二百六十五 志七郎、勝負を決め謂れなき誹りを受ける事
全身に纏う氣の練り込み、臆する事無く頭から全力で突っ込んで来るその度胸、明らかに体格で劣る俺を侮る様な素振りすら見せず、全力全開でぶちかまして来る。
男同士の真剣勝負の場で有る土俵の上に置いて賞賛されるべき物だった。
だが残念ながら相手が悪かったな、としか俺には言う事が出来ない。
俺が尋常な六つ(そろそろ満五歳)の子供ならば、彼の対応は百点満点の評価が下るだろう。
だがソレらは飽く迄も元服前の子供にしては優れていると言う程度の物で、練り込まれた氣はただ纏っているだけで運用の域までは到達していないし、全力で突っ込む事に意識が行き過ぎて視線は俺をしっかりと捉えて居ない。
既に氣に依る意識加速へと入っている俺には、立合いから接触までの一瞬の時間すら、対応策を取るには十分過ぎる時間と言える。
幾ら未熟とは言えども、十分な氣を纏ったしかも三倍近い体重差では、そのぶちかましを真正面から受け止めるのは流石に悪手だろう、となれば取るべき手は変化の一択だ。
角力の場に置いて変化での勝利は褒められた物では無い、と前世では言われていた。
正面から力と力をぶつけ合ってこそ強く成る、と言う論理だ。
だが変化が賞賛を呼ぶケースも存在している、それは小兵が大柄な力士を……それも番付が大きく上回る相手に華麗な変化で仕留めた時である。
今回の体格差のミスマッチは、変化と言う選択を取るのには十分過ぎる理由に成るだろう、寧ろ彼は、変化する可能性を視野に入れ、それに対応する様な立合いをするべきだったのだ。
子供を相手に何を大人気無いと心の何処かで思いながらも、彼のぶちかましが俺の身体を捉えるよりも早く、素早く身を翻しそっと足を突っ掛ける。
つんのめった形で土俵へと倒れ込むだろう、そう思って放った足払い――角力的には蹴手繰り――だったが、如何せん相手の勢いが良すぎた。
隈田少年は踏ん張る事すら出来ず、丸でロケットかなにかの様に、勢いを殺す事なく一直線に土俵の下へと飛んでいく。
その方向は、立合いの際俺が居た位置の後方で有り、土俵の直ぐ下には観戦と応援の為に座っている家族達が居た。
まぁ氣砲やら衝撃波やらが飛び交う様な場所に居るのだから、流れ頭突きの一発や二発で怪我をする様な人達ではないだろう。
事実飛んで行った隈田少年を、義二郎兄上が残された左腕で、怪我をさせない様に優しく受け止めていた。
「志七ろ~お~!」
行司の勝ち名乗りが会場に響き渡り、正式に勝利を収めた俺が土俵から降りると、
「猪山の男児足る者が変化なぞしおって。お前の氣孔の練度ならば真正面の勝負だって出来ただろうに……」
仁一郎兄上からそんなダメ出しをされた。
「角力は殿方同士の真正面からの力比べが醍醐味、変化も戦術の一つとは言っても……ねぇ」
礼子姉上ですら、非難がましい目で俺を見ながらそんな事を宣う。
どうやら土俵に上がる前に言われていた『相手が悪い』と言う様な応援は、真正面からぶつかり合う事が前提の事だったらしい。
「否々、アレだけ体格差が有る相手ならば変化しない方が奇怪しいでおじゃろ? それすら考えて居らなんだ相手を責めず、志七郎を責めるは筋違いでおじゃるよ」
対して信三郎兄上が擁護の声を上げるが、その顔を見る限り俺の立場だったならば自分も同じ選択をしていた、というか出番を俺に押し付けた様な気持ちに成っている様だ。
「まぁ……志七郎はそれがしと同じで空気を読むという事が得意な質では無いからのぅ……。見たところ観客が白けたと言う事も無いようだし、今回は大目に見てやっても良いのではござらんか?」
いや、貴方は空気が読めないのでは無く、敢えて読まないんでしょうが。
それに俺は決して読めない質では無い筈だ、少なくともその辺を感じ取る事が出来ない奴は長生き出来ない仕事をしていたのだから……
だがそれらを口にする様な事はしない、それこそ空気が読めていない対応だろう。
「あ! 次はりーちの取組の様ですよ。従兄弟なんだし、商売の手伝いもしてくれたんだし、しっかりと応援しましょう!」
上手く誤魔化したという訳では無いが、つまらない言い争いでこの取組を見逃すのも問題だろう、野火家の者は清一殿の縁談を優先し誰も応援には来ていないのだから。
近接戦闘を得手としてないりーちが角力を取る事に、少々不安に思いながら取組を見守っていたのだが、意外や意外、下から鋭く繰り出される突っ張りの連打で、頭半分は大きな相手を突き倒し、勝利を収めていた。
普段の鬼切りでは狙撃銃を得物としているので、氣の扱いは然程でも無いのかと思っていたのだが、考えてみればあの異常なまでの頭撃ちの成功率は、意識加速を利用しての事だったのだろう。
乱戦にも近い状態でも、味方への誤射をせず的確な援護射撃をしていたのも、そう考えれば決して超人地味た天才的な感覚に依る物では無かったのだ。
とは言え、突きに込められた氣は然程大きな物では無く、相手が隈田少年辺りだったならば、りーちが勝てたかどうか怪しい所では有る。
……寧ろ隈田少年よりも強い子供は居ないんじゃないか?
他の子達は氣を纏っては居るが練り込んで居るとは言えない様なレベルだったり、一箇所に集中すると他の部分が疎かに成っていたりと、実戦で使いこなしているとは思えない水準の者ばかりであった。
「そりゃお前の様な過去世持ちや、それとタメを貼れる様な者と、並の子等を比べりゃの。十から十二位ならば、精々家臣達に守られて初陣を済ませたかその辺り、お前達の様に連日実戦を潜って居る様な方が稀じゃて」
どうやら久々に疑問が丸々顔に出ていた様で、それを見たお祖父様が溜息混じりにそう教えてくれた。
武家の子弟ならば氣功を扱えるのはごく普通の事では有るが、ただ纏うだけで無く自由自在に運用すると言う所まで習熟するのは、数多くの実戦を潜り抜けた結果と言うのが大半なのだと言う。
猪山藩の者ならば睦姉上も含め、誰一人として氣を纏い操る事が出来ない者が居ないので、それが武士として最低限の水準だと思っていたのだが、先代そして当代指南役の鈴木親子の指導が良い為だ。
そして何より……
「そもそも氣脈の奥伝に通ずる程の者が指導したからこそ、一郎も希代の大英雄と成り得たのだ。そして伏虎も氣の扱いについては一郎の更にその師が指導したのだ、孫弟子とは言えその指導を受ける其方等が頭抜けているのは当然であろう」
誇らしげに胸を張ってそう言うお祖父様、誰とは言っては居ないが、その指導者と言うのは当然お祖父様の事だろう、遠回しに我が藩の練度の高さは自分の手柄だと言っているのである。
「野火の末っ子はお主に付き合って散々っぱら実戦経験を積んどるが故じゃろうのぅ。隈田の所の小倅も歳の割にゃぁよく出来て居るほうじゃろ」
「……お祖父様のお知り合いですか?」
隈田少年本人では無く、その親御さんをだろうが……
「隈田家は、風間藩に代々仕えとる江戸家老の家じゃ。猪山と風間は古来より隣り合って来た領地じゃからの。敵対した時期もありゃ共闘した時期も有る。禿河の治世と成ってからは、良い関係が続いとるがな」
六道天魔との戦いが起こるよりも以前には、互いに何人もが戦場で殺し殺された、言わば仇敵と言っても過言では無い相手だったが、共に家安公を奉じて戦って以来郷田と猪山は友好関係に有る。
その郷田の中でも江戸に駐在し外交を担当する、隈田家とは少なくない交流が有るのだそうだ。
その割には、俺は相手の事を知らないが、七歳に成り練武館へと通う様に成れば自ずと解る様に成るだろうと、そう付け加える様に言った。
「にしても、伊織と言ったか? ありゃ義二郎に迫る体格じゃのう。アレで十にも成らんだというのだから将来が楽しみじゃて」
……あの堂々たる体格で十歳未満とか何の冗談だよ?




