二百五十二 志七郎、北へ。その十二
江戸へと帰り、蔵に残っている素材の類を片っ端から売り払えば、五両という金額を捻り出す事自体は決して難しい事では無い。
十両有れば、質素倹約を心掛ければ一年を暮らすには十分な金額だ、もうすぐ満年齢で数えても五歳となる子供が自力でそれだけ稼ぐのだから、命を賭けた商売とは言え鬼切りがどれほどボロい商売なのかよく分かるという物で有る。
だが流石に出先にまでそんな大金や素材を持って来て居る訳も無く、腰から下げた帯にぶら下がる一貫文と、懐の奥深くに隠した財布の中に有る一分銀二枚だけが手持ちの全てだ。
「なんじゃ、猪山の子とも有ろう者が小銭しか持っとらんとは、情けないのぅ。とは言え、江戸に戻りゃ出せる額面じゃろ? ワシが貸しちゃろか?」
……いやいや、俺の手持ちで有る三分だって、遠出だからと何らかのトラブルに巻き込まれた時の事を考えてかなり多めに持って来たつもりだ。
前世の金額で考えれば七万五千円、旅行へ出掛ける際に財布に入れておく金額と考えれば一寸少ないかも知れないが、子供が持つ小遣いと考えれば十分過ぎる金額の筈……だよな?
「折角遠出するのじゃ、江戸では手に入らぬ名品珍品を買い求める事を考えりゃ、大判の一枚や二枚は懐に忍ばせておくものじゃ。一両二両じゃぁ芸者でも呼んだ日にゃ一晩の御足にも成らんわな」
だがお祖父様に言わせれば、銭を惜しみ溜め込むのは、下々に銭をばら撒き経済を回すという点で、武士に有るまじき事だと言う。
「……俺は未だ酒も呑めない子供なんですけどねぇ、それに借財の禁止は我が家の家法、家臣達にそれを禁ずる立場の者が率先して破る訳には行かないでしょう」
確かに装備の更新という観点から見ればミスリルの鎖帷子は喉から手がでるほど欲しい、けれども決められたルールを破る訳には行かない、と言う俺の中に有る遵法意識がそれを是としないのだ。
「……ったく、本に家の孫どもはどいつもこいつも真面目ちゃんであくびが出らぁな。その時を逃しゃ手に入らねぇ物なんて幾らでも有るってのによ」
やれやれと言わんばかりに、妙にアメリカンな仕草で肩を竦め首を振りながら、そう言う姿は義二郎兄上が見せるその姿によく似ていた。
「おい、そこの。真銀帷子は後何着有るんじゃ?」
「へぇ御侍様、四着でございます。中古品たぁ言え、真の銀は傷む事の無い物でございますし、手入れも万全にしてありやす。大商いの為に纏めて持ち込んだんですが、先方の買い取り上限を超えた分が余っちまいやしてねぇ……」
「なるほど……ちょいと見聞させてもらうぞ。ほれ志七郎、お前も見てみぃ」
そう言って手招きするお祖父様に促され、そのうちの一着を手にとって見る。
「軽いですね。それに金属が擦れる音がしない……」
だが手にしたそれは間違いなく金属の塊らしい重さは感じられる物の、それでも体積に反して明らかに軽く、精々二貫程しか無いのでは無かろうか?
それに金属を編んで作る構造上どうしても重量は重く、また鎖が擦れ合う音は喧騒の中で問題に成る程では無いが、身を潜めて不意を狙う様な戦い方を邪魔する程度には煩い物だ。
「ふむ……何箇所か補修されている跡は見受けられるが、継ぎに安い混ぜ物がされている様子は無いの。うむ、上物と呼ぶには十分過ぎる代物じゃな」
お祖父様の言に依れば実戦を経た鎖帷子は、ダメージを受け変形したり一部が切れる事がまま有る事なのだそうだ。
それを補修する際に同じ素材が用意出来ず、その箇所だけが安い鎖で縫い合わされていると言う事が、中古の鎖帷子ではちょくちょく有るのだと言う。
「それは勿論、北方大陸の山人達の中でも、名工中の名工『ソリケン』族の手による物ですから」
だがこれらには補修跡こそ有るものの、それに使われた素材も、それを成した職人も同一のモノとしか思えず、中古品とは思えない程に良い状態らしい。
「よし、四着全て頂こうか」
じっくりと状態を見定め、納得した表情でそう言ったお祖父様は、帯の中から二枚の大判を取り出し、それを店番の男へと差し出し
「後はコレを江戸で然るべき相手に売り付けりゃ、十分な儲けが出せるじゃろ。まぁ内一着は孫価格って事で、仕入れ値で売っちゃるからの」
幾ら一着一着が並の鎧より軽いとは言え、総重量八貫もの重さを担ぎ上げ余裕そうに笑いながらそう言った。
硝子細工の猫、銀細工の懐中時計、琥珀のパイプ等など、舶来品の数々を扱う露店をお祖父様に連れられるままに周り幾つかの土産物を買うと、城へと戻る刻限と相成った。
「おお! 『鬼斬童子』殿に『悪羅』様、この度は我が藩の為に骨折りを頂き誠に有難う御座いました。報奨と成る品も用意させて貰いました故、ささやかな席では御座いますがゆるりとお楽しみ下され」
宴の会場に成っている大広間へと案内された俺達に、伊達様が軽く頭を下げてそう言った。
藩の頂点で有る藩主が、他藩の者相手に頭を下げる姿を家臣に見せるのは、たとえそれがお礼や謝罪だとしても、下の者達から見れば『家の殿様が他藩の風下に立った』と見做され兼ねず、時には下剋上の引き金にすら成り兼ねない。
だがお祖父様は若い頃に『猪山の悪意』とか『悪を網羅した者』等と大きく名を成し、既に引退した年長者で有り、上様の義兄弟と、大大名で有る伊達様から見ても格上と称して誰からも不満の出る事の無い人物で有る。
特に誰と指定した訳でも無い援軍として、お祖父様がやって来たのはその辺の事も織り込んでの事だろう。
「なに、ワシは大した事などしとりゃせん。家の孫共が頑張っただけじゃてな」
そう言うお祖父様の笑顔は何処か誇らしげな物だった。
ちなみに報奨の品が出るとも言われたが、それを跡継ぎで有る兄上成らば兎も角、俺が勝手に受け取ると、それはそれで猪山藩の面子が潰れる事に成る。
外から見れば、家を継がない俺に対しての引き抜き工作と見られ、その程度の事で他家に鞍替えを考える様な待遇で子供を扱っている、と喧伝されかねないのだ。
故に、例えそれが何らかのお礼だとしても父上や母上に対して贈られ、ソレを改めて俺達に下げ渡すと言う対応が通常ならば取られる。
しかし今回の場合には、先代当主で有るお祖父様が現場に居るので、お祖父様が許可を出せば済む話と成るからだ。
とは言え、父上とお祖父様の間に溝が有り、方針が違っていれば問題に成る事も有るだろう。
猪河家の場合は、お祖父様自身が楽隠居を決め込んで居り、自分の権力を誇示するつもりが無いので、この辺の事を現場で即断した所で問題に成る事は無いだろう。
「千田院自慢の酒や料理の数々、心行く迄楽しんで頂きたい所ですが、先に報奨の品をお納め下され。勿論、御方々が仕留めた素材はお持ち頂くとして……」
手を叩き、家臣に合図をすると幾つかの葛籠が運び込まれてきた。
「銭で報いるでは、伊達は武勇を銭で買う卑劣漢と言われましょう。武勇に報いるは武勇で無ければ成りませぬ。故に蔵出しの品ではありますが、武勇を補う武具を進呈させて頂きましょう」
その言葉と共に開かれた葛籠の中から出てきたのは、何本かの明らかに使われた形跡の無い、しかし見るからに良い品だと解る小太刀や脇差し、そして鈍く輝く真の銀を編んだ新品の鎖帷子だった。
それを見たお祖父様の笑顔は明らかに引きつった物だったのは無理の無い事だろう。
少なくとも、俺がお祖父様から鎖帷子を買い取る必要が無くなってしまったのだから……。




