二百三十九 志七郎、値付けをし馳走を知る事
味と値段が比例すると考える成らば、この料理は間違いなく最高級料亭のソレと変わらぬだけの価値が有るだろう。
だが実際には食材の価値や普段の営業で得る利益の差、等々考慮するべき点は幾つも有る。
春に行った江戸でも最高級に分類されるという石銀さんで支払ったのは確か二両、前世の感覚で言うならば二十万円と言った所だ。
とは言え猪山藩猪河家と清望藩石井家は大名としても、食材を納める取引相手としても極めて懇意の間柄で有り、所謂お得意様価格での食事だったらしい事は聞いている。
どれくらいの割引が入っているのかは解らないが、高級料亭と言えば『一両二分の茶漬け』なんては話を聞いた事も有るし、たった二両ぽっちではコース料理二十人前の御足には全然足りないだろう事は、容易に想像出来た。
それでも一人頭一万円のコースと考えれば決して安い訳では無いとは思うが、上を見上げれば限が無いのも事実である。
前世にも曾祖父さんの喜寿祝いで一人前五万円もする会席料理を口にした事が有るが、正直な話石銀さんは勿論今日の料理と比べても、お世辞にも値段と味が比例するとは言い難い物だった。
となれば味の事はちょっと横に置いて食材の価値で考えてみよう。
食材はどれも旬を外す様な事は無く、また極めて限定された地域で取れる様な希少価値の高い物も無い。
良い品を厳選して仕入れた事は間違い無いだろうが、それでも一つ一つが目玉の飛び出る様な価格……と言う事は無いだろう。
如何に手間暇を掛けて味を高める努力をしているとしても料理の内容は極めて一般的な定食、と成れば料理自体の値段も常識の範疇に収まるのでは無かろうか?
主菜は前世の価値基準で考えると秋刀魚は高くとも三百円しない程度の、また江戸時代でも『目黒の秋刀魚』という落語で語られる通り、極めて庶民的な魚である。
そう考えれば茄子も山鯨汁も主菜を大きく超える様な高級品を使っているとは、先ず考え辛い。
流石にこのレベルの食事をワンコインで出せと言うのは非常識極まり無いが、それでも三千円を超える値段と言う事も無いだろうか……。
「一人前当たり六十文、二十五人分で一貫と五百文。出張料を含めて二分。母上の言う通り褒美を上乗せして一両では出し過ぎでしょうか?」
この火元国で使われている通貨は十両大判、一両小判の二種類の金貨、四分の一両に当たる一分銀、八分の一両の二朱銀と言われる二種類の四角い銀貨、それから文銭と呼ばれる銅貨で成り立っている。
一両=四分=十六朱=四貫文=四千文というレートで、一貫文は千文の銭に紐を通して纏めた物だ。
両替には手数料が取られるのが当たり前の江戸では、多少嵩張っても小銭での支払いが喜ばれるが、やはり褒美という側面が有るならば小判を出した方が見栄えがするだろう。
色々と考えた結果出した数字は多分、大きく誤っては居ないと思うのだが……
「……なるほど、しーちゃんの感覚ではその位なのね」
母上は呆れた様な困った様ななんとも言えない表情で、溜息混じりにそう言うと
「じゃぁ、信ちゃんなら幾らを付けるかしら?」
と信三郎兄上へと話の水を向けた。
「今年は南洋にて白勇魚が大暴れし、秋刀魚は不漁とは聞いておじゃる。故に例年より値が張っている事を考慮しても……、志七郎と同じく諸々込で一両は妥当な線では無いかと麻呂は思うでおじゃる」
俺に振られた時点で、既に回答を考えていたらしく兄上は考える素振り一つ無くあっさりそう答えた。
我が家で出される魚の大半を釣って来る彼は、当然ながら魚の市場価格や流通事にも通じているのである。
「志七郎に習い内訳を申すのであれば、一人前を百文、出張料込で三貫と二百文。報奨を上乗せして一両と愚考する次第におじゃる」
だがその答えも母上にはお気に召さない様で、今度は明らかな溜息を付いた。
「信三郎、その内容では流石に報奨が少なすぎるでござる。それでは褒美がたった八百文ではござらぬか、これだけの美味を味わいながらその程度しか出さぬのでは猪山藩は吝嗇だと笑われるであろうて」
瞳義姉上に手伝って貰いながらの為、食事を終えるが一歩遅くなった義二郎兄上がそう口を挟む。
「あら、じゃぁお前様なら幾らの値を付けるんだぃ? ちなみにあたしゃぁ、こんな良い物口にしたのは初めてだからねぇ、はっきり言って値を付けろと言われても想像も出来ないよ」
兄上の食事を手伝いながらも、その合間合間に手早く自分の分を口にしていた瞳義姉上がそう問いかけた。
「一人前は信三郎の言う通り百文、出張料と合わせて一両。褒美にもう一両で占めて二両は出さねば我が家の面子が立つまいて」
ドヤっと音がしそうな程に良い笑顔で義二郎兄上がそう言い放つと、
「……二両は流石に出しすぎであろう。一両二分とするのが良かろうて」
それを窘める様に厳しい口調で仁一郎兄上が口にする。
「あら、皆秋刀魚の値は気にするのに、御野菜の値段には気を回さないのね。この汁に入っている人参も香の物に入っている蕪も、勿論御茄子も決してお安い物ではないわ。コレだけの品をこれだけの美味に仕立てたのだから三両は出しても惜しくないわ」
と、野菜の値に言及したのは当然ながら我が家の野菜番とも言える礼子姉上だ。
姉上に依れば『口惜しくも』自身が育てた野菜の中で、一つ二つの会心の出来と言える物ならば並ぶ品も有るだろうが、コレだけの品を全員の口に入る量を纏めて収穫するのは難しいのだと言う。
とは言っても流石に三両と言う金額は一食に掛ける金額としては破格過ぎるのではなかろうか?
「これは銭を出せば手に入る品々で拵えた……なんてもんじゃねぇにゃ。秋刀魚が不漁の中で上物だけをこの人数分集めるのも、きっちり熟成させた山鯨も最高の味を出せるのは一日か二日の間の事……、当然野菜だって同時に集めるのは並大抵じゃねぇにゃ」
幼いながらも重々しくそう口にしたのは、女児であり末の妹と言う事で、対外的な立場としては俺よりも下に置かれがちな睦姉上だった。
「きっと魚は毎朝早くに市場どころか漁師の所を駈けずり回って、山鯨も猟師か鬼切り者に直接依頼して……野菜だって、一等品を求めて色んな畑を訪ねて回ったんじゃねぇかにゃ?」
彼女は料理人としての彼の腕前も然ることながら、それ以上に素材を手に入れる為に掛けたであろう手間を賞賛した。
「仲卸や市場を通して買うにゃらどうしたって時間がかかっちまうにゃ。折角の良い品も最高の味を出せるのは一時、それに間に合わせるにゃぁ自分で駆け回って手に入れてくるしかねぇにゃ。この料理は正に御馳走……銭金で報いるにゃぁ高すぎるにゃ」
御馳走とは、目的の為に方々を走り回る者を指す言葉有り、それが他者をもてなす為に走り回る事を特に指す様になり、そこから転じて『最高のもてなし』を指し示す言葉になった。
今回の料理はその語源通り、俺達の口に入る時に最高の状態と成る様、彼ら親子が駆けずり回って手に入れてきた物で、それを単純に金銭で報いるのは難しいのだと、この場に居る誰よりも幼い彼女が口にしたのである。
「御見事……。全く兄弟揃ってこんな幼子よりも彼らの心配りに気付かないなんて……。本に情けないったらありゃしない……。特に上二人にはもう一度教育し直さなきゃ駄目見たいねぇ……」
その答えこそが母上の求めていた物だった様で、満面の笑みでそう口にした。
……同じ笑みでも見る者によって、菩薩にも般若にも見える物らしい。




