二百八十三 志七郎、敵陣に踏み込み痛打を与える事
「せぃっりゃぁぁぁあああ!」
高らかな気合の声と共に手にした大薙刀を振り抜き、頭上から飛びかかって来る妖鳥を纏め叩き落とす。
両袖が翼に成った着物を纏い両足には猛禽の爪、長い髪を結い上げる事無く乱れたままにそれを振り乱しながら飛び来るのは姑獲鳥と呼ばれる妖怪である。
猪山と仁鳥山の屋敷へと伝令が走り先陣突入組の戦装束が届くと、おミヤが開いた穴から俺達は猫の裏道へと踏み込んだ。
それから然程も進まぬ内にこの襲撃である。
「礼子! 氣を込め過ぎだよ、アンタの技量ならこの位の雑魚、その半分でも十分さね!」
忠告の声を上げながら、俺達を轢き殺さんと突っ込んでくる燃える車輪から身を躱し、車輪の軸に座る女の顔面へと飛び回し蹴りを叩き込む。
片車輪と言う、その名の通り片方の車輪しか無い燃える牛車に乗った、子を拐う女の妖怪である。
「随分と! 豪華な! 歓迎! ですわね!」
泉姫は手にした薙刀を振るう事無く、逆手から鋭い氷柱を生み出し、それを手裏剣の様に次々と投げ、歪んだ景色の影から滲み出る様に現れる藁袋を担いだ肌の青い老婆の眉間を貫いていた。
あれは叺背負いと呼ばれる、夕暮れ過ぎに外で一人遊んでいる子供を手にした藁袋に入れて拐っていくと言う妖怪である。
「ふしゃー! うにゃにゃにゃー!」
興奮した猫の如き叫びを上げながら睦姉上は両手に持った匕首を、脇から滑り出てくる蛇の下半身を持つ女の妖怪の首に容赦なく突き立てる。
彼女が叫びを上げているのはただ興奮しての事では無い、あの蛇女が吹く口笛には人を惑わす効果が有るらしいのだが、おミヤの妖気を借りてそれを相殺しているのだ。
そんな彼女達の戦う姿を俺もただ見ているだけでは無い、おミヤの術で開いていた穴が閉じたその後ろから、金棒を振り上げ襲ってくる毛むくじゃら巨人に対して、銃弾を叩き込み、怯んだ所で十分な氣を乗せて斬り捨てた。
それは子背負鬼もしくはスプリガンと呼ばれる、自由に子供の姿に化ける事が出来、友達と思わせた子供を拐い貪り喰う、町中に紛れ込むと極めて厄介な妖怪――道具を使う智慧は無いらしく分類上は鬼では無い――だ。
俺達が入り込んだ場所は敵陣の中心から然程遠く無い、それ故に四方八方を敵に囲まれた場所だったのである。
「ええい、限りが有りませんわ。皆様、大きいのを放ちます。一気に進みますわ!」
既に数えるのも面倒に成る程の鬼や妖怪を斬り捨て撃ち落としながらも、殆ど前へと進めぬ状況にしびれを切らした様子で泉姫がそう言い放った。
「銀竹よ生えよ、垂氷よ落ちよ、氷花よ舞え! 秘術、白刃吹雪」
彼女の言葉に呼応し、地面から空から所構わず氷柱が現れては鬼を貫き、幾つもの巨大な氷の結晶が飛び交い妖怪を切り裂く。
それは秘術の名に相応しいだけの威力を秘めた大技だった、辺り一面を埋め尽くすと表現しても過言では無い無数の鬼妖怪の、その一角だけとは言え一撃で凍りつかせ打ち砕き、十重二十重の防御陣は崩れ前への道が開いた。
だがそれだけの大技を使って何のリスクも無い筈も無い。
血の気を失いただでさえ白い顔は青褪め、薙刀を抱える両腕もその身を支える両足も、力を失い震えて居る、がそれでも彼女はへたり込む様な事は無く気丈に前を見据えている。
視線の先には、人の物と思われる白骨を組み上げた磔台に括り付けられた子供達の姿と、巨人としか表現する事の出来ない老婆の姿が有った。
その手は子供所か大の大人すらも一掴みに出来る程で、その口は更に大きく牛や馬を丸呑み出来る程大きい、白く乱れた髪の毛には人程の大きさのノミやシラミが蠢いている。
山の様に大きな……文字通りの山姥がそこには居た。
「ひっひっひっ……随分と早い御出ましだねぇ。あと少し時間がありゃ穴を空けてやったものを……。じゃが、折角の大舞台に観客が居ないのもつまらんとは思うておうた所じゃてのぅ」
山姥は無造作に座ったまま、地面に突き刺した人の身の丈程も有る大鉈に手を伸ばしながら、引き攣る様な笑い声を響かせそう言った。
「何を悠長な……罪なき子供達を拐い、悪しき企みの贄をしようなど言語道断! お前の様な悪鬼外道は畑の肥しにも成らぬでしょうが……、我が薙刀の錆にしてくれるわ!」
泉姫を庇う様に前へと出た礼子姉上が薙刀を上段に振り上げ、激する心を押し止める様に唇を震わせそう言い放つ。
「ひっひっひっ……小娘が大した口を叩きよる。じゃが……口では強がっておるが所詮は女子……怯えは隠せない様に見えるのぅ」
その震えを山姥は恐怖故の物と見做したのか、如何にも見下した様な素振りでそう言い返す……と同時に手にした大鉈を俺達目掛けて投げつけた。
横薙ぎの回転で飛んでくる大鉈を、ただ身を躱す事は容易な事だったが、それをしては力を使い果たした泉姫が危ない。
そう判断し、素早く身を大鉈の下へと滑り込ませ、上へと振り上げる。
仕上がったばかりの新たな得物は、圧倒的な質量の差にも負ける事無く俺の氣と力を大鉈へとしっかり伝え、そして弾き飛ばした。
その間にも、ぼうっと突っ立っている者は誰も居ない。
「破ぁぁぁ!」
「うにゃにゃ!」
一瞬で間合いを詰めた瞳義姉上の渾身の突きが山姥の下腹へと突き刺さり、飛び上がった睦姉上は大鉈を投げた左手の親指を斬りつける。
「ひゃっひゃっひゃっ! 非力、非力じゃのう、何の痛痒も感じぬわ」
だが山姥はそう言うと左腕の一薙で二人を纏めて弾き飛ばす……いや二人共流石に自ら志願してこの場へとやって来た者だ、そんな大雑把な攻撃をまともに食らう様な事は無い。
瞳義姉上はその打撃が届くよりも早く身を屈めて下へと躱し、宙に居り躱す余地の無かった睦姉上だったが、その腕に乗って飛び退る事でダメージを免れていた。
しかしそれら二人の攻撃はただの囮、本命は別に居る。
「せいやぁぁぁあああ!」
「脛ぇぇぇえええ!」
腕を振り抜き、ほんの一瞬では有るが動きが止まったその瞬間、天高く飛び上がった礼子姉上が、山姥の脳天目掛けて薙刀を振り下ろし、力を使い果たして居たと思った泉姫が座ったままの足を薙ぎ払ったのだ。
「痛ぇ! おのれ……おのれ、たかが小娘共がわしに傷を付けるかぁぁぁあああ!
莫大な氣を孕んだ礼子姉上の一撃は勿論の事、尋常な娘の腕力で打ち込まれただけの筈の泉姫の一撃も、今度は山姥の厚い表皮を貫き手傷を負わせる事に成功した。
「流石は浅雀の宝刀ですわ、私程度の力でもこれ程の威力が……」
泉姫が手にした得物は、以前母上から清一殿へと渡された、浅雀藩に代々伝わると言う銘薙刀『国士無双』だ。
その刃はありとあらゆる防具を紙の様に切り裂くのだと言う、そしてそれは防具を身に着けない鬼や妖怪に対しても有効で、その身に纏う毛皮や厚い皮膚すらも貫き、当たれば確実にダメージを与えると言う強力な力を秘めているのだと言う話だ。
並の神器や霊刀ですらも及びの付かない凶悪なそれは、世界樹の神々がこの世界に降り立つよりも以前に生み出された、鍛冶の神ですらも新たに作り出す事は難しい伝説級の逸品でなのである。
そしてそれら二人の攻撃だけが有効と言う訳では無い。
痛打を与えた二人を追い掛け様と立ち上がり掛けた山姥が地響きを立ててその身が歪んだ大地に打倒される。
「っ押忍!」
瞳義姉上の、先程とは比べも付かぬ程に練り込まれた濃密な氣を纏った正拳突きが、切りつけられたのとは逆の脛を打ち砕いたのだった。




