二百五十六 志七郎、寒さに震え矜持を捨てる事
「え~、お煎に焼き鳥、高良に麦酒~、いかがっすかー」
「次の取り組みは、なんと! 火元が誇る征鼠少将閣下とぉ! 西方大陸を股に掛ける大英雄『竜殺し』はぁとまん閣下の一戦だぁ! 緒戦でやって良い組み合わせじゃねぇだろ! 掛札の方は四分六ではぁとまん閣下の有利! 締め切りまでは未だ間が有るよ!」
師走も半ばへと差し掛かると、装備更新の為に鬼切へと出掛けれない事の弊害が、無視できない様に成っていた。
「おう! 坊っちゃん! 此方に麦酒二杯と焼鳥二人前おくんな!」
四煌戌達は日々すくすくと大きく成長して行き、魔法の練習が捗るにつれて、必要な食餌の量が増えて来たのだ。
「はい、毎度! 火元の方ですね、六十四文に成ります」
俺が狩った獲物の大半は彼らの食い扶持に消えていた、供給が無くなった以上は銭を出して買い求める事に成ったのだが、装備更新に掛かる費用を出してしまえば、貯蓄はあっという間に目減りしていった。
「ヘイ、ボーイ! 此方にも同じ物を、支払いはナイツでも良いかネ?」
このままでは装備が出来上がるまで俺の財布が持たない、と焦り出した所で母上からバイト話が持ち込まれたのだ。
「はい、大丈夫です。百六十ナイツ……はい、丁度ですね、有難うございます」
返事を返し江戸では見掛けない銅貨を受け取りつつ、首から下げた立売箱から笹の葉で包まれた焼き鳥と瓶麦酒を手渡す。
ナイツと言うのは北方大陸で使われている通貨で、火元国で言う所の文銭に当たる最小貨幣で有る。
その上には、金貨の『ギル』銀貨の『ガメシュ』と言うのが有るのだとは、お花さんの授業で習ったが、額面的に今回の様な小さな商いで使われる事は無さそうだ。
受け取った貨幣を幾つものポケットが付けられた前掛けへ、入れる場所を間違わぬ様に視線を落として確認したその時だった。
「七! 危ない!」
脇から忠告の叫びが響き、咄嗟にその場から飛び退る。
爆音と共に、寸前まで俺が居た場所からもうもうとした土煙が舞い上がっていた。
「えー、ご観戦の皆様方にお知らせ致します。流れ氣砲にはくれぐれもご注意下さい、観戦は自己責任で御座います。氣砲で被害を被りましても保障は致し兼ねます、飽く迄も観戦は自己責任で御座います」
今日何度目か解らないアナウンスが会場に響き渡る、その言葉の通り此処ではまともに食らえば人の命など簡単に消し飛ぶ様な氣弾が飛んでくるのだ。
俺が今居る此処は『年末大奉納角力』の特設会場、それは世界樹の一角『武神 誉田様の神域』に有った。
並の者では売り子をする事さえ命に関わる、そんな場所で有る……。
猪山藩と雑貨藩が共同で武神 誉田様と掛け合い実現した『世界最強力士決定戦』とでも呼ぶべきこの大会。
激務に継ぐ激務で休みも満足に取る事の出来ない神々は、基本的に娯楽に飢えているらしく、誉田様に持ち込まれた筈のこの話はあっという間に世界中へと拡散し、数多の種族の力自慢、腕自慢達が集まる事に成った。
と成れば当然、地元の英雄を応援したいと考える観客も世界中から集まる事と成り、主催の二家が想定していた規模の数倍に膨れ上がった結果、『本場所』を運営する誉田様の神官達だけでは手が足り無いと言う状況を生み出すに至ったのだ。
そうなれば先ずは家と雑賀家の御用商人達に儲け話が行くのが普通なのだが、流れ氣砲一発で命を散らす様な場所で、商いが出来る様な豪の者がそうそう居る訳も無く、言い出しっぺの法則という訳では無いが、我が家が恥を忍んで商売をする事に成った。
とは言え世界中の客や強者達が集うこの場所で饗される飲食物全てを、我が家だけで供給する事など到底出来る筈も無く、交友の有る家に応援を頼んだ上で、出店を希望する諸外国の商人達を受け入れ、なんとかかんとか……と言った様な状況である。
「姉上、焼き鳥かなり良い具合に売れてますよ。ガンガン焼いて下さい」
立売箱の中身がそろそろ心許無く成ってきたので、土俵の北東側に設置された、睦姉上と猫又女中達が調理をしている屋台へと駆け寄りそう声を掛けた。
「焼き上がった分はそっちの箱にあるにゃ、どんどん持っていってどんどん売るにゃ! 隣にゃぁ負けねぇのにゃ!」
団扇を片手にもうもうと煙を上げる炭火の前で、ねじり鉢巻と法被姿の睦姉上が、顎で屋台の横を指し示す。
行儀の良い姿では無いが、それこそ飛ぶ様にと表現するのが相応しい勢いで売れていく品物を補充するのに天手古舞なのだからしょうが無いかも知れない。
ちなみに彼女が口にした隣と言うのは、立嶋家が運営するお好み焼きの屋台の事で、先方の料理人から、
「こないな、ちいちゃいお子がホンマに料理なんか出来るんかいな?」
と言われた事に腹を立てている様だった。
とは言え向こうは成人男性、彼女は未だ思春期すら迎えていない少女……で有る、小さいと称されるのは仕方の無い話だ。
「ほれ、柿布に馬蓮、次の分焼けたで。麦酒ももう無う成るやんか、年越し前の掻き入れ時なんや、ぼーっと突っ立っとったらアカンでホンマに!」
どうやらそのお隣も売れ行き好調の様で、売り子に動員されている力士の皆さんが、料理人の男にそう怒鳴られていた。
その様子を見る限り、料理人は武士階級なのは間違い無さそうだ。
「七、売上はどうです? 思った以上の売れ行きですから、必要なら追加の仕入れ行ってきますけれども……」
そんな姿を横目に商品を補充していると、同じく補充に戻ってきたらしいりーちが問いかけて来た。
彼は元服後には家を出て商人と成るつもりで居る為、商売の修行を兼ねて手伝いに来てくれたのだ。
「りーち、さっきは有難う。材料の方は未だ余裕が有りそうだけれども、そろそろ麦酒の在庫が厳しそうですね。噂に違わず山人の皆さんが大量に買ってくれてるようですし」
先程、流れ氣砲を告げる注意の声を掛けてくれた事に礼の言葉を述べつつ、麦酒搬入用の木箱を確認しそう返答した。
土俵の北側に毛羽毛現と言う毛むくじゃらの妖怪に良く似た者達が集まっている一角が有るのだが、そこへと持っていけば酒はあっという間に売れてしまうが、酒は利益率が宜しくないので、酒だけが売れすぎるのも問題なのだ。
「取り敢えずもう四台位運んで貰いましょうか? 外つ国の銭は両替が面倒ですし、火元銭だけだとそれ位でしょう?」
現状の売上の中から即座に使える額を手早く計算し、仕入れ量を口にする。
なお四台と言うのは大八車換算で、今回のイベントの為に万大社に特設された転移用の鳥居まで、問屋に運んで貰うのだ。
「お? ボンの所も麦酒追加せなアカンのん? ウッ所もそろそろ無う成りそうなんやわ。仕入れ行くならついでにお願いしてもええかいな? 仕入れは纏めてした方が安う成るもんやしね」
そんな俺達の会話を耳聡く聞きつけてやって来たのは、立嶋家の売り子をしていた千代女義姉上だった。
「それは、構わないですけれども……そちら様の分はどれ位必要ですか?」
顔見知りでは有るものの直接的な関わりの無い彼女に、りーちは努めて商売人の顔を作ってそう返答する。
聞いた話では有るが立嶋家は、商業を奨励する事で成り上がった家で有り、多くの武士が『商売』を『浅ましく銭を求める下賤の仕事』と下げずむ中、直接商売に関わる事を厭わない稀有な家なのだと言う。
そんな所の娘で有る千代女義姉上は損得勘定に非常に秀でているらしく、そこが母上に気に入られている部分でも有るのだそうだ。
だがそれが取引相手となれば、気を抜けばパクっと食われかねない怖さ……をりーちは感じているらしい。
「んー、そやねぇ……。あんちゃん、麦酒追加分、此方も四台やったら足りへん?」
千代女義姉上は口元に人差し指を当て小首を傾げて少し考え込むと、お好み焼きを焼いている男へそう問いかけた。
「そやなぁ。取り敢えず今日の分はそんだけありゃ足りるんちゃうか? 明日は余裕もって仕入れなあかんけどな!」
……大名の姫で有る千代女義姉上を相手に畏まる様子すら無く、ぞんざいにそう返答する彼は家臣等では無く、立嶋家の嫡男その人の様だった。




