二百九十三 志七郎、懐かしきを口にし家族を思う事
「デラックスサンドセット二つと、和風カツサンドを単品で一つ。ドリンクはコーラとジンジャーエールで」
『畏まりました。 お会計2050円に成ります、お車お進めに成ってお待ち下さい』
「はい、有難う」
国道を走り微香部町へと戻る道すがら、他店では何度と無く食べた事が有るが、此処には無かった筈のファーストフード店を見つけ昼食はソレにする事を提案した。
此処等一帯はどの町も少し郊外へと出れば、田畑が広がっている。
長閑な田園風景の中にポツンと一件だけ立ったその店は、前世に俺が通った時には無かった筈の物だ。
「別に急ぐ用事が有る訳じゃないんだから、こんなジャンクな物じゃなくても良かったんだよ?」
指定位置に車を止め直し、財布を開きながら芝右衛門がそんな言葉を口にする。
「向こうじゃぁ、ファーストフードなんて食べられないからね……、それに久し振りにちゃんとしたコーラが飲みたかったんだよ」
捜査状況に依ってはどうしても食事に時間を割く事が出来ず、ファーストフードで食事を済ませる事は多々あったが、その頃から赤毛の道化師がマスコットのハンバーガーショップより、白スーツのお爺さんの店をよく利用していた。
料理その物の味も然ることながら、何よりも俺にとって重要だったのはコーラが『赤白』では無く『赤白青』の方だったと言う事だ。
向こうでも類似品の様な物は手に入らなくは無いが、飽く迄も類似品に過ぎず、その味わいは駄菓子屋なんかで売っていたコーラ味の粉ジュースに近い物だった。
それにキンキンに冷えても居なければ、氷が入っている様な事も無く、トータルで比べてしまえば、やはり二段も三段も落ちる物で、態々高い銭を払って好んで飲む様なものではない。
此方の江戸時代とは違って鎖国政策も無ければ、肉食を忌避する文化も無い向こうの江戸でもハンバーガーを取り扱う見世は有るが、その大半は素材は良くても雑な調理技術しか無く、偶に食べるには良いけれど……と言う程度の物に過ぎないのだ。
とは言え此方に生きていた頃でも、ファーストフードを好んで常食していたと言う訳では無いので、そもそも然程好きではないのかも知れないが……。
『お待たせ致しました。はい、丁度お預かり致します。商品気をつけてお持ち下さいませー』
然程長い時間待たされた訳では無いが、そんな言葉と共に差し出された品を受け取りそのまま俺へと渡すと、アクセルを吹かして車を出す。
久し振りに口にした愛飲のコーラは記憶に有る物よりも幾分か甘く、炭酸の刺激はずっと心地の良い物と感じられた。
「……そんなに好きなら俺の分も飲んでも良いけど、その身体じゃぁもう一杯飲んで飯も食って……は厳しいんじゃないのか?」
思わずMサイズを一気に飲み干す勢いだった俺に、苦笑を浮かべそんな言葉を掛ける芝右衛門、その口ぶりは完全に親戚の子供に対するそれだった。
「んで結局セット一人前も全部食い切れなかったってか」
信楽焼の狸の様な腹を抱えて爆笑しつつポン吉がそう言えば、
「と言っても残ったのはポテトだけだし、それも見越して俺の方は少な目に注文したから問題には成らなかったけどね」
微苦笑を浮かべて、そんな事を曰う芝右衛門。
袈裟の下でも隠れぬメタボリックな腹を持つポン吉も、比較的スリムでカマーベストがよく似合う芝右衛門も、剣道有段者と言う事も有ってかよく食べる。
一食二人前、三人前は当たり前だし、若い頃には三人揃ってチャレンジメニューに挑戦するため、態々都内まで遠征したりもしていた事も有る位だ。
仕事を終えたポン吉も合流し夕食を取りにやって来たのは、山間にひっそりと佇む料亭だった。
精進料理を売りにしているらしいこの店に、女色肉食なんでも御座れな宗派のポン吉が出入りしている事に少々の驚きと、同時に今生での生活で上等な和食を常食としている俺をこんな店に連れて来た事に挑戦めいた物を感じていた。
けれども出された料理を口にした時、その思いも霧散する。
山菜を中心とした和食……と言うカテゴライズに間違いは無かったのだが、出される料理の大半が向こうで食べた事の無い物ばかりだったのだ。
胡麻豆腐、飛竜頭と筍の煮物、刺身蒟蒻……と、肉や魚と言った『動物性蛋白質』を一切含ま無い料理と言うのは、向こうでは口にする機会は無かった様に思う。
だがその味わいは間違いなく上質な和食で、向こうでも中々食べられないレベルの料理だった。
「お前さんから聞いた話でよ、ちょいと気になってた事が有ったんで此処に連れて来たんだがね。多分向こうにゃぁ仏教が無ぇんだろうよ」
自身が笑いの種にされているにも関わらず、料理に集中していた俺の態度に、ポン吉は今度は悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべてそう切り出した。
此方の世界の江戸時代とよく似た文化を持つ火元国と江戸の町、二つの決定的な違いは其処に有るのだろう、とそう口にする。
言われて見れば、向こうの町並の中に神社は有れども仏閣――寺は無く、神職は居ても僧侶――坊主は居ない。
俺にとって最も身近な僧侶と言えば、ポン吉とその父の狢小路親子で有り、彼等は肉も食えば女房も娶る、仏教の戒律とは遠い宗派の者だった事も有ってか、肉食が当たり前の江戸の食生活もそんな物だろう、と考えていたのだ。
が、こうして生臭類を一切使わずに、色とりどりの料理を出された上で、ソレを敢えてはっきりと指摘された事で、向こうでの生活の中で感じていた色々な違和感に気が付いた。
よくよく考えて見れば、日本の文化と言う物にとって『仏教』は決して軽い物では無い。
向こうでよく口にしていた、饅頭や羊羹も、大本を辿れば前者は肉饅で有り、後者は文字通り羊の羹――スープの様な物――で有る。
それが今の様に小豆を用いた物に変わったのは、肉食が禁じられたが故の代用品で、仏教の無い向こうで自然発生したとは考え辛い。
「つまりあの世界の江戸文化……日本文化に良く似た火元文化とでも言うべき物は、俺の様に此方の世界から向こうへと渡った者達に依って形作られた……と言う事か」
少なくとも家安公の様な大物が何の影響も与えて居ないと言う事は無いだろうと、一人納得しそう口にする。
「とは言え、菜食が仏教の専売特許って訳じゃぁねぇけどな。仏教徒じゃない欧米人にだってそう言う主義の人間は居るしな。そもそも仏教だって最初っから菜食を掲げてた訳じゃぁねぇ」
俺だって酒は飲まねぇが肉は食うしな、と笑いながらそう言うポン吉。
一体何が言いたいのか、今ひとつ理解できず、どう返せば良いのか思案する。
「だらけた事を口にしていても、基本生真面目なケンの事だから向こうでも、規律やら法律やら難しく考えて生活してるんだろ? 生まれ変わったんだから、好きに生きれば良いんじゃないかな」
と、今度は気遣わしげな表情でそんな事を口にする芝右衛門、その言葉で、二人の思いに得心が行った。
二人の中には、家族と確執を感じたまま命を落とし、未だ家族を恨み苦しんで居る……とそんな思いが有るのだろう。
いや、それは俺の中に有る物では無く、俺が死んだ後ソレに苦しみ藻掻く家族を身近に知っているからかも知れない。
此方の世界へと来てから、家族に会うどころか話題にすら上げていない事でそう誤解されているのだろうか?
そんな事へと思い至り、今度こそ返答に困ってしまった。
考え方の違いは有れども、家族が俺の事を思っていてくれた事は、既に理解しているのだ。
向こうの世界へと帰る事が大前提で有る以上、家族とは会わない方が良いとそう判断しただけなのだが……。
言葉につまり黙り込んでしまった俺に対し、ポン吉はただ黙って一口茶を啜り、そしてそれから、
「……色んな物を持ち込んで、手前ぇの好きに文化を弄くり回した前例が居るんだろ? ならお前ぇさんが自重する必要はねぇじゃねぇか。 色々と持って帰れそうな物買い漁って行けば良いじゃねぇか。好きだったろその手の話」
重々しい口調でそんな馬鹿な事を言い出した。
「「って、そっちかよ!?」」
芝右衛門と声を揃えて、思わず突っ込んでしまったのも、仕様が無い事だっただろう。




