二百八十九 志七郎、語り合い立ち会う事
今楠寺、禿川の楠山の麓に戦国時代末期に建立された寺で、今の千薔薇木県微香部町は、その門前町として発展した地域で有る。
この町だけで無く、近隣地域一帯で最も権威ある寺として、江戸の頃にはわざわざ江戸からお参りに来る者も当時は決して少なくなかった。
だがその発展も交通網が発展し東京まで電車一本で行ける様に成ると、碌な産業も無ければ観光地として力を入れて整備もされていなかったこの町は、あっという間に衰退の色を見せ、遅ればせながら現在はベッドタウンと成るべく政治の舵を切ったばかりの町だった。
今楠寺は片田舎の寺としては十分過ぎる程の土地建物を有するが、それもそんな歴史背景が有るが故の事で、現在ではただただその維持管理に膨大な費用を食うだけのお荷物……だと言うのが、以前聞いた本吉の弁である。
黒塗りの――誘拐の代名詞にすら成った車種だーー奴の車で、裏手の駐車場へと乗り付け深夜の墓場を抜け、連れてこられたのは『開かずの蔵』だった。
「お前さんが本当にケンなのかどうかは知らねぇが……兎角そんな妖気をプンプン振りまかれちゃぁ、余計な化物が寄って来ちまうからな。ワリィが取り敢えずその物騒な物は此処に仕舞ってくれや」
子供の頃には、此処の側で遊ぶと神隠しに合うなんて事を言われたが、その鍵が開かれた瞬間にその理由が理解出来た。
俺の装備は妖怪の素材を用いて作った物だ、鬼や妖怪との戦いが日常茶飯事で有る向こうの世界で慣れて居る所為か俺には良くわからないが、ポン吉の言う通り少なからず妖気を孕んでいるのは間違いないだろう。
だがそんな俺ですらも感じ取る事が出来る程に濃密な、背中の毛が総立ちに成る程の妖気がその中には満ち満ちて居たのだ。
けれどもその大半は誰かを傷つける様な暗い物を孕んではおらず、ただただ疲れたと言わんばかりの物で有る。
「此処は歴代の退魔僧達が倒しきれなかった妖怪達の欠片が封じられている場所でな、長い事開けてる訳にはいかねぇんだわ」
ポン吉の言に拠れば、此方の世界の妖怪は体の一部が奪われたとしても、再生する事は無く生きている限りは、必ずと言ってよいほど奪還しに来るのだそうだ。
そして命を失えばその存在は、無かったかの様に世界の圧力に押しつぶされ、完全に消滅する。
向こうの世界の様に妖怪の欠片が残る事は無い以上、俺が纏うこの装備はこの世界に於いて有り得ない物で有り、その装備から漏れる妖気は欠損部位を取り戻す事を望む妖怪達に狙われるには十分過ぎる物だと言う。
向こうならば丸腰に成る事に抵抗を感じなくも無いが、此方が俺が知る通りの世界ならば得物を佩いている事自体が犯罪だし、奴の言う通り余計なトラブルに巻き込まれ時間を無駄にはしたく無い。
「……安くは無い物だから、ちゃんと管理してくれよ? ついでだからコレも一緒に仕舞って置いてくれ」
兜の緒を緩め、そう言いながら懐に仕舞った黒光りする鉄の塊を差し出した。
「拳銃って……おいおい、お前さん本当に何処から来たんだよ……」
引き攣った笑みでそれを受け取る彼を尻目に、俺は鎧兜を脱いで行くのだった。
「んで、お前さんはあの『隠神剣十郎』がおっ死んだ後、生まれ変わった姿だと……そう言いたい訳だな……」
俺の身の上話が一段落すると、煙草を灰皿に押し付けながら、一口茶を啜り、それから頭を掻きつつそう言葉を返す。
その口ぶりは、信じられない話を飲み込もうとしている様子が有り有りと感じられた。
だが……
「その話が本当だとして、彼奴……剣十郎がくたばってからまだ二年だぞ? 見る限りお前さんは四、五歳って所だろ? 時間が合わねぇだろう」
冗談にしては笑えない、普通ならば到底信じられる話では無い、という思いと共に、俺が彼に使った霊薬や身に纏った装備等、事実と感じさせ得る証拠を目の当たりにし、迷いがある様にも見える。
と言うか……
「俺が死んでから二年しか経ってないって言う方が驚きなんだが……。でも、まぁ……此方と向こうじゃぁ、時間の流れが違うんだろうな……きっと」
俺の知る上様は七代目で有り幕府が開かれてから既に百五十年近くが経っている、肖像画等で見る家安公はリーゼントに学ランとどう考えても百五十年前の日本から来たとは思えない。
隣接する他の世界から来たと言う可能性は十分に有るだろうが、なんとなくでは有るが俺と同じくこの世界の出身なのだとそう思っている。
「って、お前さんの考えが事実だとすりゃ、此方に居られる時間はそう長く無いって事じゃねぇのか?」
世界と世界の壁を超える『界渡り』は、普通の人間では意図的に行う事は出来ない、未だ『神の内』で有る七歳までの子供で無ければ成らないのだ。
向こうと此方の時間差がどれほどの物かは、はっきりとは解らないがポン吉の言う通り、然程時間が無いのは事実だろう。
「それでも俺は向こうへ帰りたい、此方の世界に未練が無い訳では無いけれども……、ソレだって所詮は趣味の類に付いての事だからな」
読みかけのネット小説、書籍化決定後結局買う事が出来なかった作品が幾つか、あとはエター化した作品の幾つかが復活しているかも知れない……未練らしい未練と言えばその辺の事位だ。
「お前さんの話をまるっと全て信じた訳じゃぁねぇ……が、お前さんが尋常の者じゃない事ぁ間違いねぇ……。俺がきっちりお前さんの事を信じるに足る証明が無けりゃぁ……な」
自分が知らなかった超常の世界に関わる彼の協力を得る事が出来れば、帰還に近づくのは間違い無いだろう。
逆に彼にそっぽを向かれる様な事に成れば、この幼い身体では生活すら儘ならないだろう。
まぁ、色々と後ろ暗い方法で稼ぐ事自体は出来ないくは無いだろうが、武士の誇り云々では無く俺自信の矜持としてやりたくは無い。
彼が言う俺が俺で有る事の証明……何を以てそれを示す事が出来るだろう。
それを考え、ほんの一時沈黙する。
「まぁ……今夜はもう遅い、取り敢えず寝るか……面倒事は明日だ明日。流石に連続で厄介事抱えすぎて疲れちまった……寝床なら幾らでも有るからな、お前さんも一眠りしておけや」
と、大あくびをしてポン吉は、自室へ向う為に踵を返すのだった。
普段身に纏う物と比べ随分と軽い防具を身に纏い、鋼の刀と比べるまでも無く軽い竹刀を正眼に構える。
何方の方向を見ても面金が見えるこの狭い視界も、随分と懐かしい物に思えた。
目の前に立つ相手は『氣』こそ纏っては居ないが、全身から放たれる剣『気』は間違いなく本物だ。
立ち会うだけで肌を震わせる様な鋭いそれを受けつつ、八相の構えに良く似た構えを取る相手に、すり足でにじり寄る様に間合いを詰める。
殺気は無い、だがそれは此方の出方を伺っているが故の事、俺の腕前を見る為の立会と言う体裁で有るが故だ。
本来目の前の相手は、先の先を取ってたった一撃の面打ちで一本取りに行くのが本来の戦い方なのだ。
そこまで解っているのだから、此方から仕掛ければ良いのだが……隙が無い。
いや、全く無い訳では無いが、それは飽く迄も此方が打込み易い様に作られた物、言うならば誘いである。
其処に打ち込めば相手の思う壺、ならば……相手が確りと守りを固めている場所こそ打ち抜くべき場所だ。
討ち倒すまで、に必要なのは八手と言った所か?
そう読み切り、俺は手にした竹刀を振り上げるのだった。




