二百二十八 小僧連足す一、敵現れ出陣する事
「鬼亀じゃぁ! 鬼亀が出よった!」
「ありゃぁ尋常な数じゃねぇ! お代官様と鬼切りの先生方を呼んで来るだよ!」
俺達が出張る様な事態が発生したのは翌日の更に日が落ちかけた頃、何もなければそのまま床に就き翌朝には帰る、と言うような頃合いだった。
それまでも収穫中の作物を狙って鬼や妖怪が田畑に近づく事は有ったのだが、それらは農民達だけでも始末が付けられる様な雑魚ばかりで、今年は大事無く済みそうだと夕餉を取りに戻っていた勝然様から聞いた矢先、緊急事態を知らせる半鐘が鳴り響いたのだ。
鎧を纏うのももどかしく一刻も早く現場へと駆け出したいとは思うが、押取り刀で駆け付けて即戦闘とも成れば身の危険は決して少なく無い。
「手前達は先に行きます、お二人は準備をしっかりとしてから来て下さい!」
「お花ちゃんもあんな糞重たい砲を抱えちゃ走る訳にも行かんだろうし、後から付いて来てくんな!」
普段から鎧う事無く鬼切りへと出ている野火兄弟は勝然様と共に、即座に得物を手に取るとそう叫んでかけ出して行った。
彼らが鎧を纏う事をしないのは、その身に纏う着物事体が並の防具を軽く凌ぐ様な防御力を誇る特別製だからで有る。
絡新婦や土蜘蛛と言った蜘蛛タイプの妖怪が張った巣から採取した縦糸と、金食い虫と呼ばれる蛾の一種の幼虫『金蚕』の繭から紡ぎ出した『真の銀の糸』を織り上げた逸品だと言う話だ。
はっきり言ってそのどれもが『超』を三、四個付けても余りある様な高級素材で有り、家の様な小藩は素より幕府重職を務める桂家でも早々手が出る物では無い。
流石は火元の中でも有数の財力を誇る大大名足る浅雀藩野火家だと言えるだろうか。
とは言え俺の鎧に使われている『鉄大蛇の鱗』や、歌の鎧の『銀虫の甲殻』も決して二束三文で扱われる様な物では無いが……。
「んー、じゃぁあっちも先に行くねぇ。ヨッコイしょーいち! っとぉ」
俺達が急いで鎧を纏うのに手間取っている間に準備が整ったらしく、お花ちゃんも庭に横たえて有った『大筒』をやはり然程力む様子も無く担ぎ上げて行く。
ぴんふが言っていた様に流石の彼女も砲を抱えて走る事は出来ない様で、一歩一歩歩を進める度に腹に響く様な地響きを立てているのは気のせいでは無さそうだ。
「よし! 歌、悪いけれど俺も先に行く! 四煌、全力で走るよ!」
「「「おん!」」」
鎧を纏い刀を佩けば終わりの俺に対して、彼女は更に弓に弦を張ると言う作業が有るのだ。
「はい! 準備が出来たら直ぐに追いかけます!」
江戸市中で無闇に武士が走る事は御法度とされているが、それは武士が走る事で町民達に緊急事態を知らせ世情の不安を煽らぬ為で有る。
だが此処は江戸市中では無いし、今は緊急事態と言って差し支え無い状況だ。
それらを鑑み俺は久方振りに手加減抜きで全速力で駈け出した。
黄金色に実る稲穂の海が途切れた先の更に向こう側、距離にして半里程先に見える森の少し手前に色とりどりの花畑が広がっている様に見えた。
しかしソレが花等では無い事は直ぐに解る、赤青緑黄と四色のそれらはゆっくりとだが確実に此方へと向かい進んで来ていたのだ。
眼に氣を込めて見てみれば、それらは皆色鮮やかな甲羅を纏った亀の群れであった。
足の形状からは陸亀の類と見て取れるが、その鋭く獰猛そうな顔付きは前世に見たワニガメを彷彿とさせる物が有るように見受けられる。
しかもその大きさは甲羅の直径だけでも三尺三寸以上は有り、もしも立ち上がれば一寸小柄な人間程も有った。
前世ではワニガメが人の指など軽く食いちぎると表現されていたが、アレ等は人の腕位は軽く食いちぎる事が出来そうだ。
「一寸、数が多すぎやしませんかね?」
「一匹二匹ならひっくり返してやれば済むが、あの群れに突っ込むのは流石に……」
先について居たぴんふとりーちは、斥候なのか先行していたらしい数匹を既に仕留めて居たが、その後ろからやって来る膨大な数の暴力を目にし顔を引き攣らせてそう言った。
『江戸州鬼録』には、鬼亀の甲羅は如何なる武器で有ろうとも傷付ける事は出来ず、仕留めるには甲羅から出ている頭を穿つか、何らかの方法でひっくり返して腹を斬るかするのが良いと書かれていた。
しかし見た目以上に重い鬼亀をひっくり返すのは並大抵の力持ち程度では困難で、氣を扱う事の出来ない一般人にとっては致命的な鬼の一種なのだそうだ。
「確かにありゃぁちょいと多すぎる、最悪の事態に備え鬼切り奉行所への使いを出す故、援軍が来るまで何とか食い止めて呉れ!」
そう言った勝然様は、収穫作業をしていた農民達の避難誘導をしている。
鬼亀達の進行速度は早いものでは無く、農民達は収穫済みの作物を担いだままで逃げていく。
その姿を見て不思議に思ったのは、俺達を子供と侮り血気に逸る者が出ない事だ。
だが考えてみれば、一般人に取って立ち向かう事の難しい鬼亀を俺が着くまでの短い時間で仕留めているのだから、当然と言えば当然の事かも知れない。
どうやらぴんふは得物の鍬を下から跳ね上げひっくり返った腹を耕す事で仕留め、りーちはその頭を何時も通りの狙撃で撃ち抜き倒した様だった。
だがそれが出来たのは飽く迄も相手が少数だったから可能な事で、今徐々に迫ってくるあの数を相手にするので有ればそんな悠長なやり方をしている内に、俺達を擦り抜ける者が多数出る事は目に見えている。
それに、あの群れを見てもう一つの問題が思い浮かんだ。
通常鬼も妖怪も単独行動が当たり前で、あんな風に纏まって行軍とでも言うような行動を取る事は無い。
にも関わらずあのような『軍団』とでも言える規模で進んでくるのだから、先ず間違いなくあの群れを統率する『大鬼』が居るのだろう事は容易に想像出来た。
以前俺が相対した緑鬼王が一騎打ちを望んだのは義二郎兄上が居ての事、今回の様に向こうが圧倒的に優位な状況ならば、その数を活かした方法で仕掛けてくるのは間違い無いだろう。
「まだ始まって無い見たいですね……、にしても武器の様な物は持っている様子は無いのになぜあれが鬼なんでしょう」
少し遅れてやって来た歌が、俺の横に並び立ちそんな疑問を口にした。
鬼と妖怪の区分は『武器を使うか否か』とされている、中には猫又の様に己の身体の一部を武器に変化させる者も居るが、ソレが身体の一部であれば基本的に妖怪に分類される。
歌が口にした通り、今目の前に迫る鬼亀達は四足でゆっくりと一歩一歩進んで居り、武器のような物を身に着けている様子は無い。
だが『江戸州鬼録』に拠れば『鬼亀』には大金槌や鎖鎌を用いる個体や、他の鬼亀を掴み投げる個体なんてのも居るらしく、当然そう言った者達は二足歩行で前足は手の様な形をしているそうだ。
「……と言う事らしいですよ」
と俺が知っている事を口にすると、
「少なくとも見える範囲に二足歩行をしている者は見当たらな……いえ……居ますね連中の後方です」
矢を番え狙いを定めている内に、武器持ちを見つけた様だ。
「取り敢えず歩みは亀らしく随分と遅い様だし、飛び道具で削れるだけ削ろうか……」
りーちがそう言って狙撃銃を構えると、歌も一つ頷いて弓を引く。
だが彼らが第一射を行うよりも早く、
「お~ま~た~せ~。ああいう集団相手なら任せて~、矢弾を無駄にしたら勿体無いし~」
と、遅れてやって来たお花ちゃんがそう言った。




