二百四十六 志七郎、北へ。その六
「おぅおぅおぅ、待たせたの。で、刃牙狼よりヤバイのが出たっぽいってなぁ、間違いないんか?」
追撃を受けるよりも早く森を脱出する事が出来た俺達が、鳩達に周辺警戒を任せ休んでいると、自ら早馬で駆け付けた伊達様がそう言った。
「ええ。小物とは言え斥候に出てきた中に刃牙狼が八匹居りました、となればその群れを統率するのはそれ以上の……剣牙狼か、下手をすればそれ以上の大妖が居る可能性も捨てきれませぬ」
昨夜見た着物も中々に派手な物だったが、今日の出立ちは全身隈無く金色に輝く『The成金』と言った鎧兜を身にまとった、輪を掛けて毳々しい物だった。
そんな装いにも関わらず、ひらりと軽やかに馬から飛び降りた彼に兄上がそう言って、刃牙狼の牙を入れた籠を見せる。
「一の二三の……確かに八匹分……、ありゃりゃこりゃぁ、本気みたいだぁねぇ……正直、済まんかった」
覗き込み深々と溜息を付いた後、柔和な笑みを浮かべていた白粉顔を引き締め、深々と頭を垂れ謝罪の言葉を口にした。
聞けば家臣達は討伐隊を編成する為に藩内を走り回っており、また不確かな情報で結果的にでは有るが友好大名の子弟である俺達を危険に晒した事に対する迅速な謝罪の為、本人が出張るしか無かったのだそうだ。
藩主が供回りの者も連れず単騎駆と言うのは普通では考えられない話なのだが、他家の者に詫びを入れる様等見せては藩の威信に関わる問題と成り兼ね無いので、徒歩で付いてくる者達を敢えて振り切って来たのだと言う。
鬼切りに伴う被害は基本的に自己責任で有り、俺達が無理をして大妖に突っ掛かっていき命を落としたとしても、通常ならば伊達様は何の咎めを受ける物でも無い。
しかし今回の場合、お互いの利害一致が有ったにせよ俺達は伊達家の要請を受ける形でこの千田院へとやって来たのだ、提示された情報に齟齬が有った事が公に成れば伊達家が俺達の謀殺を図ったと、邪推を受ける可能性が有る。
結果的に俺達は引き際を誤る事無く無事に戻る事が出来たが、それはそれで他藩の子弟を威力偵察に使った形に成った訳で、それもまた誉められた話では無い。
だがこうして藩主が直々に謝罪をし俺達がそれを受け入れてしまえば、外野が幾ら騒いでも大きな問題に育て千田院と猪山の間に争いを生む事は出来ないだろう。
武力に優れず、財力と外交力を頼みに藩と家を守ってきた伊達様は、当然ながらその辺を理解しているが故の迅速な対応だった。
「いえ此方も性急に動き過ぎたが故の事、お気になさらず。寧ろ我々で片を付けずお手を煩わせる結果となった事誠に申し訳ない」
次期藩主としての教育を受けている兄上も皆まで言われずとも、その辺は理解している様で、そう言って頭を下げる。
此方が謝る筋合いは全く以て無いとは思うのだが『済みません、いえいえ此方こそ』と言う対応が出る辺り、世界が違っても火元人らしいと言えるのでは無かろうか?
ともあれ双方がコメツキバッタの様に頭を下げ合う暇も無く、兄上に合わせて俺も小さく頭を下げた時点で謝罪に纏わるソレは終わり、
「今の所は追撃を仕掛けてくる様子は有りませんが、森との境界線では少なくない数の牙狼が外を警戒しているのが確認出来ています」
「ふむ……獣系の妖がそれだけ慎重な対応を取るとは……ほんに厄介だのぅ。ウチは知っての通り武勇に優れた者は数える程しか居らぬ、雑魚をなんとかする事は出来るだろうが首魁を討つのは難しかろうなぁ……」
お互い頭を上げると、即座に対応に付いての話し合いへと移るのだった。
「殿! 誠に申し訳御座いませぬ、即応出来る者六百余名しか集まりませなんだ……。残りは準備出来次第追って参ります」
側仕えの者が三名がやって来たのに続き、騎馬を駆り伝令と書かれた腕章を付けた者が飛び降りると、即座に平伏してそう言い放つ。
千田院藩は公称六十万石の大藩で有り家臣の人数も公称では約三万人と、猪山藩の総人口を軽く超える人数が居る筈で有る。
だと言うのに、藩主が危急故と号令を掛けたにも関わらず集まったのは、その一割にも満たないと言うのはこの世界基準でも問題が有る数字らしい。
前世の警察では、例え休暇だとしても大きな事件でも起きれば緊急招集が掛けられる事が有る以上、無断での遠出や深酒は厳禁で旅行なんぞしよう物ならば事前に旅程表やら宿泊先やらを届け出る必要が有った。
本来ならば伊達家家臣も同様に自らが何処に居るのか、解る様にして置く事を家臣に義務付けて居るのだそうだが、領内に戦場を持たず長い事平穏を保っていたが故に、緊急招集などとんと無く有名無実化していたのだそうだ。
「……まぁ良い、今の所向こうが動く様子は無い。牙狼に限らず妖は日の高い内は身を潜めるのが常よ、恐らくは日が暮れてからが本番。それまでに手勢を率いて集まれば遅参の恥とはせぬ」
「え?! 夜戦が前提ですか?」
伝令役に伊達様が言った言葉を聞き、俺は思わずそんな声を上げてしまった。
鬼や妖怪はその大半が日の光を嫌うと言われており、日中は大したことの無い雑魚でも夜間には侮れない敵と成る事が多い。
武勇に優れないと言い切る千田院藩の方々が戦闘に参加するならば、当然日が出ている内に攻めると思って居たからだ。
「うむ。先程も申した通り、恥ずかしながら我が藩の家臣で前線に立てる程やっとうの腕が有る者は殆ど居らぬ。故に此方から攻めるのは難しく、向こうが仕掛けてくるのを迎え撃つしかまともに戦える策がないのだ」
牙狼系の妖怪はその牙を木の幹に突き立てる事で、木の上にその身を固定する事が出来るらしく、森の中では俺達に仕掛けられた様な頭上からの強襲が常套手段なのだと言う。
それに対応出来る腕前の者は極々少数で、大半の者は何を為す事も無くその牙に命を散らす事が明白なのだそうだ。
そこで夜を待ち、向こうが食料と成る牛を狙って森から出てくる所を、只管土竜叩きの要領で撃ち続け、しびれを切らして首魁が出てきた所を俺達含む精鋭が仕留める、と言う手段を取るのだと、伊達様本人の口から説明してくれた。
提案では無く決定事項の形でそう言われたが、千田院藩の領地で千田院藩に援軍を要請した時点で、俺達の鬼切りでは無く藩主導の討伐戦へと移行し、それに対する『陣借り』と言う扱いに成る以上は当然の事らしい。
だが幾ら防衛戦だとしても、平地では完全に雑魚扱いの牙狼はともかく、中堅クラスの鬼切り者でも相手をするのが難しいと言う刃牙狼が複数出てきた場合には、大きな危険が有るのでは無いだろうか?
昼間だからこそ俺でも危なげなく三匹を仕留める事が出来たが、夜に成り強化された状態で有れば倒し切る事は出来なかったかも知れない、いや、命を落としていた可能性も決して無かった訳では無い。
森を出てから気付いた事実では有るが、刃牙狼の牙を受け止めた兜には深く切り裂かれた様な傷が付いており、あと少し強い力が掛かっていれば兜諸共頭をかち割られて居ただろう。
よくよく自分の状態に気を向けてみれば首にも鈍い痛みが有り、恒常的に氣を纏う様訓練して居たお陰で無事で済んだが、もう少し練度が低ければ首をへし折られていた可能性も有る。
そんな化物を相手に大人で武士とは言え、武芸は苦手と公言する者達で対応し切れるのだろうか?
そんな事を考えている時だった。
「殿! 栗田金棟以下六百余名、罷り越しまして御座います!」
そんな声と共に現れた者達を見て、ほんの少しだけ不安が解消された様に思える、彼らは皆一様に銃器を背負って居たからだ。




