二百四十七 志七郎、北へ。その七
「第一陣構え! ってぇ!」
号令と共に響き渡る無数の発砲音、だが担い手の中にりーちの様な優れた射手は居らず、狙い撃つのでは無く数十人で一つの獲物を撃つと言う『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』方式であった。
彼らが手にした銃は中折式二連装小銃で、前世の映画や漫画でマタギの老人が手にしていた『村田銃』によく似た型の物に見える。
たしか民間の猟師が持つ村田銃は散弾銃だった筈だが、彼らが使用しているのはどうやらライフル弾の様だ。
江戸市中では下剋上を警戒し、極めて限られた量の銃器しか流通しておらず、その弾丸の使用量まで含めて全ての銃を幕府が把握しているのだが、江戸州を出て各藩国許には領地を護る為の備えとして相応の量が準備されているらしい。
「見よ御客人! これが千田院の誇る千両備えで有る! 某の様に武芸に才を持つ者が少ない我が藩が大藩としての領地を護る最期の手段、それこそがこの『銭で殴る』と言う判断なのだ!」
日が落ちて森から散発的に顔を出す様に成った牙狼を、明らかな過剰火力で撃ち倒しているのを見て、誇らしげにそう言い放ったのは、首魁に対して俺達と共に切り込む予定となっている黒井豆之助殿だった。
彼は千田院藩武芸指南役を務める男で、剣術の腕ならば仁一郎兄上にも劣らない程度の腕前だそうだ。
彼の言う千両備えとは、一丁六百両の銃本体の他弾薬袋や外套等、わざわざ舶来物で全身を固めさせ、そのお値段纏めて約千両と言う所から言われる様になった物らしい。
「とは言っても、弾だって無料じゃないし、銃だって数撃ちゃ駄目に成るんだから、適当な所であたし達が切り込むのが前提なのよねぇ……ほんとーなら」
溜息混じりにそう続けたのは、大きな鉾を担いだ花柄も鮮やかな着物を纏った大柄な男性……蒲田紅白殿である。
その服装と口調が示す通りオカマの蒲田さんだそうだ。
白粉で白く塗られた顔は主君の伊達様とお揃いなのだが、高島田に結い上げられた頭に刺さった幾つもの簪は決してお安い物ではないだろう。
武士の装備という物は基本的に自腹なのだが、こと千田院藩では『銭で殴る』のが戦術の基本と成る為、その装備品の大半は伊達家の所有物で、家臣達の家格に応じた品々が貸し出されているのだという。
緊急事態の折には貸し出された装備を身に纏う事が当たり前とされている中、武士として常識的な服装で有る黒井殿は兎も角、蒲田殿の様な傾いた格好で出張る事が許されているのは、相応の実力が有る証と言えるのかもしれない。
他にも何人かは前線に身を投じても問題ない実力者が居ない訳では無いが、長い森との境界線を概ね封鎖しているこの状況で、何処で不測の事体が発生しても駆け付けられる様、俺達以外はある程度距離を取って散っているのだ。
「こうして叩いている内に首魁が現れれば良し。人に恐れを成して奥地へと逃げ入れば尚良し……。まぁどちらにせよ某等は必要な時が来るまで待つしか無かろうて……」
「徹夜はお肌に悪いから、出来ればさっさと寝ちゃいたい所だけれども……しょうが無いわねぇ」
「暫くは出番は無さそうだな……、銃声が喧しくとも身体を休めておくか……」
二人の言い分を聞き、取り敢えず呼ばれるまでは休むと決めたらしい兄上がそう言うのに、俺は短く返事をすると陣幕の内に設けられた仮眠所へと足を向けたのだった。
状況が更に動いたのは、夜半を回るか回らないかと言う頃だった。
それまで姿を表しては撃ち取られて居た牙狼達だったが、流石にしびれを切らしたのか、それとも被害が大きく成りすぎて下っ端の数が足りなくなったのか、とうとう刃牙狼が出張ってきたのだ。
「弾幕薄いぞ! 何やってんの!?」
「左翼被害甚大! このままでは潰走すます!」
「田作つぁん、討死! 八番に救援を!」
牙狼程度の相手ならば氣の篭っていない銃弾でも急所を撃ち抜けば一撃で仕留める事も出来ようが、如何に格下の個体とはいえ通常ならば大鬼にも匹敵する妖相手では、大半の弾丸がその厚い毛皮に阻まれ有効打には成らなかった。
稀に目や口の中と言った無防備な部分に当たる事も有ったにせよ、それで仕留められるのはほんの一握りで有り、大半の場所で銃弾に怯むこと無く戦列へと切り込んで来たのである。
伝令達の張り上げる被害報告を聞けば現状が相当に悪い事は、端から聞いているだけの俺達にも容易に伝わってきた。
「済まん、このままでは首領を釣り出す前に此方が壊滅する、予定より早いが其方等出張ってくれ……」
苦しそうに表情を歪めながら、そう絞り出す様に言う伊達様の要請を受け陣を出る。
そこに広がっていたのはむせ返る様な血の臭いと、彼我共に甚大な被害を出し死屍累々と横たわる夥しい数の死体だった。
見える範囲では牙狼が八に人が二と言った程度の割合なのだが、その二割の被害を出したのは、どうやら目の前に居るたった二匹の刃牙狼の様だ。
とは言え、流石に無傷とは言い難く一匹は横牙の片方が根本からへし折られ、もう一匹も両目を潰され硝煙で鼻が鈍っているのだろう、狙うべき相手を見つけられず、ただただ暴れているだけである。
被害は大きく成るだろうがあの二匹だけ成らば、このままでも十分仕留められるだろうし、わざわざ俺達が出張る必要は無い。
問題は森から此方の隙を窺う刃牙狼が、見える範囲だけでも十匹以上控えていると言う事だ。
「射撃止め! 切り込むわよ!」
二匹を相手に先陣を切って飛び込んだのは蒲田殿である。
陣地の篝火に照らされ色とりどりの簪を輝かせながら、先祖伝来の家宝だと言う鉾を横薙ぎに一閃、傷つき疲れ果てていた二匹はソレだけで血に沈む。
「馬鹿者! 後詰が居るのにその大振りは何だ! 死にたいのか!」
鉾を振り抜いたそのタイミングを見計らって飛び出して来た、無傷の刃牙狼達の牙が彼に迫るが、黒井殿が叱りつけながら庇う様に飛び出し両の手に持った二刀で捌き、いなし、躱す。
無論俺や兄上もただ見ていた訳ではない、俺は牽制の為に一匹に二発ずつを三匹に素早く計六連射し、即座に排莢と装弾を済ませ、兄上は大きく回り込んで横から騎乗突撃を仕掛けていた。
他者の放った銃弾が急所にさえ当らなければ脅威と成り得ない事を、刃牙狼達は学習していたらしく、俺が放った弾丸を彼らは身を躱す事無く受け止める。
しかし俺の放ったのは十分に氣の練り込まれた物で、油断し切っていた奴らの毛皮をあっさりと貫き弾き飛ばす。
流石に急所は外され一射一殺とまでは行かなかったが、三匹の内一匹は後ろ足を撃ち抜かれ立ち上がることすら出来ず、残り二匹も少なくないダメージを与える事が出来ていた。
蹄の音も高らかに駆け抜けていく兄上は、手にした槍で二匹を続け様に貫き通し、更に馬が一匹を蹴り飛ばす事で、あっという間に三匹を仕留めている。
「あらまぁ、流石は音に聞こえし猪山の殿方ねぇ。どっちもお若いのに優れた武勇、あたしがもう少し若けりゃ惚れちゃったかもしれないわね~」
そんな軽口を叩きつつ蒲田殿は、三人で作った時間を使い体制を整え直していた。
「たわけ! 他藩の御子息相手に不埒な事を申すで無いわ」
黒井殿も飛び退きながら振り払う刀で一匹の首を跳ねつつ言葉を返す。
「お二人とも仲が良いのは宜しいですが……どうやら出てきた見たいですよ」
森の奥からゆっくりと歩み寄る巨大な影を見つけた俺は、そう警戒を促す言葉を掛けるのだった。




