二百五十四 志七郎、注文をし予定を話し合う事
剣牙狼の爪、刃牙狼の牙、鬼亀の甲羅各種――江戸を出る前に比べ甲羅の数が半分近くに減っていたが、それでも未だ小さな俺の身体を鎧うには十分な素材が揃ったので、御用商人で有る悟能屋が呼ばれる事に成った。
「へぇ、毎度ご贔屓に有難うございます。剣牙狼の爪を用いた包丁一揃いに、刃牙逸刀を小太刀の長さで一振り。亀甲鎧四式を一領……。ここまでは手前どもで間違いなくやらせて頂けるのですが……」
俺と仁一郎兄上から一通りの注文を聞き終えた後、悟能屋の主人である文右衛門は使用人に素材を確認させながら、そう言葉を濁した。
「……何か足りない物でも有るのか? 難しい仕事だと言うならば、手間賃を多少上乗せするくらいはさせて貰うが?」
「いえ……仁一郎様の御注文は全く以て問題御座いません。志七郎様の品も新規にお作り致します分については、材料も申し分有りませんし、最高の仕事を保証させて頂きます。
ですが、問題はこの鎖帷子で御座います」
『武勇に優れし猪山の』と謳われる我が藩の御用商人で有る悟能屋は、当然ながら武具の取扱に長け、そのお抱え職人達よりも優れた技術を持つ者達は、火元国中を見回して見ても、数える程しか居ないらしい。
「大人が纏う様作られたコレを、志七郎様の体躯に見合う丈に仕立て直しをご希望との事で御座いますが、誠に申し訳御座いませぬが真の銀を扱う技術を持つのは山人以外では、鍛冶神様御自身のみ……その弟子筋でも不可能なのでございます」
中には鍛冶の神が住む天目山と言う場所で修行した者も居るのだそうだが、その者ですらミスリルの加工は手に余るのだそうだ。
お祖父様から聞いた話でも、ミスリルの装備を修繕するのは難しいと言う様な事は言っていたが、それだと少々疑問が残る。
「仁一郎兄上やぴん……野火家のご兄弟が持っている着物は、ミスリルの糸を織り込んだ物だと聞いてますが、それとは違うのですか?」
下手な鎧よりも優れた防具の材料として、ミスリル蚕と言うモンスターの繭から取ったミスリルの糸が使われており、ソレは此の国でも流通していると聞いた覚えがあった。
「残念ながら糸を切るのが精一杯でして、それ以上の太さを持つ鎖を切ったり繋いだりするのは不可能です。無論繊細な作業では無く、たた力任せに断ち切る事が出来る者は居なくはありませんが……」
ミスリルの糸は極めて細い絹糸と、殆ど変わらない細さで有りながら、ソレを切るのには専用の工具が必要になるほどに硬く。
その工具を使ったとしても一定以上太ければ、歯が立たずに工具の方が壊れる可能性の方が高いのだと言う。
鎖帷子に使われている鎖は糸に比べ数倍どころでは無い太さに加工された物で、此の国で流通されている工具では切る事が出来ないのだそうだ。
達人クラスの腕前を持つ者が氣を乗せて叩き切れば、絶対に切れないと言う事では無いとは言うが、繋ぐ事が出来なければ意味が無い。
通常の金属ならば熱を加え軟らかくして加工するのだろうが、ミスリルは普通の火では熱くなる事すら無く、それを為すには神々以外では山人達だけが扱えると言う古の炎が必要なのだそうだ。
お祖父様が言っていた、手抜き修理と言うのはそれが原因の様だ。
山人が住まない火元国では、斬られた鎖を繋ぐのに人の手で加工できる金属を糊代わりにして、無理矢理繋ぐ事しか出来ないのだろう。
「そう言う事ならば仕方が無いのではないか? お前もそのうち大きく成るのだ、見合う身体に成長してから使えば良い。鍛冶神様への依頼は十年待ちが普通だと言うしな……」
十年も待つならば、兄上の言う通り身体の方が成長している。
「そうですね。無理なものは無理な訳ですし……取り敢えず有り物で何とかしましょう」
鬼亀の甲羅で作った防具も決して弱い物では無い筈だし、鎖帷子はしばらく蔵の肥しに成るがしょうが無い。
「また、時期が時期で御座います故、全ての品が完成しお持ち出来るのは、年明け早々に成るかと思います。お待たせして申し訳有りませんがご容赦下さいまし」
もう数日もすれば師走《十二月》で、何処も彼処も忙しい頃合いで有る事を考えれば、寧ろ早い方だろう。
「……うむ、良い仕事を期待している」
「では、御前失礼致します」
全ての素材が運び出されたのを確認し、悟能屋さんを見送るのだった。
「では、年内は鬼切りに出れないんですね。ある意味丁度良かったかも知れないですねぇ」
次の鬼切りの予定に付いて話し合う為、小僧連の皆と共に近所の茶屋へと集まって居た。
江戸外周部の大名屋敷街と、市街地を隔てる水路に掛けられた橋の袂に立つその見世は、『黄金色の菓子』と言う前世で言う所の大判焼きの様な物を売りにしている、此の界隈ではそこそこ有名な見世で有る。
江戸の中心部に住む歌にとっては決して近所とは言い難いが船一本で来れる為、誰かの家に集まる時以外はだいたい此処で落ち合う事に成っているのだ。
皆の手元に茶と菓子が行き渡ったのを見計らい、装備作成のスケジュールを伝えると、ぴんふの口から上記の言葉が返って来たのである。
「丁度良いって、ぴんふの方でも何か有ったんですか?」
俺がそう問い返すと、
「兄上の三回目の見合いが成功した様でして、このまま上手く行けば師走から年明けにかけては一寸忙しく成りそうなんですよねぇ……」
返事をしたのはりーちだった。
その言葉に拠れば、家の母上から彼らの長兄で有る清一殿に持ち込まれた縁談は七回、そのうちで見合いまで漕ぎ着けたのが三回目でやっとそこから話が進み掛けて居るのだと言う。
上手く行かなかったのは全て女性の側からお断りを受けており、唯でさえやさぐれていた清一殿が世を儚む素振りを見せ始めて居た所で、双方共に乗り気に成る相手に出会えたらしい。
それに伴い大大名で有る野火家は、その家格に見合う結納品を一族郎党総出で掻き集めなければ成らず、相手が武勇を誇る家の為、財力に物を言わせて買い集める様な事をすりゃ、婚家に舐められる原因にも成り兼ねない。
そして飽く迄も野火家の威信を示す為の調達で有るが故に、他家の力を借りる訳にも行かず、しばらくはりーちもぴんふも家臣を率いての鬼切りに時間を割く必要が有るのだそうだ。
「私の方も年内は少々忙しく成りそうなんですよねぇ。料理修行を兼ねて私が御節を作ると言う話になって居まして……」
歌は料理を含め、武芸以外の芸事大半を苦手としていると言うのは前に聞いた覚えが有る。
武士の社会では料理は男女共に身に着けなければ成らない嗜みで有り、最低限の事が出来なければ縁談に差し障りが出るのだと言う。
前世の感覚なら夫となる者が料理が出来れば問題無い様に思える。
またある程度以上の格の家に嫁げば、女中や料理人を雇い入れ奥方が料理をする様な事は先ず無い筈だ。
しかし男子に料理の技術が求められるのは、戦場で己の世話すら出来ぬ様では話に成らないと言うのが表立った一般的な理由で有る。
同様に夫が出兵中に城や屋敷で籠城戦をしなければ成らない状況と成った時に、飯炊きすら出来ぬ箱入り娘が奥方では足手纏でしか無い……と考えられるのがこの国の常識なのだそうだ。
「籠城戦に成ったなら、飯炊きなんてするよりも敵を蹴散らす方が役に立つと思うのですけどねぇ……」
年齢に見合わぬ悩まし気な表情で、溜息を尽きながら歌がそう呟いた。
「「「いや、それ奥方様の役目じゃないから……」」」
それに対して俺達が声を揃えてそう突っ込んだのは無理の無い事だった筈だ。




