二百七十八 志七郎、友と会い食傷する事
「それにしても今話題の大食妖女が真逆信三郎殿の許嫁とは、世の中狭い物ですねぇ」
手にした瓦版をひらひらと振りながら、ぴんふがそんな言葉を口にする。
「それよりも手前は、十両もの大金を出せるその財力に驚きですけどね。それだけ有れば連雀商人なんて言わず、小さな見世なら開けるじゃないですか……」
ため息を付きながらそう零したのは、その弟りーちだ。
今日は年が改まって初めて小僧連の皆と集まる予定の日で、普段通り大名屋敷街近くの茶店を利用する筈だったのだが、桂様から自宅へ招待するとの伝令が有り、予定を変更する事と成った。
その為、家の近い野火兄弟と連れ立って江戸城を目指し、年末年始に有った事等を話しながら歩いて居たのだが、その道すがら『怪奇! 底無大食妖女』と銘打った瓦版が売られて居たのだ。
瓦版は新聞の前身では有るが、公平公正な報道なんて物では無く、時事を面白可笑しく書き立て、時には時事報道ですら無い嘘八百、捏造、創作と売る為ならば何でも有りの黄色新聞としか言えない物で有る。
そんな物でも、他にまともな報道機関の無いこの江戸では、皆が皆そうと知って居ながら一時の享楽に供する為、または複数を見比べその裏にある真実を考察する為に、瓦版は常に大きな需要が有る商売なのだ。
まぁ、前世でも『ウチの新聞に書いてある事を本気で信じる者は居ない』等と平気で嘯く新聞や、外国に阿り政府を糾弾する事だけに終始する新聞なんてのも有ったし、然程変わらないと言えば変わらないのかも知れない。
兎角それに興味を示したぴんふが一部買い、虚実……と言うか虚しか書かれていないソレに俺は突っ込まずには居られなかった。
挿絵は完全におどろおどろしい妖怪のソレで、髪の毛で食い物を掴んでは後頭部の大きな口へと運ぶ所謂『二口女』が描かれ、彼女が料理を食い尽くした事が原因で一部地域では飢饉すら起きている等と書かれて居たのだ。
流石に誰彼構わず吹聴するような事をすれば問題にも成り兼ねないが、二人は従兄弟で有り隠し立てする必要も無いだろうと、俺が知る限りの事を彼らに話した結果が冒頭の二人の言葉で有る。
「彼女の異能の事は詳しく聞かされて無いが、必ずしも食わなきゃ成らん物じゃぁ無いらしいし、まぁ兄上との結婚だって暫く先の話、彼女達が江戸に居るのだって然程長い事でも無いとは聞いているから、すぐに風化する話題だろうな」
とは言え、人の噂も七十五日、これ以上話題を追加する様な事が無ければ、日々発生する他の噂に埋もれ消えていく事だろう。
そう考え口にした言葉だが、
「その頃には七が又何か話題を提供してるんでしょうねぇ……」
「猪山は年から年中、話題に尽きませんからねぇ……」
二人は示し合わせた訳でも無いのに、揃って悟った様な表情で遠くを見つめながらそう言い放つのだった。
「「「明けまして御目出度う御座います」」」
通い慣れたとまでは言わずとも、何度か顔を出した事の有る桂邸へと付いた俺達は、門を潜るなり声を揃えてそう口にした。
遅い正月休みと言う事なのだろうか、孫娘を背にでんでん太鼓を鳴らす桂様がそこに居たからだ。
「おお、御目出度う。今日はわざわざ呼び出して済まんな」
聞けば昨年の妖刀騒ぎで自粛モードだった各奉行所も、年明けからは平常モードへと移行し、今日は久々に奥方様方女性陣が皆で芝居見物へと出掛けているのだそうだ。
「髭丸も、髷介も今日は外せぬ仕事でな、私自ら子守休みと言う訳だよ。とは言え私もずっと家に居る訳にも行かぬ故、完全に屋敷を空にも出来ぬとお前達を呼びつけたのだ。さ、遠慮なく入るが良い、歌江が待っておるからな」
「「「はい、お邪魔します」」」
背中で機嫌よく笑う孫娘を手にした玩具であやす桂様に見送られ、玄関へと足を向け屋内へと上がり込む。
勝手知ったる他人の家、と言う訳では無いが何度か訪ねた事も有り、行くべき居間の場所は解っている。
「あら皆さん、いらっしゃいませ。丁度お茶菓子が出来た所です。さぁ、座って下さいな」
居間へと入ると、普段の男装でも華やかに着飾った物でも無い、割烹着姿の歌がそう言って俺達を迎えてくれた。
言われるままに座布団へと腰を下ろすと、彼女は一旦厨へと下がった後、大振りの重箱を手に戻って来る。
「歌のお手製? 一体どんなお菓子なんです?」
期待の篭った瞳でそれを見つめるぴんふ、
「……確か歌さんは料理は余り好きでは無いと、伺った様な?」
訝しげな表情でそう呟くりーち、口には出さないが正直俺は此方側の意見で有る。
「御節を作るのに色々な料理を習いましたから、少しは腕を上げていますよ。今日作ったのも御節には付き物と言える料理ですし……」
言いながら御重の蓋が取り払われると、中には綺麗な黄金色の栗金団が詰まっていた。
「へぇ栗金団か、確かに御節には付き物だな。けれども、これは一寸多すぎ無いか?」
歌が持ってきた御重は一段だけでも家族三、四人前の料理が入りそうな大きな物で、それに溢れんばかり並々と詰め込まれた栗金団が、一人一段食えと言う事か四段重ねで有る。
無論全ての段に同じものが詰め込まれていた。
「どうも少量作ると上手に出来ないんですよねぇ……。お母様や義姉様と同じ様にやっているつもりなんですが……」
彼女の言に依れば、汁物や煮物等を大きな鍋で作るのは比較的得意と言える程度の腕前に成ったのだそうだが、同じ要領でやっているつもりでも、何故か小さな鍋で作ると素材の味すら解らない程に濃すぎたり薄すぎる様な物が出来てしまうのだと言う。
美味しく出来る最小限の量で作った結果がこの量なのだそうだ。
「まぁ、見ていても減る物じゃありませんし、取り敢えず食べましょうか……」
御重から小皿に取り分けられた金団に、そう言って最初に箸を伸ばしたのはぴんふである。
「家族以外に食べて貰うのは初めてですが……一寸緊張しますね……」
その様子を固唾を呑んでん見守る歌に返した感想は
「うん……普通に美味い……」
等と言う身も蓋もない物だった。
金団を食べ茶を飲みながら、今後の鬼切りに出る予定を決め終えた頃には、御重一段目の四分の一程が皆の腹に収まっていた。
「さて話し合う事は一通り終わったし、そろそろお暇するか。あまり遅くなると家族が心配するしな」
冬至は過ぎ日々少しずつ日が落ちるのが遅く成っているとは言え、まだまだ日没は早い。
普段集まる茶見世からなら、歌は下りの船に乗ることが出来るので解散がもう少し遅くとも大丈夫なのだが、此処からでは上りで船賃は高く速度も遅く成る。
今からならば歩いてでも日が落ちる前に帰り付けるぎりぎりと言った頃合いだ。
「流石に余っちゃいましたねぇ……。そうだ、コレこのままお土産にお持ち下さいな。一人一つ持って帰れば丁度よいでしょう?」
名案だと言わんばかりの輝かしい笑顔でそう言う歌、対して野火兄弟は流石に食傷気味なのか引き攣った表情を浮かべている。
なにせ彼らは兄弟同じ家に帰るのだ、決して不味いとは言わずとも特筆する程美味しい訳でも無いそれを持ち帰っても持て余すと考えているのだろう。
「俺が二つ貰って行って良いか? 家にはこういうのが好きなのが居るから」
その様子を察し、俺は助け舟を出すつもりでそう言った。
とは言えそれは嘘では無い、うちには甘党の大食漢が居るのだ、彼なら喜んで食べるだろう。
それに今ならもう一人、底無し沼みたいな食欲を持つ者も居る、少なくとも余らせて腐らせる様な事は有るまい。
「持って帰ってくれるのか……有り難い……、年明けから此方、三食金団では流石にな……」
御重を手に屋敷を出ると、赤子を背負ったままあからさまにほっとした様子でそう呟く桂様の姿が有った。
三食コレを食べさせられ続けたのか……




