二十七 志七郎、奉行所へと参り、手形を手にする事
桂殿――俺は大名家の子、向こうは役持ち直臣の子、さん付けでは軽すぎ、当主ならば兎も角子供同士で様付けするのも違う、と敬称一つでもややこしいしきたりが有るらしい――がやって来てから、然程時間を置くこと無く俺達は建物の中へと案内された。
先にこの場に居た人たちも多数残っていたのだが、なぜか俺達が先に通される事に釈然としない物を感じる。
着ている物も着崩したりせず、髭丸という名前の割に剃り残し一つ無い面構え、それらを見る限りでは生真面目でお固い役人と言った人物に見え、友人だからと兄上を優先するようには決して思えない。
「別に朋友であるから先に通したのではないぞ。此処は駆け出しから下位の鬼切り者が集まる場所でな、精々犬猫程度の能力しか持たぬ者達の中に龍や虎を置いておけば、連中が萎縮して使い物にならなくなる。そうなる前にさっさと追い出したい、というだけだ」
確かに強者や手練と呼べそうな者は見当たらなかったが、それでも犬猫扱いはどうなのだろう……。
兄上が居て萎縮すると言うならば、それと同等の実力者である桂殿が居ても同じ様な事に成るのではないだろうか?
「拙者は鬼二郎と違って自重と言うものを知っているからな、喧嘩と見れば後先構わず乱入し、戦場でも常に一騎駆け……そんな輩と一緒にされても困る」
特に何も言っていないのにそう言われるのは、相変わらず顔に出ている為かと思ったが、今日は頬面をつけているので、表情は解らない筈だ。
ううむ、さすがは達人……と言うことだろうか……。
そんなやり取りをしながら建物に入ると、役所らしいといえるのは簡単な縁台と机が数個あるだけで、その広さの大半ががらんどうで所々にしめ縄が巻かれた岩が浮かんでいた。
ちょうど俺達の前に入って行った一団がその岩の一つへと近づき静かに手をのばす、と彼らは光の柱となり、直後にはその姿を消していた。
「おおっと、テレポーター!?」
ファンタジーやSFと言ったフィクションではよく見かけるギミックだが、それが目の前で展開してる様子に思わず声が出る。
「て? てれ? なんだそれは? あれは遠駆要石と言って、対と成る要石の場所へと行ける術石でござる」
兄上によると、あの浮かんだファンタジー臭漂う岩は一度行ったことのある場所へと瞬時に移動できるもので、ここからは江戸周辺に無数ある戦場へと行けるように成っていると言う。
「俺は江戸から出たことは有りませんから、意味がないのではないですか?」
「今日はそれがしが一緒でござるからな、此処の石ならば全て飛ぶことが出来る。まぁ初陣であるし小鬼の森あたりが無難でござろう」
どうやら此処はお約束通り、一緒に飛ぶ誰かが行ったことがあれば良いらしい。
「奉行所としては自力でたどり着く事を推奨している、だが町人や江戸の武士達は兎も角、各藩に属する者は御役目の都合等もあるから強制までは出来ぬがな」
そう言って桂殿が机から何やら木板の様なものを取り俺に差し出した。
五角形の白木の板、その表面には意匠化された鬼と交差する刀という文様が描かれている。
「この鬼切り手形は鬼切り者の証であると同時に、各地にある要石を利用するための鍵となる。また、要石を使わずに帰ってくる場合でも関所を抜けるのには必須であるから、万が一にも無くさぬ様注意せよ」
「はい……ってうわ!」
手渡された手形を手に取ると、唐突に閃光が迸った。
どうやらこの手形自体が何らかの術具だったようで、この反応は普通の事なのだろう。
慌てた様子を見せる俺に兄上も桂殿もが、イタズラが成功した子供の様な笑みを浮かべている。
「ほう、初陣前の五つの童子その格は七か……。それがしは確か同じ五つの初陣で五であったからそれがしより上でござるな」
「貴様は五つの時分で既に元服前後と間違われる様な巨漢だったらしいではないか、未だに奉行所でも語りぐさになっておるぞ……。拙者は十の時に初陣に出たがたしか七であったかな?」
そんな二人を呆れた目で見つめるが、そんな事は知らないとばかりに話を逸らされた。
聞けば格というのは概ねの強さを示す数字であり、格が高いほど強いのは間違いないが、格が同じであっても必ずしも同等の強さを持っているという訳でもないらしい。
事実、二人は大体同等の強さであると共に認めているが、兄上が六十なのに対し桂殿は四十五と15もの差が有る。
長時間の殺し合いであれば格が高く体力のある兄上が有利だが、剣術の試合であれば技量と速さに優れる桂殿が有利、との事で総合的に見れば互角と言うのが二人の共通した見解だ。
そんな話を聞き改めて手形を見ると、名前の他に『格 七』と『称号 無』と記載されている。
裏側には『所属 猪山藩 猪河家』『身分 七子 無役』 などとも書かれている、どうやって居るのかは解らないが、これも初祝の鏡同様ファンタジーアイテムなのだろう。
「普段は見えぬがこの手形には、倒した鬼や妖怪、捕らえたお尋ね者、犯した罪などが全て記録される。誰が見ておらずとも功罪共に魂へと刻まれこの手形に映し出されるのだ。故に鬼切り者は常に身を慎まねばならぬ」
先ほどまでの笑みを消し、桂殿が重々しくそう言った。
「しかり、喧嘩や果たし合い、試合の勝敗等もしっかりと記録されるからな、たとえどの様な大きな口を叩いていても、役場や関所で手形を改められればその者の経歴は全て解る。身を慎むのは大事でござる」
兄上も真面目な顔でそう言うが、身を慎むの方向性が明らかに桂殿のそれとは違う。
だが、それらが本当ならばこの世界は前世と比べて犯罪者に厳しい世界と言えるだろう。容疑者をある程度絞ることが出来たなら、後は手形を改めればそれが動かぬ証拠となり得る。
もっとも前世とこの世界では犯罪の定義が色々と違うようなので、恐らくそこまで簡単な物でも無いのだろうが……。
だが、それでもバレなければ犯罪ではない、という前世でよく使われた言葉はこの世界では通じなさそうとも思える、裁かれるかどうかは別として記録には残るのだ、罪を犯す事の重さは前世の比ではないだろう。
そんな物が無くても悪事を働くつもりなど毛頭ないが、それでも一層気が引き締まる思いがした。
「さて、手形の準備は出来た。他に問題が無ければ早速送り出そうと思うが、初陣だし小鬼の森で良いかな? 今日もそれなりに他の者達も行っている様だが不要な問題を起こしてくれるなよ?」
「解っておるわ、あくまでも今日の主役はこの志七郎ぞ、それがしはただの付き人でござる。たとえどの様な大群が来ようと、大鬼が来ようと相手をするのは我が弟だ」
笑いあいそう言い合いながらも、桂殿が先導し一つの岩の前へと案内された。
「さて、志七郎殿。先ずはお主の手形をかざすのだ。先方が登録されていないから転移は出来ぬが、ここへ戻るための登録が必要だからな」
言われるままに手を伸ばすとキンっと高い金属音と共に、
『大江戸、中央鬼切奉行所、遠駆要石、登録しました』
という声が脳裏に直接響き渡った。
「ふむ……無事登録出来たようでござるな。なれば戦場へと向かうとしよう。禿丸世話になったな」
驚きに目を白黒させる俺の手を取り、兄上はそう言うと自分の手形を手に要石へと手をのばす。
「だから、拙者は髭丸だ! 禿ではない剃ってるだけだ!」
そんな声に送られて、俺達は光に包まれた。




