二百七十五 志七郎、華やぎに混ざり新たな稽古を始める事
その日は朝稽古を終えると朝食も早々に、大人の男性陣は城へと出掛けて行った。
上様に新年の挨拶をする為と、例の計画の調印を行う為だ。
望奴や豚面もそれに同行し新生豹堂家立ち上げの根回しをするらしく、家臣達は父上達のお供は勿論の事、彼らへの協力の為、屋敷には最小限の警備要員を残してほぼ全員が出張っている。
信三郎兄上は宇沙美姫を連れての江戸見物へ行くそうだが、前世の基準で考えるならば、中学生の兄上と新小学生の宇沙美姫と言う年頃で、婚約者といえどもその姿は逢引と言うよりは、完全に年下の従妹と遊んであげる親戚のお兄ちゃんと言った風情だった。
まぁ、あの年齢で本格的な逢引の雰囲気など出されりゃ、それはそれで問題と言えるだろうが……。
兎角そんな訳で今日の我が家には男は俺だけと言う状況だ。
しかも……
「あらお義姉さん、その柄もええぁなぁ。ウチの時もそんなんが欲しいわぁ」
「何言ってんだい。小藩とは言え大名の、それも嫡男の嫁子が着る晴着にこんな安い反物じゃぁ貫目が足りないってもんさね」
「値付けは確かにお安目ですけど、素材の品質も職人の腕も中々のものですわ。我が仁鳥山で取れた麒麟の鬣を雑貨で加工した品ですもの、流石に上の上とまでは言いませんけれどもね」
「仁鳥山の品は何時もお値段以上の品質なの。仁鳥山産の材料は高品質の霊薬を作るなら絶対に必要になるのー」
「お茶とお菓子お待たせなのにゃー。今日のお茶菓子は餡子南瓜にゃ、これも仁鳥山の小豆を使ってるにゃ。南瓜は礼子姉様のだけどにゃ」
華やかと言うか艶やかと言うか……姦しいと言うか、そんな集まりが我が家を舞台に繰り広げられていた。
いや、まぁ結納を控えた礼子姉上や瞳義姉上が晴着を仕立てるのは可怪しな話では無いし、義理の姉妹でその為の情報を共有するのも別段不思議でも無い。
しかしだからと言って、その場に俺が居る必要も無い筈なのだ。
完全無欠にアウェーなこの場に俺が居る理由、それは……
「志七郎様、きつい部分や動かし辛い様な事は御座いませんか?」
無数の反物と共に新たに仕立てて貰った鎧が持ち込まれたからである。
火の属性を込めた兜、水の属性が込められた小手、土属性の鎧、風属性の脛当、これら全てを纏えば、単一属性の魔法ならば大きなダメージを受ける事も無く耐えられるだろう。
物理攻撃を殆ど通さぬ鬼亀の甲羅で仕立てられた鎧は、今まで使っていた鉄大蛇の鱗よりも圧倒的に高い防御力を持つ。
四色の甲羅を小さな六角形に切り揃え、それをモザイクタイルの要領でつなぎ合わせ、胸に描かれた猪の姿と背に入れられた志の一文字。
「反物も綺麗ですけれども弟君の鎧もお綺麗ですわ。当家のお兄様や弟の鎧は実用一辺倒ですし、こんな鮮やかな鎧は初めて見ましたわ」
手直しの為の試着をしていた俺の姿を見てそう感想を口にしたのは、野火清一の縁談相手、仁鳥山藩の源泉姫だ。
仁鳥山藩は古くから多くの妖怪が人と交わり住む土地で、我が猪山藩同様神話の時代から多くの妖怪の血を取り入れてきた家系らしい。
その血が作用しての事なのか、彼女は透き通る様な白い肌、空色の髪の毛に真紅の瞳と火元人としては極めて珍しい容姿の持ち主だった。
そんな彼女の髪を彩る大輪の緋牡丹を模った簪は清一殿が求婚の際に贈った物で、血染珊瑚と言う妖怪を自ら仕留めて手に入れた最高品質の血赤珊瑚を削り出した物である。
彼女だけでは無く、礼子姉上の髪には大山鯨の牙で作られた簪が、瞳義姉上の髪には柘榴眼竜と言う妖怪から取れた大粒の柘榴石が輝いて居た。
前世ならば求婚に贈るのは指輪と言うのが定番だったが、この火元国では宝石や玉、鬼や妖怪の素材で飾られた簪を贈るのが定番らしい。
それも武具同様、金銭で手に入れた物では無く己の手で手に入れた物こそが最上級とされているのは、やはり戦う事が日常と言っても良い世界だからだろう。
女性の目が集まる中での試着と言うのは、少々どころでは無く居心地が宜しく無いのだが、結納婚礼に伴う仕事で悟能屋もかなり忙しくなるそうで、今日を逃すと完成時期がかなり遅くなってしまうと言うのだから仕様が無い。
「うん、流石ですね。全く問題有りません。このまま仕上げて下さい」
今まで着ていた物より少しだけ重みを増した鎧を纏い手に木刀を持って形を打ち、一つ頷いてそう返答を返す。
「畏まりました。であれば予定通り如月に入る前には納品出来るかと存じます。して、お姫様方、お買上げの反物はお決まりですか? この中に気に入る品が無ければ店から持たせますが……」
深々と平伏しながら悟能屋の主人――文右衛門がそう言うと、
「ああ、取り敢えずこの一本はあたしが頂くよ」
瞳義姉上が手にした反物を掲げてそう返す。
「申し訳無いけれども、もう少し静かな柄が欲しいわ。わたしには一寸華美が過ぎると思うの」
「私はもう少々綺羅びやかな物が良いですわ。豹堂の従姉様はお顔立ちが派手目ですけれども、私は髪ばかりが目立ちますのでそれに負けない衣装でないと……」
対して礼子姉上や泉姫は、それぞれが相反する要望を口にした。
「畏まりました、直ぐにやってご希望に沿う物をお持ちしましょう。御前失礼いたします」
……女性陣の買い物は、世界が違っても長くかかる物の様だ。
昼食を挟んで尚も買い物の終わらぬ姉上達を他所に、俺はお花さんの従者であるセバスさんと相対して居た。
「という訳で魔女様の命により、魔法と武芸の複合に付いて指南させて頂きます」
お花さんは女性では唯一例の計画について話し合う為登城しており、午前中はそちらに同行していたのだが、ただ控えの間で待つだけと言うのは時間の無駄だと判断した彼女は、同じく時間の空く俺に稽古を付ける様言ったのだそうだ。
義二郎兄上とセバスさんの手合わせの際に見た『閃光連牙掌』という技は『光』属性の魔法で相手の目を眩ませて、その隙に連続攻撃を叩き込むと言う物で有る。
つまり武芸と魔法と言うのは、事前に組み立てておく事で同時に使用する事が出来るのだ。
妖刀狩りの際に銃弾に続けて魔法を撃ち込んだのも、その応用と言えなくも無い。
だが今の段階で俺は剣技と魔法を組み合わせる事が出来て居なかった。
刀剣を使った戦いは身体に、魂に染み込んだ動きが最優先で、魔法という新たな要素を組み込む事が出来ていなかったからだ。
そしてそれを難しくしている最大の要素が、近接戦闘の際の切札とも言える意識加速である。
~刹那の世界で戦う意識加速下での戦闘では、呪文を口頭で唱えている間に何手も何十手も攻防が進んで居り、魔法が発動する頃には勝負が着いてしまうのだ。
「精霊魔法の基本は『言った通りに効果が発動する』ですが、魔女様の指導で貴方が記している呪文書に書かれている魔法ならば、短縮発動も不可能では有りません。この様に……『閃光』」
だがセバスさんは長々と呪文を詠唱する事無く、ただ魔法の名を口しただけで掌から眩い光を放つ。
彼の話に依れば、何度と無く繰り返し使われた魔法であれば、精霊や霊獣がある程度術者の意図を察して効果を発動してくれる様に成るのだそうだ。
けれども未熟な術者ではその意図と効果の差異が致命的な物と成り兼ねない為、その様な使い方を魔法使いはしないのだと言う。
武技と魔法の併用が出来るのは熟練した魔法格闘家の証なのだそうだ。
「志七郎様は未だ熟練の魔法使いとは申し上げられませぬが、その身に宿した武芸は並所の物では有りませぬ。一朝一夕で身につく物では御座いませぬが……その身に刻み込む事で将来必ず物になりましょう」
重々しくそう言う白き魔狼に、俺は静かに首肯し稽古を始めるのだった。




