二百六十一 志七郎、二日目を終え諸国の食事を知る事
「さぁ、今大会二日目もいよいよ最後の大一番! 西の大関、毒島悪五郎の登場です! 本職の力士が特選枠とされ二回戦からの参戦と成る中、大関の番付を持つ彼は三回戦から登場と相成ります!」
昨日よりも随分と多い諸外国からの観戦客の元へ、麦酒や焼酎、火元酒、焼き鳥にモツ串を持って行けば、物珍しさも相俟って凄まじい勢いで売れていく。
「三役以上の参加者は、彼以外だと東の小結の役職を貰ってるウチの嶺上快河だけだからねぇ、彼らの特々選は当然の事でしょう。しかし流石は本職さんは危なげ無いね、二回戦で消えたのはほんの数人じゃないか」
昨日の売れ行きを鑑み、仕入れ量を調整したにも関わらず、既に二度再仕入れをする羽目に成る程だった。
「三回戦第一試合で素晴らしい取組を見せてくれた彼は、浅雀藩の後援を受けているのでしたね。おっと毒島の相手と成る者の紹介が未だでした、相手はその本職を二回戦で下した内の一人、北大陸の牛獣人ぶぅふ、今回も力強い立合いを見せるのでしょうか」
ちなみに今日から売り出した新商品のモツ串は、昨夜のホルモンの残りを勿体無いからと串に刺して焼いた物である。
「見合って、見合ってぇ! 発氣用意!」
足の速いホルモンを常温放置等すれば、直ぐに悪く成り今朝までも保たなかっただろうが、そこはそれ魔法の出番だ。
単属性下位の魔法が無理なく使える様に成ってきた俺が、『水』と『風』の複合属性で有る『氷』の魔法の練習として冷凍する事に成功したのである。
「のこったぁ!」
と今日の今までを思い起こして居ると、凄まじい衝撃と爆風が襲い掛かって来た。
だが昨日までの比較的穏やかとも言える取組とは違い、今朝から始まった二回戦以降の試合では同様の現象が度々起こっている為、俺も含め今更慌てる者は誰一人として存在していない。
力士本人達は兎も角、土俵の外へと漏れ出てくるのは所詮は余波に過ぎず、この場に居る者ならば即座に氣を放ち相殺し、それが出来ぬ者でも身を低くしてやり過ごす事位は可能なレベルの物なのだ。
ちなみに武芸を得意としていない睦姉上の屋台は、土俵からほど近い場所に陣取る兄上達の真後ろに有る為、全く被害を受ける事は無い。
とは言え、能動的に防御を行う事の出来る生き物は兎も角、持っていたり置いてある物まで完全に守れる訳では無く……。
「七! 危ない!」
既視感を覚える忠言が聞こえた方向を見れば紅白の縞模様に青いラインが特徴的な、何処かで見た覚えの有る等身大の人形が俺に向かって飛んで来た。
その場を飛び退き身を躱す事も考えたが、今俺が居るのは観客席のど真ん中、避ければ他の誰かが被害を受ける。
しかし間の悪い事に両手は商品を受け渡す為に塞がって居り、受け止めると言う選択肢も封じられていた。
人形の持ち主には悪いが……
そう思いながらも、右足を跳ね上げ頭から突っ込んで来る人形の顎を蹴り上げた。
「ちぇすとー!」
思った以上の重い感触に驚きながらも、気合の声を上げ足を振り抜くと、顔のひしゃげた人形は天高くへと消えていく。
「悪ぅ五郎ぉ!」
俺が一息付いた頃、最後の取組も決着が付いた様で、行司が高らかに勝ち名乗りを上げていた。
「三日間の激闘も明日が最終日、熱い戦いが期待されます。本日の実況は古太刀 一刀斎、解説は浅雀藩藩主、野火役満様でお送り致しました。会場の皆様方、お忘れ物等御座いません様にお帰り下さいませ。ご観戦、有難う御座いました」
「いやー、今日もがっつり売れましたねぇ……。こうも飛ぶ様に売れると、商売ってのが簡単な物に思えてきますねぇ……」
アナウンサーと解説者の総評も終わり、見世仕舞いをしている中、そう言ったのは昨日に続いて売り子の手伝いをしに来て呉れたりーちである。
どうやら昨日来たお客さんの口コミの効果も有ってか、来場者数は三割増し、ついでに地元飯よりは早々食べる機会の無い外国の料理へ食指を動かす者も昨日より多い様で、売上の大半は外国の貨幣だった。
「んー、西大陸の串焼きも中々に美味しかったにゃー。生焼けの牛ってのが驚きだったけど、向こうじゃぁ完全に火を通さないのが主流だって話だし……勉強ににゃったにゃ」
睦姉上も目についた外国料理を食べていた様で、売上を勘定しながらそんな言葉を口にする。
確か彼女が休憩中に買ってきたのは、串モノでは無く薄切りのローストビーフの様な物がだった様に見えたが……。
「ああ、確かしぇ……、しぇからしか……でしたっけ? 焼き鳥に比べて大きめの肉を焼いてるんですよね。アレは此方では余り受け入れられないでしょうねぇ……完全に火を通さないのは危ない、と言うのが一般的な認識ですし」
どうやらりーちも売り子ついでに各地の売れ筋を調査していたらしく、姉上が買った見世を確認してた様だ。
「俺が食べたのは、更に大きな羊肉の塊を焼いて削ぎ切りにした物を野菜と一緒に麺麭に挟んだケバブサンドを食べましたよ。龍王国名物って売り文句でしたね」
東大陸南部に位置する龍王国は竜人と呼ばれる獣人の国らしく、その見世の人達も直立した蜥蜴がターバンを巻いている、と言った風貌だった。
「竜王国だとにゃーは華麗が好きにゃ。あんまり辛いのは未だ苦手だけどにゃ」
前世の日本では国民食と呼んでも過言では無かった、カレーは俺にとっても大好物の一つだったが、此方の世界に生まれ変わってからは食べた記憶は無い。
「竜王国は香辛料の一大産地ですからねぇ。多分七が食べたのも香辛料がたっぷり使われてて、此方で食べようと思えば良いお値段するんじゃないですか? カレーだってそこらで食える様な物じゃないですし……」
前世の大航海時代に言われた様に同量の金と引き換えられる……とまでは言わないまでも舶来品の香辛料は決して安い物では無い。
その塊としか言えないカレーは超高級料理の類らしい。
大藩の子弟で有るりーちは兎も角、小藩の末娘に過ぎない睦姉上がそんな物を何処で食べたのだろう?
「んー、龍尾のお時ちゃん家で何度か食べたのにゃ。彼処は何度お呼ばれしても毎回珍しい物を出してくれるから、行くのが楽しみなのにゃ」
別段俺の表情を読んだとかそういう訳では無さそうだが、言われずとも解ると言わんばかりに睦姉上はそう言った。
龍尾と言うのは火龍列島の南部、根子ヶ岳から然程離れていない場所に有る諸外国との貿易の一大拠点『龍尾藩』の事で、その藩主の娘である時姫は夏の芝居見物の日一緒に出掛けて居た内の一人で、睦姉上にとっては親しい友人なのだそうだ。
「ああ彼処なら出入りの商人からの献上品なんかでたっぷり手に入るでしょうねぇ……。とは言え安く出回ったとしても食用よりは薬種の需要に食われるんでしょうが……」
香辛料はその大半が漢方薬の材料で有り、この世界でも錬玉術を用いない薬の材料として多様されている。
国内生産が出来る物は兎も角、気候等の問題から輸入に頼らざるを得ない物は、りーちの言う通り食用にされるよりは薬の為に温存される事だろう。
と言うか薬としての需要が有るからこそ、の値付けなのだろうが。
「……せめて胡椒が有れば、焼き鳥ももっと美味しく成るんですけどねぇ」
塩と胡椒の組み合わせは鉄板だと思うのだが、胡椒がそう簡単に手に入らないこの江戸では甘すぎるタレが焼き鳥の主流で有る。
中には好んで塩だけで食べる者も居るが、俺にはどうも胡椒の掛かっていない塩焼き鳥は一味足りないと感じてしまう。
そんな気持ちがつい口を衝いただけなのだが……
「焼き鳥に胡椒!? そんな勿体無い!?」
庶民の味で有る焼き鳥に、高価な胡椒を使うと言う発想自体がりーちに取っては驚愕に値する物だった様だ。
「……ししちろーの言う事だから、今度一辺試して見るのにゃ!」
けれども商売人と言うよりは根っからの料理人で有る睦姉上には、また新たな着想を与える言葉になったらしい。
そんな話をしながら、売上の集計もそろそろ終わりを迎えそうなその時だった。
「やっと見つけたと思うたら、ウチの太郎ちゃんの顔ぶっ潰れてるやんか! ホンマ最悪やわー」
何かを探しに言っていたらしい千代女義姉上が、そんな叫び声を上げながら帰ってきた。
見れば彼女は何処かで見た覚えの有る人形を抱えている。
あの剣幕を見る限り、今俺がやったとは言わないほうが良い気がする……後から兄上経由で謝っておこう……。




