二百二十『灼熱の寝返り』
真夏の日差しと言うには未だ早い筈の日ではあったが、その日その場所はむせ返る様な熱さに包まれていた。
いや、別段変わった事では無い。
鑪の炎が月一度行われる爐の掃除以外で絶える事の無いこの山では、例え真冬の大寒で有ろうと肌を焼く熱さが消える事は無いのだ。
そんなただ静かに座っているだけでも汗が止まらぬ様な場所だと言うのに、刃金を打つ槌音がそこかしこから無数に響き続けている。
この山の主で有る鍛冶神様だけで無く、その下で数多の鍛冶師達が日々修行に励んでいるからだ。
通常、地元の鍛冶師の下で十分に修行を積み、一人前の親方として扱われるだけの腕を身に付けた上で、更なる高みを目指す者が彼の神の指導を受ける為にこの御山へとやって来る。
それ故、オラの様なズブの素人が行き成りこの山で修行を始めると言うのは前代未聞の事体だと言う。
だが鍛冶神様はそんなオラを笑う事無く弟子として受け入れてくれた。
そんなオラに最初に課されたのは『妖力』『妖術』『仙術』の使用禁止と、無数に積み上げられた先輩達の作品その試し切りである。
鍛冶神様が鍛え上げた一振りを見本とし、それ以外の刀がどう違うのかそれを自らの身体に叩き込む、同時に何処を改善するべきなのか先輩達に伝える役目を仰せつかったのだ。
それはオラが大天狗として人の身に比べれば間違いなく優れている、と言われても恥ずかしく無いだけの剣腕を持っていたからこそ与えられた役目だったのだろう、と当初はそう思ったが見た目通り長い鼻がへし折られる事になる。
妖怪として生まれたオラは、生まれついてある程度の武芸とそれを運用するに相応しい肉体を持っていた、それはどれほどの時間が経っても成長することも衰える事も無いのだと考えていたのだが、それが誤りだと理解するのにはさほど時間は掛からなかった。
三百年の引きこもり生活で錆びついた身体は、この山の熱さにも長い運動にも耐えられず、すぐにバテてヘバッてしまったのだ。
鍛冶仕事では時に灼熱の爐の側で三日三晩休むこと無く徹夜で作業しなければならない時も有る、今のオラにはそれに耐えられる体力は無い事、そして『家安公に武を授けた』と言う誇りが転じた驕りをもお師匠様は一目で見抜いて居たのだろう。
只管に巻藁を切り続けた、豆が潰れ手の皮が破けても泣き言を言うつもりは無い、三百年もの間ぐうたらしていたツケを払っているだけなのだから。
山へとやって来てから三ヶ月そろそろ年の暮れも押し迫って来た頃、オラは次の仕事を言い付けられた。
砂鉄の採取である。
先輩の内の一人に連れられて山奥へと分け入り真砂砂鉄や赤目砂鉄と区分される山砂鉄の取り方を学び、人里へと下りて農閑期の仕事として行われている川砂鉄や浜砂鉄の採取を学んだ。
一箇所で摂り過ぎれば山や川、海の環境が崩れ人も妖も住めぬ土地と成り、それが異界の鬼達を呼ぶ切っ掛けと成り兼ね無い、そう教えられたが故に砂鉄を集める為に火竜列島中を飛び回る事と成った。
そうしてオラがこの山へとやって来て一年が経つか経たないかと言った今日の事だ。
砂鉄の在庫は十分に有り、試し切りをするべき刀も残っておらず、オラに命じられた仕事は一段落したと言う状態に初めて成ったのだ。
以前ならば命じられた事が終わっているのだから……と『世界樹』に数限りなく蓄えられた情報を読み漁ったり、記録映像を見たりして膨大な時間を只無駄に浪費する事に終始しただろう。
しかし今のオラには目的が有った、あと九年で一人前の鍛冶師どころか師匠で有る鍛冶神を超える技工の神にならねばいけないのだ。
その為には一時足りとも無駄には出来ない、だがだからと言って鍛冶に関してはド素人に過ぎないオラが勝手な真似をする訳にも行かない。
と成れば出来るのはただ一つ、見て盗む事だけだ。
有りと有らゆる技芸は模倣から始まるのだ、なれば先達の技を見てそれを模倣する努力をすれば良い。
人の世界では刀を一振り仕上げるのに『鉱山師』『鉄穴師』『鑪師』『山子』『刀鍛冶』『彫師』『鞘師』『研師』と区分される者達が分業で事に当たる。
中には一人で幾つかの工程を兼ねる者も居るが、それはごく少数の練達と呼ばれるに足る者位だが、この山では違う。
皆が皆、一人の手で一振りを仕上げるだけの技術を身に付け、更にそれ以上の技を練る為に此処に居るのだ。
オラは既に『鉱山師』『鉄穴師』の仕事を最低限は身に付けたと自負している、成れば次に学ぶのは『鑪師』の仕事だろう。
そう考え、外に居てさえ汗が止まらぬ暑さに包まれたその場から、灼熱と言う言葉こそがしっくりと来る鍛冶場の一つへと足を踏み入れ……ようとした時だった。
「おう、鼻長の。そろそろ中元の品々が麓の社に届く頃じゃ、悪ぃが取って来てくれや!」
と先輩から言われたのだ。
少しでも早く技を盗む為には、そんな雑用とでも言う仕事を引き受けたくは無い、だがそれは他の者達も同じで有り、ド素人で有るオラに否を言う資格は無い。
「へぇ、ほんならサクッと取って来るお」
それにそれを命じた先輩もただ意地悪でオラを鍛冶場から遠ざけた訳では無い、彼は彼で今夜から徹しの仕事に入る予定だった筈だ。
そしてそれは鑪仕事で有る、中途半端なタイミングから見学するよりも、最初から見せて貰える様に取り計らって貰えればソレに越したことは無い。
仙術や妖術が禁じられていても氣や武は禁止されていない、全力で行って戻れば丁度良い頃合いに成るだろう。
山と積まれた荷物を背負い――当然ながら常人であれば一人で持てる量ではないが生憎この身は人ですら無い――地に氣を爆ぜさせながら全力で山道を駆け上る。
荷物の大半はこの山の主で有る鍛冶神宛の品々だが、修行者達も皆地元では名工と名を馳せた者達だ、そんな彼らに対しての進物も決して少なくは無い。
それらを仕分け宿坊へと届けて行くと、最後に一つの荷物が残った。
宛先不明という訳では無い、なんと宛名は『難喪仙』即ちオラの名だったのだ。
家安が生きている事には魔蔵山の穴蔵にわざわざ盆暮れにソレらしい進物が届けられた事も有ったが、当時のオラは飲食の喜びを知らず物欲も無い、ただ怠惰なだけの引篭りだった。
そんなオラは荷物を受取る事すら面倒だと、何回目かの使者にそれ以降は不要と申し付けた記憶が朧げながら有る。
以来オラ相手に贈り物をする様な奇特な者は居ない筈だった。
「何処の何方かは存じ上げぬが、有り難く頂くんだお」
仙術を禁じられている以上食事を取らねば行きていけない、そうして一日三食を食う生活を始めてから、美味い物を口にするのは何よりの娯楽と成った、歳暮や中元に贈る物は酒や日持ちのする食い物が良いと言う事も此処で生活する様に成ってから知った。
と成ればオラ宛のコレも何か美味い物と期待するのは同然だろう。
そう考え包みを開くと、中には一通の書状と砕けた刃金の破片が収められていた。
食い物では無い事に一瞬落胆仕掛けたが、その書を読みその気持はあっさりと消え去る。
『我が弟に刀を授けるという新刀神に、我が弟が打ち壊せし妖刀を捧げる物也。願わくば幼き我が弟が試練へと旅立つ時、御方の手による霊刀を授け賜ん事を、伏して願い奉り候 猪河仁一郎』
妖刀の破片はお師匠様ですらおいそれと扱う事の出来ない希少な素材で有る、ソレが未だ刀どころか鉄を扱う事すら出来ない自分の為に届けられた。
それも自分が神へと至る道を知る切っ掛けと成った幼き侍の得物を打つ為にだ。
これで奮い立たねば神を目指す等とは口が裂けても言えやしない。
「……任せるんだお、オラがお師匠様すら超える最高の一振りをコレで拵えちゃるんだお」
そんな姿をお師匠様は見ていたのだろう、その夜からオラは正式に鍛冶場へと入る事を許され、修行は次の段階へと進むのだった。




