二十五 志七郎、具足を纏て初陣へと出立する事
昨日夕方に1話投稿しております。
平時投稿しておりますこの時間から、
開いてくださった方は、
前話を御確認下さいますようお願いいたします。
悟能屋の使用人に手伝われ、用意された甲冑のパーツを一つ一つ身に纏っていく。
防具は何時も着ている着物の上からそのまま着用するらしい。
脛当てを付け、佩楯――鎧の腰のスカート状の防具――を履き、弓懸――手袋の様なもの――を着用する。
そして次に小手を付けるのだが、小手は剣道のそれとは違い手首から先が露出しており、上は首筋まで覆うジャケット状の物だ。
それを着用すると今度は、小手の肩口に付けられた鞐――肩口に付ける板状の防具の留め具――に大袖を引っ掛ける。
今回作ってもらった甲冑では小手が肩と脇を守る形になるので必要ないが、必要ならばこの時点で脇引や満智羅と言うものを着るらしい。
これで甲冑の付属品というか小物というか、そういう物は全ての様で残りは甲冑と兜だ。
甲冑も剣道の胴とは違い、前後共にしっかりと装甲が有り左脇だけが開いているのでそこから横に身体を入れるらしい。
鞐が引っかかり、ちょっと手間取ったがなんとか甲冑に身体を入れることが出来たので、開いた左脇を紐で固定する。
帯を巻き腰に刀を佩く、剣道同様頭に手拭い――鉢巻というのが正式らしい――を巻いて頬面を付け、最後に兜を被れば完成だ。
手慣れた物ならば5分とかからずに着ることが出来るそうだが、俺は30分近くを掛けてこれらを身につけた。
黒鉄色の重厚なその姿の割に重さは左程でもなく、また金属鎧特有の高い音も殆ど無い。
剣道の防具一揃いよりは流石に重いと思うが、その重さを分散して身体に負担を殆どかけないのが良い職人の手による甲冑というものらしい。
特に突っ張ったり引っかかる所も無く、全身が思うように動かすことが出来る。
「うむ! 若武者、というにはちと幼いが良い武者振りじゃ。よしそれを着てどれ位動けるかを試すが良い」
父上のその言葉に従い稽古場へと移動すると、そこには家族だけでなく家臣一同が揃っていた。
どうやら、出来上がった装備のお披露目のような物が既に準備されていたらしく、稽古場の真ん中にいつもは無い数本の巻藁――居合の試し切りに使う竹に藁を巻いた物――と一体の案山子が立っていた。
誰もがただ黙って見つめる中、俺は静かに一本の巻藁に近づき、刀の柄に手を掛け鯉口を切る……、静かに息を吸い体中に力が満ちるのを待って、一閃――刀を薙ぐ。
真一文字に振りぬいた刀はほとんど抵抗を感じさせず巻藁を両断し、そしてそのまま刀を納めること無く続けざまに次の巻藁へと踏み込み袈裟懸けに振り下ろした。
切り裂かれ落ちる巻藁の破片がまだ宙を舞う前に再度斬りつける、固定されていない物を斬るのは中々に難しいのだが、特に問題なく切り捨てた。
「「「「おおおーー!!」」」
「「「お見事!」」」
周りじゅうから響く歓声を聞きながら、次にと目の前の案山子を見定める。
よく見れば、案山子は金属製と思われる笠に同じく同質の腹巻――鎧の一種――を着せられて居り、並みの刀と腕前では斬る事は不可能だろう。
だが、この刀があれば出来るかもしれない、そう思い案山子に向かい踏み込みかけたが、それを躊躇する自分がいる。
いや、父上が言っていただろう、この刀の力を自分の力だと増長するな、と……。
そう思い直し、静かに息を吐き出すと軽く刀を払い、そしてゆっくりと鞘に収めた。
どうやらわざと歓声を掛けることで、俺が案山子に突っ掛かることを誘導してたらしく、納刀の動作に入ると歓声は鳴りを潜める。
チンッ、と鍔鳴りが思いの外大きく響いたが、それに気を取られること無く周りの気配を伺いながら、ゆっくりと柄から手を離した。
「うむ! 見事な残心。これだけの腕前があれば、初陣でも遅れを取ることはなさそうでござるな」
少しの間を置いてそう言って近づいてきたのは義二郎兄上だ。
流石は小藩なれど武勇に優れた雄藩と自称するだけあり、誰もが残心の重要性を理解して居るようで、誰一人としてその言葉に異を唱えるものはない。
「未だ氣功の使えぬ幼い身なればこそ、案山子に打ちかからぬその判断も見事でござる。それがしは褒美を出すような立場では非ぬが、兄として一手見せようぞ」
そう口にすると同時に泰然とした様で鞘を払いとんぼに構える。
手にした刀は恐らくは普段使いの用心用の物なのだろう、俺の腰の物と比べても2段も3段も落ちるものに見えた。
「キェァーーーーーーー!!」
高らかな気合の声とともに振り下ろされたその一撃は、俺が斬ることを諦めた案山子を唐竹割りに断ち切った。
ああ、氣功が使えるのと使えないのでは、大きな差があるのは判っていたが、それでもこうして自分との差を見せられると何とも言えない物を感じるな……。
翌日、いつもよりも軽い稽古を済ませ、朝食を終えると、いよいよ初陣の時が来た。
昨夜は父上主催の宴会が行われたらしく、朝の稽古場へと出てきたのは俺達兄弟だけだったが……まぁ、小さい事だろう。
具足を身に纏い玄関から外にでると、父上を除く家族と三人の女中が揃い口々に心配や激励の言葉を掛けてくれた。
「……無理はするな」
寡黙な仁一郎兄上らしいたった一言、だがそれでも決して冷たい物ではなく心配する気持ちが伝わってくる。
「ぎーちゃんの言うこと聞いて、気を付けて行くのよ」
礼子姉上は俺を心配する言葉と言うよりは、義二郎兄上に対する念押しと言う風情だ。
「治癒の霊薬を用意しておいたの―、怪我をしたら惜しまず使うの―」
智香子姉上は相変わらず能天気な物言いで、その声を聞くと緊張してるのが馬鹿らしく感じられる。
「初陣は気が逸るというでおじゃる、落ち着いていくでおじゃ。そう言う麻呂は武芸が今一つ故、未だ経験は無いでおじゃるがな」
信三郎兄上はあえて戯けているような、軽い口調でそう言うがその後ろには焦りの様な物が感じられる、たぶん彼も早く初陣を経験したいのだろう。
「お弁当用意しておいたニャ、獲物期待してるニャ!」
睦姉上は初陣というものを理解しているのかいないのか、むしろ俺の事よりも獲物として得られる食材に気が向いているような気がする。
「着物を汚したり破いたりしても、私が何とかしますから勇敢に戦って下さニャ」
おトラは何も心配していないと言わんばかりの朗らかさでそう激励し、
「獲物よりも手柄よりも、命の持ち帰りが優先ですニャ」
おミケは戒めの言葉を口にする。
「ご無事のお帰りをお待ちしておりますニャ」
おタマはただそう言って深々と頭を下げた。
智香子姉上と睦姉上からは言葉だけでなく、手ずから用意したであろう物も手渡された。
猪河家の家紋、丸に猪の印が入った印籠はそのまま帯に下げ、風呂敷包みの弁当は斜めに背負う。
皆口にする言葉は違うが、一部を除きどれもが俺を心配する言葉である事が痛いほどに感じられた。
どうやら初陣と言っても仰々しいものではなく、出発するのは義二郎兄上と俺だけのようで門前へと進み出るのは二人だけだ。
兄上は俺のものよりもずっと簡素だが動きやすそうな軽装で、イメージ的には毛皮を纏った山賊、それをもっと上品にしたような感じ、と言えば伝わるだろうか。
もっとも、その毛皮が虎縞の派手な物である時点で山賊というよりは傾奇者のそれであるが……。
「しーちゃん……、武家の……、大名の妻である私には、言いたい事を言うことが出来ません。ただ、一言だけ……生きて帰るのですよ……」
瞳を涙で潤ませながらも、それを零すこと無く気丈な表情を保ったままの母上の言葉に、俺はただ黙ったまま一つ大きく頷きその答えとした。
「いざ! いざ! いざいざいざ! 初陣でっござる!」
先を歩き出した義二郎兄上が開いた門を潜り、俺が外へと踏み出すとともにそう高らかな宣言が朝の大江戸に響き渡った。




