洋装を好む智恵子姉上やお花さんは普通に此方の物と然程変わらぬ洋風の下着を身に着けている事を、風呂の利用時間が女性陣と一緒だったが故に知っていた。
兎角何をするにも、一万石少々の小大名の四男坊と言う立場がネックで、武名は知られる様に成ったとは言え、それとて飽く迄も『幼い割』と言う程度に過ぎないのである。
……と、そんな侭ならぬ現在の境遇に付いて説明していたその時で有る、
「一寸待てお前、ばいんばいんのお姉さんと混浴だと!?」
「一寸待てお前、つるぺったんのロリっ子と混浴だと!?」
血走った瞳で俺を睨みつけ、血涙すら流さんばかりの凄まじい形相で、
「「ソレ以上のチートが有るか! 魔法使いの癖に羨ましいぞ、こん畜生! 文句を言う位なら俺と代われ!」」
心の底から溢れ出し、氣すら篭められた魂の叫び声を上げた。
内容が微妙に違えども綺麗に揃ったその声は、山をも超えて微香部の町にまで届く程の物だった。
表情にこそ何も出しては居ないが、きっと内心では色々と思う所も有るだろう、女将さんの何の感情も篭もらぬ視線に見送られながら料亭を後にし、そこから更に山へと入った場所へとポン吉が運転する黒塗りのバンで走って行く。
窓から見える光景は、人の背丈よりも高く育った芒の間に、辛うじて車で走れる程度の轍道で、地元の土地勘が有る者でも乗り入れる事は無いだろう、そんな犯罪の臭いがプンプンと感じられる場所だった。
コレが昼間なら丸っきり死体遺棄事件の捜査に行く時と同じ光景だな……、若しくは肝試しに廃村へでも行くルートか?
そんな場所にも関わらずポン吉は慣れた道と言わんばかりのスムーズな運転をしてる。
だが考えてみれば轍道が有る以上、それなりの頻度で此処を通る車が居ると言う事だが、どんな理由に依る物なのか、元警察官として気になる様な、気にしては行けないような……
「随分と凄い所を走ってるけど……何処に行くんだい?」
どうやら俺と同じ事を思っていたのだろう、大量の荷物に埋もれた後部座席では無く、助手席に座った芝右衛門が疑問の声を上げる。
「ああ、微香山だよ。俺が昔通ってた大学の近くに化物退治に丁度良い場所が有るんだわ。此処はそこへ行く近道ね、もう少しすりゃちゃんとした道に出るぜ」
曰く、山の反対側の麓をぐるりと回り込む様に舗装された道路は有るのだが、山の中腹を突っ切るこの道の方が三分の一以下の時間で目的地へと付けるのだそうだ。
とは言えこの道は、ポン吉の通っていた大学の敷地を突っ切る形に成る為、明確に言うならば不法侵入と言う事に成るが、自家用車で通学する学生が毎日走っている上に、此処を知るのは関係者ばかりという事で、黙認されているのだと言う。
芒野原が途切れ山らしい木々の間を走り抜けて行くと、然程遠くない場所から滝音が聞こえてくる。
そこは学生達が滝行をする為の場所だと言うのだから、流石は仏門科専用キャンパスとでも言うべきだろうか?
「……あれ? 確かポン吉の宗派だと、滝修行とかはしないんじゃなかったっけ?」
「カリキュラムに有る訳じゃねぇよ。滝行同好会つーか、サークル活動みたいなもんさ。つか、坊主に成るのに絶対大学行かなきゃ成らねぇ訳じゃねぇし、ウチの大学は宗派も曖昧だし……なんで俺ぁこの大学行ったんだかな?」
二十年近く前に自身で下した選択に、疑問符を浮かべながら首を傾げつつ、そう答えを返したのと殆ど同時に舗装された地面へと入った様で、車の揺れが大人しく成り木々が途切れ開けた先に立派な木造の寺が姿を見せる。
木造瓦葺きの建物は向こうの江戸にも多々有るが、この如何にもお寺と行った風情のこれ程、大規模な建物を今生で見るのは初めてだ。
高校の修学旅行で行った京都の神社仏閣に、勝るとも劣らぬ風格を湛えたその佇まいに思わず息を飲む俺と芝右衛門だったが、
「笑えるだろ? アレが本校舎なんだぜ、中身は当然鉄筋コンクリ造りでよ、見てくれだけなんだわ。張り子の虎ってのはこう言うのを言うんだろうよ」
と関係者しか知らぬであろう事を口にしたポン吉に、俺達はなんと返して良いのか解らず、思わず顔を見合わせるのだった。




