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大江戸? 転生録 ~ファンタジー世界に生まれ変わったと思ったら、大名の子供!? え? 話が違わない? と思ったらやっぱりファンタジーだったで御座候~  作者: 鳳飛鳥
技巧そして名工達 の巻

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二百三十八 志七郎、舌鼓を打ち溜息を付く事

 つい先日まで夕餉を口にする暮れ六つ半(19時)頃でも明かりを焚かずに、お膳に並んだ料理を見分ける事位は出来たのが、日が落ちるのも大分早く成ってきた今日は幾つもの行燈の灯火に照らされてやっと手元が見える程になっていた。


 とは言え家に居る者は、武芸に秀でているとは言い難い睦姉上ですらも、氣孔使いとしては最低限度では有るが氣を纏う事が出来るので、食事を取る程度の事で決して安く無い油を使って灯りを灯す必要など無い。


 では、何故今日に限ってわざわざ煌々と灯りを焚いているのかと言えば、


「町人が口にする料理を大名家の格に見合った味に仕上げよとの御用命通り、旬の品々を揃え腕が及ぶ限りの技を凝らした品々で御座います、ご賞味下さいませ」


 料理人を招いて夕食を作らせたからである。


 四十路(よそじ)を少し回った頃合いの料理人が一人娘を助手に拵えたのは、秋刀魚の塩焼きに大根おろしを添えた物を主菜に、揚げ茄子の煮浸し、人参と蕪の紅白漬け、と三菜はどれも前世まえに何度も口にした事の有る極めて庶民的な献立だ。


 汁は具沢山の『山鯨汁(やまくじらじる)』だと言う事だったが、入っている肉が山鯨と呼ばれる物だと言う事以外は、見る限り『豚汁』と差は無い様に見える。


 そして火元料理には欠かすことの出来ない主食は、秋らしく栗と舞茸の炊き込み飯だった。


 これらの料理を作ったのは、義二郎兄上程では無いものの十分に大男と呼ぶに相応しい体格と、鬼瓦もかくやと言わんばかりの強面が特徴的な男で有る。


 助手を務めた娘は礼子姉上と同じ年頃位で、父親とは似ても似つかぬ愛らしい顔立ちの少女だ。


 今日は武家屋敷への出張料理と言う事で澄まし顔を心掛けている様だが、その顔に似合わず気っ風の良い下町美人で有る事を俺は知っている。


 それは彼らが先だって俺が水鏡に招かれ昼食を取ったあの小料理屋の親子だったからだ。


 母上は以前言っていた通り、睦姉上の勉強に成るだろうと彼らを呼ぶ事にしたのだが、母上が出した条件に見合う料理を出すには時期が悪いと、伸びに伸びた結果今日やっと彼らは家に来る事を承諾したのである。


 客と店の間に身分の差など無い前世まえでも、自身の要求が通らない事に腹を立て理不尽な振る舞いをする客は決して少なくなかった。


 ましてや武士と町人では明確に身分の差がある以上、武士が命じたならば町人は無条件で従うしか無いのかと思えば必ずしもそういう訳でも無く、理不尽な命令を拒否した所でそれを理由に無礼討ちなんて事が罷り通る訳でも無い。


 むしろ無理な物は無理と理由を添えた上で断られたのに、身分を傘に着てゴリ押しする様な真似をした事が明るみに出れば、その方がよっぽどお家の汚名に成るという物らしい。


 ともあれ、こうして彼らがやってきた以上は、相応に自信の有る出来栄えなのだろう事は想像に難くない。


 普段の昼食ランチ定食ですらあのクオリティだったのだ、今日の為に厳選に厳選を重ねたと言う料理がどれほどの物か……それを思うと俺は思わず喉を鳴す。


「さて、では皆、頂きましょう」


 母上がそう言うと共に、両の手を合わせ『いただきます』の合唱が屋敷中に木霊した。




 口福としか表現の出来ない素晴らしい味わいが口の中一杯に広がる、秋刀魚は絶妙な塩加減に大根おろしにはなにやら柑橘系の絞り汁が掛けられているらしく、内臓の苦味もたっぷり乗った脂も、さっぱりと食べさせてくれる。


 実の詰まった茄子は、かみ締める度に上品な出汁が油の香ばしさに負ける事無く染み出し、旨みだけが最後にほのかな余韻を残す。


 それらが消える前に飯を掻っ込めば、栗の甘みと茸の旨みがそれらを蹴散らす程に強く自己主張を見せるが、紅白の漬物を続けて口にすれば甘酸っぱい味わいがあとを引くこと無く切れ味良く口の中をリセットしてくれた。


 それだけでも飯のおかずには十分だと思える程に具沢山な汁が入ったお椀を持ち上げてみればずっしりと重い。


 主役で有る山鯨の周りを彩るのは大根、人参、牛蒡と言った根菜類の他、豆腐、油揚げ、こんにゃく、しめじとどれを取っても下拵に全く手抜かり無く素晴らしい助演達である。


 山鯨――要は猪なのだが、猪を食うと言えば『猪』山藩『猪』河家に喧嘩を売っていると取られかねないと言う事で、主に江戸ではそう呼ばれているらしい。


 兎角それを口にしてみれば、よく煮込まれていると言うのに豚肉と違い、全く硬さもパサつきも感じられぬプリッとした、ミディアムレアに焼いたステーキを口にした様なジューシーで弾力のある歯触りが気持ち良い。


 そして汁を啜れば、濁りの無いそれぞれの素材の旨味が渾然一体と成り、複雑で有りながらも目を閉じればそれぞれの素材の姿がハッキリ瞼の裏に浮かび上がる程に理解できると言う、極めて矛盾を孕んだ味わいと香りが舌を鼻を喉を駆け抜けていく。


 夢中で食らい尽くし、全てを胃に収めるのに大した時間は掛からなかった。


 それは俺だけでは無かった様で、広間のそこかしこから口福の溜息が聞こえてくる。


 春に石銀さんに行きそびれた大羅、今、名村、矢田の若手四人は始めて味わう美味の極みに恍惚の表情を浮かべてさえ居る。


 正月に食べた食神 得瓶(えべっ)様の料理は、御神酒をより美味く飲ませる為の肴で有ったが故に、料理としての完成度は石銀さんや今回の物に比べて一段下だった。


 故に彼らは『神の料理を超える料理』と言うとんでもない代物に初めて出会ったのだから、その衝撃は計り知れないだろう。


「結構なお味でございました。正直、下町の小料理屋風情がどれほどの物を出せるのか……と思っておりましたが、志七郎のげん通り石銀さんに勝るとも劣らぬ美味でございました。其方が望むならば『奉納味比べ』へ我が藩の名で推薦する事も出来ましょう」


 その料理への評価は、百戦錬磨の女博打打ちであり江戸中の名店を知り尽くした遊び人で有った過去を持つ母上をして、最上級の賛辞を送るに十分な物だった。


 ちなみに『奉納味比べ』と言うのは江戸でも最も権威の有る料理大会で、その決勝の審査には食神 得瓶様自らが御出ましに成ると言う物で、それに参加出来るのは将軍家、公家、もしくは複数の大名家からの推薦が必須なのだそうだ。


「はは、勿体無いお言葉、誠に有難うございます。ですが御推薦につきましては追々の事として、今は大変下世話な事なれど料理の値付け等お願い出来ませんでしょうか?」


 俺の位置から平伏しそう言う彼の横顔が見えるのだが、その表情はニヤけそうに成るのを無理矢理引き締めようとして、上手く行かず引きつった物だった。


「そうね……これ程の美味となれば、褒美を弾む事も含めて相応の額を包む事は御約束出来るでしょうけれども……」


 対して母上は、少しだけ考える様な素振りを見せながら、そう煮え切らない言葉を口にした。


 料理人を屋敷に招く場合、事前に予算を言い付けその範疇で作らせる方法と、料理を出させた上でその満足度に見合う値を付けさせる方法のどちらかが一般的で、主に小普請の幕臣が前者を、大身の家が後者を取る事が多いのだそうだ。


 我が猪山藩は公称一万石少々と小普請と言う程財力が無い訳では無いが、一食に天井知らずの値付けが出来る様な大身という訳でも無い。


「そうねぇ……。しーちゃん、貴方ならこの料理に幾らの値を付けるかしら?」


「え!? お、俺!?」


 食後の茶を飲み下し一つ溜息を付いた所で、唐突にそんなキラーパスが飛んできたのだった。

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