二十四 志七郎、書を読みあさり、武具に見入る事
翌日からは特に予定を決められたりはせず、その日はどこに居るかさえ報告するならば、自由にして良いという事なので、俺は読書三昧を決め込むことにした。
信三郎兄上の個人所有の本以外にも、屋敷には書庫と呼ぶべき部屋があり、そこにはかなりの量の本やら巻物やらがしまってあったのだ。
先日読みかけた『江戸州鬼録』を始め『初めての氣功』『江戸料理入門』といったハウツー本の類や、『猪河創家語』『戦国烈士伝』『良く分かる主転討伐』等の歴史書等はその殆どが、信三郎兄上が写本した物らしく手跡が同じである。
それに対して『大江戸散歩人』や『江戸州茶店番付』『夕飯今日の一品』等の雑誌? らしきものは版画印刷のようで、間違えて被って買ったのかたまに同じ号があると、文字も挿絵にも殆ど差がなかった。
雑誌のたぐいはどれも完全に現代文なのだが、それ以外の本は漢文の物があったり、草書の物があったりする様だ。
漢文は注釈や返り点――書写したのか、書き加えたのかは分からないが――が有る為にさほど苦労なく読むことが出来た。
草書の本は最初読めないと思いスルーしていたのだが、何冊か同じ内容と思われる現代文の本があったので比較しながら見てみると、そんなに努力をすることなく読めるようになった。
幾ら柔らかなお子様脳みそといえど、こんな簡単に新たな知識が身に付くのは技能によるものか、それとも神の加護によるものか……。
いろいろな本を無節操に読み進めていたのだが、わざわざ兄上が奥付まで確りと書写してくれているので、そこから一つの法則の様な物に気が付くことができた。
一定の時期以降に出版された本はその全てが現代文で書かれて居るのだ。
残念ながら歴史書の類も時代順に整理されたりはしておらず、その時期に何があったのかはよく分からないが、そのあたりで何らかのブレイクスルーがあったのは間違いないだろう。
おミヤ婆さんの話と『猪河創家語』に記載されている内容は所々で食い違う部分があるが、そういう部分は本の方ではかなり美化して書かれているようにも思える。
例えば大江山の鬼を退治する件では、本だと『初代当主はひらりひらりと軽やかな動きで親玉を手球に取り、その隙に仲間達が攻撃を仕掛け討伐した』と書かれてるのだが、昨夜の話では『勇ましく一騎打ちを申し出たのは良い物のあっさり返り討ちに遭いかけ、だらしなく命乞いをしている隙に、仲間達が不意打ちを掛け討伐した』と言うのが実際だったらしい。
他にも西洋の歴史書と称してヒロイックファンタジーにしか見えない小説の様な物があったり、世界創生神話として一羽の鶏が産んだ卵がこの世界であるとか記載されている物が有ったりする。
かなりカオスを感じるラインナップだが、魔法や魔物が実在するファンタジー世界である、何があってもおかしくはないのだろう……たぶん。
そんな中で特に気になったのが、信三郎兄上が言っていた術書の類だ。
たしか初祝の夜聞いた話では、俺に加護を与えてくれている死神は術神という分類になるという事だったはずだ。
ならば兄上の様に書物から術の習得が出来るかもしれない。
「古の盟約に基づきて、我、猪河志七郎が命ずる! 水霊よ我が言葉に導かれ、あらわれいでよ!」
そう考え、見つけた術書と言うのを手当たり次第に読み、書かれている呪文の様な物を読み上げてみるが、何が起こるわけでも無く虚しく響き渡るだけだった……。
そうして、朝は稽古昼夜は読書、とある意味前世より充実していると言える生活を続けて数日、朝食を終えて今日も書庫に篭もろうと思い、席を立った時だった。
「志七郎、今日はお主の装備を持って悟能屋が来る予定になっておる、朝一番で来ると先触れが有った故、わしと一緒に来い」
そう、父上に呼び止められた。
採寸から10日位と聞いていたが、もうそんなに経ったのか……。
そう思いながら父上に連れられあの夜と同じ応接間へと行く。
材料からは西洋ファンタジーでよく見かけるスケールメイルを想像していたのだが、そこには漆黒の甲冑が一領静かに佇んでいた。
全身を覆う黒光りする艶やかな鋼の鱗、下地の布や固定のための紐も黒一色なのだが、要所要所を補強していると思われる留め金は黄金色に輝いている。
残念ながら兜には最大の特徴とも言える鍬形や角飾りは付いていないが、頬面や吹返しはしっかりと有るので、決して貧相に見えることはないだろう。
前世でもご先祖様が実際に着ていたという甲冑が実家の蔵にはあったが、あれとは迫力というか力強さが全くと言っていいほどに違うように見える。
新しさの違いだけではないのだろう、実用品という意味では前世のそれも違いはないと思うのだが、コレは本当に凄みを感じる。
「おお! 素晴らしい出来じゃ。あれっぽっちの銭でここ迄の物を誂えるとは、かなり良い職人を捕まえたと見える」
そんな父上の賞賛の声が聞こえ、魂が消えるほどに見入っていた俺は正気を取り戻した。
正面に据えられた甲冑に見入っていた為、俺は気が付くことが出来なかったが悟能屋の面々が脇に平伏していた、いくら昔馴染みとは言え、そこは大名と御用商人の関係である、こういう礼儀は必須なのだろう。
「何時も当店をご利用いただきまして誠に有難う御座います、申し付けの通りお預かりした素材を用いまして甲冑一領、それに加え寸を詰めた狼牙刀をお持ち致しました。存分にご検分下さいませ」
父上に促され共に上座へと腰を下ろすと、店主である文右衛門がそう言って鞘に入ったまま脇差し位の長さの刀を恭しく捧げ持ち、父上へと差し出した。
無言でそれを受け取った父上は、懐紙を一枚取り出すとそれを唇に咥え一礼してから鞘を払う。
柄を両手で持って垂直に立て静かに、静かにその刃筋に視線を這わせていく。
刀剣の鑑賞会などで見かけた趣味の御仁達のそれとは違い、その姿は真剣そのものだ。
その間は、俺も含め誰もが無言である。
刀を見ている側で話してはいけない、と言うのは前世でのマナーであるが、どうやら刀が美術品ではなく実用品であるこの世界でも、それは同様の様だ。
俺も懐から懐紙取り出し咥えると、父上の側へとにじり寄りその刃を覗きこんだ。
前世で俺が手にしたことの有る、どんな刀よりも深い白銀の、地金の輝きはどう見ても鋼のそれではなく、もっと上質な何かに見える。
波打つように付けられた刃紋の美しさも、これが他者を傷つけ殺めるための武器とは思えない。
だが同時に何処までも冷たく鋭い刃の光は、全てを断ち切る事が出来るそんな恐ろしさを内包しているようにも思えた。
チン、と軽い音を立てて再び鞘に収められると同時に、皆の口から深い溜息が漏れる。
「元々の刀の出来もかなりの物であったが、これは寸詰めだけでなく打ち直しもしておるな。以前見たのと比べ物にならぬ良い刀じゃ。幾ら大名の子とはいえ初陣の小僧が持つには過ぎた差料ともいえるが……」
その口振りから刀の出来はかなりの物であることは直ぐに分かったが、ゆっくりと息を付きながらそういう父上の表情は決して晴れやかな物ではない。
「まぁ、並の小僧ならばコレほどの差料を持てば、刀の力を我が力と増長する事もあるやも知れぬが、志七郎ならば問題なかろう。それにしても悟能屋、本当に良い職人を抱えた様じゃの」
今度こそ満足した、と見える笑顔でそう言うと刀を再び悟能屋へと返した。
「勿体ないお言葉、有り難うございます。藩主の圧政により離散した村の出と言う、流れの武器職人。その腕を買いましてこの度我が家のお抱え職人と致しました。当店と猪河家は一蓮托生故その素晴らしき腕は御尊家の力となりましょう」
「うむ、今後とも忠勤よろしく頼むぞ。よし志七郎、これらを身に着け見せてくれ」
その言葉に俺はただ無言で、静かに立ち上がった。




