二百二十七 小僧連足す一、夕餉を馳走され田舎事情を知る事
秋の夜長、と言う言葉は此方の世界でも当てはまるらしく日が傾いてからその姿を山間へと隠すまで然程の時間を必要とはせず、それまでの間俺達が出張る様な事態は発生しなかった。
「あんれまぁ、こらぁ愛しげな鬼切りさん達だべ……。ほったら腕によりをかけて美味いまんま拵えたるけぇ……ちくとまっててくんろ。にしても、こんならオラじゃなくても良かっただなやー」
と俺達を見て言ったのは、炊事の手伝いに来た地元民らしい老婆だった。
鬼切り者と言うのは武士では無いにも関わらず腕力に頼って生きる地に足が付いていない慮外者……と言う印象が強いらしく、若い娘とは言わなくとも多少年増程度ならば乱暴されるに違いない、と考える者が多かった為彼女が来る事に成ったのだと言う。
「……お父様には聞いて居ましたが、地方ではやはりそう言う認識なんですねぇ」
対して歌が知っては居るが理解は出来ていない、と言うのが有り有りと解る表情でそんな言葉を口にした。
江戸で生活していれば、日々口にする肉類だけで無く薬や道具衣類に至るまで、様々な所で鬼切り者達に依ってもたらされた素材が生活の中で使われている事を見聞きする。
その為、鬼切りと言うのは決して武士だけの物では無く、生活の為に必要な『一次生産者』で有る事は誰でもよく知っている事なのだ。
それに比べこういった農村部では村の中だけが世界のすべてで、農作業さえしっかりしていれば比較的安定した生活を送る事が出来る。
無論、この村の者達とて鬼切りに依って得られる物を使わず生活している訳では無いが、必要な時に必要な物を連雀商人等から仕入れるだけの彼らが、その出処まで気にする者は殆ど居ないだろう。
また江戸に住む者の大半は次男や三男等で家や田畑を継げず、そのまま部屋住みで燻っていれば嫁取りも出来ない……江戸へ出て一旗上げよう! という者達とその子孫で有る。
手に職でも有れば江戸へ出て直ぐにでも定職に付く事も出来ようが、基本的にそんな技術を持っていれば地元を離れる必要など無い。
かと言って奉公先を紹介してくれる様なコネが有るならば、子供の内に奉公へと出るのが普通だ。
技術も無ければコネも無い、無い無い尽くしでも江戸に出れば何とか成るだろう……そんな風に考えている者が大半なのだ。
実際、口入れ屋が斡旋する日雇い仕事は腐る程に有り、宵越しの銭は持たないと言うような生活でも困る事は先ず無いので間違っては居ない。
だが鬼切りの一度や二度経験して居なければ一人前の男とは見做さないと言う風潮が江戸には有る。
技術も無ければコネも無く、鬼切りに出る度胸も無い……となれば、日雇い仕事は兎も角定職に付くのも嫁を貰う事も先ず出来はしない。
その為、田舎から出てきた者が子供達に混ざって初陣へと出る、と言うのは決して珍しい事では無い、無論子供扱いを嫌って単独で初陣へと出て鬼や妖怪相手に討ち死にする者もコレまた決して珍しい話では無いのだ。
「そんな生活文化の違いからか、地方の者にとって鬼切り者と言うのは『継ぐ田畑が無ければ、自分の食い扶持を得る為の開墾をすれば良いのに、安易に江戸へと逃げた根性無し』と言う認識なのだそうですよ」
江戸と地方の鬼切り者に対する認識の違いに付いて、桂様からの受け売りだがと歌がそう説明してくれた。
すると、
「つっても、実際根性入れて開墾した所で長男が総取りするのが大半だべ……。鬼切り者が居らなんだら収穫すら儘ならねぇってのに、ほんに若い連中は阿呆ばかりじゃ、とは言えオラも通った道じゃて大きな事ぁ言えねぇがな」
夕食を作っていた老婆が皺だらけの顔を更に皺々にしてそう言って笑った。
「ほれ、出来た。たぁんと食いなせぇ、大した物じゃぁ有りゃせんがね」
彼女が用意してくれたのは、取れたての大根をふんだんに使った大根飯に、やはりこの村で取れたと言う菠薐草のおひたし、この辺の名産だと言う千住葱がたっぷり入った葱鮪鍋……と、田舎の農村で出されるにはなかなか豪華な献立だ。
とは言っても鍋の鮪以外は全て地の物だし、鍋に使われている鮪とて江戸では商品価値が無いとされている部位で、殆ど捨て値で手に入るらしく実際には殆ど銭は掛かって無いらしい。
前世を引きずっている俺の感覚からすると信じられない話なのだが、鮪は江戸では『ネコも食わない猫跨ぎ』と言われる程下の下足る魚とされており、その中でも脂が強烈でヅケにする事が難しいトロの部分は下手をすれば畑の肥やし扱いなのだそうだ。
とは言えそれは飽く迄も江戸市中の話、同じ江戸州内でも比較的内陸部にあるらしい此処では海魚そのものが中々手に入る物では無い。
冷凍庫も自動車も無い此方では、生魚を普通に運べば間違いなく届く前に腐ってしまう。
ではどうやってこの鮪をここまで運んだのか? それは勿論遠駆要石を使って江戸から一気に転移したのだ。
しかし遠駆要石は、鬼切り者が鬼切りに行くために使う分には無料で使わせて貰えるが、それ以外の目的――例えば商人が商品を運ぶ為――等に使う場合には、決して安く無い利用料が取られる。
要石の維持や保守管理その他諸々が掛かる為、個人利益の為の乱用は基本的に認められて居ないのだ。
利用料が掛かる以上それが商品に上乗せされる事は想像に難くない、となれば此処では例え『猫跨ぎ』と言えども相応の価値が有る物と言えるだろう。
「つーわけで江戸では『下衆な料理』と言われておるじゃろが、ここらじゃ無二の御馳走の一つなんじゃ」
と地物では無い葱鮪鍋に付いて講釈してくれた老婆だったが、
「……あれ? でもさっきは殆ど銭は掛かって無いって言ってましたよね?」
と、その説明の中の矛盾点に気が付いたらしいりーちがそう疑問の声を返した。
「ええ、普通に商人が運んだ物を買うなら安くない買い物ですじゃ。ただ今回は御奉行様が御公務で江戸へ上がったついで……で買うて来て貰ったので、随分と安く上がったらしいの」
すると彼女は年齢の割りに綺麗な歯を見せ大きく口を開けて笑いながら、楽しそうにネタばらしをした。
「んー、あっちは葱鮪鍋好きだしよく食べるけど、多分みんなは初めてだよねぇ? 火傷しないように気を付けてねぇ~」
囲炉裏に掛けられた大鍋から、それぞれの小鉢へと葱鮪を取り分けられるのを見て、お花ちゃんが唐突にそう言った。
「そりゃ鍋物に火傷は付き物だよ。熱いのを口の中で冷ましながら食べるのが美味しいんじゃないか」
ちょうど老婆から小鉢を受け取って居たぴんふは、お花ちゃんのその言葉を笑いながらそう切って捨てると、りーちも同じ意見なのか彼に追従する様にこくこくと首を縦に振る。
「……もう、心配して言って下さってるのに、そんな風に言うのは感心しませんよ」
聞かない弟に言い聞かせる様な口ぶりで歌がそう言ったが、ぴんふもりーちもどこ吹く風と言った風情だ。
ちなみに俺も前世から通して葱鮪鍋と言う物を食うのは初めてだ、だが『ねぎまの殿様』と言う落語の筋位は知っている。
葱鮪鍋は鉄砲仕掛けなのだ、鍋で鉄砲と言うと『河豚』を思い浮かべるかも知れないが、この葱鮪の鉄砲とは熱く煮えた葱の事だ。
噛み方が拙いと熱く成った葱の芯が喉の方へと飛び出して来るらしい。
「まぁ、やらかしゃ理解するでしょう、百聞は一見に如かずですよ。さて、みんな行き渡った見たいだし、頂きましょう」
俺がそう言うと皆手を合わせて
「「「「頂きます!」」」」
不思議と綺麗に揃った声が上がった、そしてその直後……
「「んが! あっがーー!!」」
早速葱鮪に手をつけた野火兄弟が、声を揃えて鉄砲の被害を報告するのだった。




