二百十三 志七郎、解決策を口にする事
「あぁ! 岡っ引き如きが侍の話に口を挟むんじゃねぇよ! 柴か島か知らねぇが御奉行本人なら兎も角、町人風情が舐めた口聞いてっと……たたっ斬るぞ!」
男達の先頭に立って刀に手を掛けていた男は、口撃の矛先をわざわざ仲裁を買って出た十手持ちへと向けた。
その言葉の通り、十手持ちとは言え彼らは武士ではない。
十手持ちの親分さんと言えば前世の感覚では『お巡りさん』の様な者と思いがちだが、彼らは飽く迄も奉行や同心と言った御役目を負った武士に雇われた私兵でしかない。
前世に例えるならば警官個人が雇った『警備員』もしくは『探偵』と言うのが近いだろうか?
「そうだな……武士の、それも大名家同士の揉め事に、お前達が口を挟む権限は何処にも無い。怪我をせぬ内に下がっておれ」
と、敵方に同意する様な言葉を口にしたのは仁一郎兄上だ。
武士は体面を重んじる、例えそれが倫理的に間違っていようが筋や道理を外れていようが、面子を保つ事は何にも優先される。
今回の場合、俺達は完全に絡まれた側なのだが、仲裁が入ったからと言ってこれ幸いとそれに乗れば『ビビって逃げた』と吹聴される恐れが有る為、兄上もこの様な対応をせざるを得ないのだ。
「兄者。酔っぱらいの戯言に乗って鯉口を斬ったと有らばその方が恥で御座るよ。それがしは如何なる事を言われようと気にする物では有りませぬ。それに……相手はたかが陪臣でござる、虎の威を狩りねば喧嘩も売れぬ様な腰抜けでござるよ」
そして絡まれた本人で有る義二郎兄上も止める様な事を一度は口にしたが、結局最後は相手を挑発する様な言葉を吐いていた。
義二郎兄上が口にした陪臣と言うのは、幕府……将軍家に直接仕える直臣では無く、大名や幕臣のさらに家来の事で、小なりとはいえ大名家である我が家から見れば、彼らは明確に格下と断言出来る相手では有るのだ。
とは言っても彼らも間違いなく武士階級である以上、更にその下に位置する御用聞き達に止められたからと引く事は出来ない話だ。
俺達に面子が有るのと同様に酔っ払い共とは言え相手も相応に面子が有る、喧嘩を売った側で有る彼らが引けば『酔っ払って喧嘩を売ったがビビって逃げた』とされかねない、筋も道理も無い以上そう言われるのはほぼ確定だろう。
前世ならば『喧嘩』や『決闘』は法律で禁止されていた事項だったので、如何なる理由にせよこういう騒ぎが有れば公権力が介入する事は簡単だった。
だがこの火元国では武士同士の揉め事は決闘を以て決着を付けるのが推奨すらされているのだから、お互いそう簡単には引けない。
「おうおう上等だ! 曾祖父様の恨み、先々代様の恨み! そして嫁取りで掻かされた恥! その他諸々熨斗付けて返してやらぁな!」
兄上達も連中も完全に熱り立って止まる様子は無い、どうやら彼らが属する雑貨藩と猪山藩には少なからず因縁が有るようだが……。
「雑賀家って言えば、確かウチが浅雀を拝領する前に浅雀を収めて居た家ですよね……」
ぴんふが呟いたその言葉を聞き、彼らがわざわざ俺達に絡んで来た理由がはっきりした。
猪山藩は浅雀東部の水利を掌握しており、彼の地を以前統治していた家と猪河家は幾度と無く武力衝突を繰り返しており、それを理由に減封国替え受けたと以前聞いた覚えが有る。
「ぬ……おお! お主、妹に求婚して来た雑魚その一ではござらぬか!」
……うん、因縁浅からぬどころの騒ぎじゃぁ無さそうだ。
「なんや、縁談持ち込んで置いて義弟君に畳まれた阿呆が、片腕無う成ったから仕返しに来ただけかいな……、しかも尋常な勝負を挑む度胸も無しに仲間にお角力さん連れて……そやから女に相手にされへんのんや」
それまで静かに事の流れを見守っていた千代女義姉上が深い溜息を付きながら、さも呆れた風にそう言った。
「……な、なにおぅ! 女が男の話に口挟んでるんじゃねぇ!」
図星を指され恥ずかしく成ったのか、頭巾の奥にほんの少しだけ見える顔を真っ赤に染めて今度は矛先を彼女へと切り替える。
「喧しいわ、このど阿呆! ウチに手ぇ出したらウッ所かて黙っとらんで! そもそもアンタ等何の為に『お忍び』で出掛けて来とると思っとんねん、酒や女で揉めてお家に迷惑かけへん為やろ! お家の名前出したら引けんようなるわ!」
千代女義姉上に言われ悪五郎と呼ばれた力士以外の男達が、やっと自分達が引くに引けない拙い状況にある事を理解したらしい。
武士の持つその特権の全ては『武』に拠る物で有り、例えそれがつまらない喧嘩で有ろうとも負けることは許されない、負けはその特権の根拠が否定されるのと同義だからだ。
とは言っても死んでさえ居なければ一時の敗北は飽く迄も個人に帰属する問題であり『鬼切り』で手柄を立てれば『弱者』の汚名を雪ぐ事は比較的簡単に出来る為、そこまで深刻な事体に成るケースは極めて稀である。
しかし今回の様なケースの場合は話が違ってくる、連中は『主家の名』の下に兄上達に絡み喧嘩を売ったのだ、勝っても負けても家同士の問題と成る事は解りきっていた。
とそこまで考えた時点で、一つの案が思い浮かんだ。
「お互い家紋も顔も隠したお忍び同士。そちらさんが本当に雑賀の家中かどうか解りませんよね? もしかしたら、人違いかも知れませんし、場合によっては家と彼の家を争わせる為の策略かも知れませんし……」
家名が確定しているから、お互い引けないのだ。
であれば、家名を有耶無耶にしてしまえば必ずしも争う必要は無い。
「そうだねぇ。今ならまだお互い刀も抜いて無いし……お互い勘違い人違いで済ませる事も出来るわね。そちらさん方は随分と酔うて居る様ですし、間違えてもしょうがありゃしませんわね」
俺の言葉に乗っかったのは瞳義姉上である、喧嘩っ早そうな印象の有る彼女だが流石は年の功と言う事か、即座に俺の意図を理解してくれた様だ。
「……おお、そうでござるな。どうやらそれがしの思い違いの様だ。やはり何処の何方とも、何処の家中とも知らぬお方でござった! 雑魚その一とは大変失礼な事を申し上げた……本に失礼仕った!」
そっと瞳義姉上に袖を引かれた義二郎兄上が、なんとも白々しい物言いでそう追従すると、
「い、いや、此方こそどうやら呑みが過ぎた様だ。祝い酒とは言えども限度を考えねばいかんなやはり……」
「お、おう。今日はこのくらいにして帰るとするか」
「五兵衛次郎だったか?、騒がせて済まぬな。ほれ、これで子分たちを労ってやって来れ」
「悪五郎、お前はまだ呑みも食いも足りねぇだろう。これで適当に済ませてくれや」
あちらさんも流石に酔いが覚めてきたらしく、先頭を張っていた男を除いて皆撤退の様子を見せた。
御用聞きに懐から取り出した財布をそのまま投げ渡し、連れていた力士にも他の男が同様の対応を取っている。
口止め料という訳では無いだろうが、『何も無かった』事にするならば必要な措置なのだろうとは思えた。
その先頭の男も未だやり合う気満々という訳では無さそうだが、眉間に皺を寄せ険しい顔で彼を睨みつけ、隙有らば切ると言う気配を放ち続けている仁一郎兄上から目を逸らす事ができないらしい。
「ほら仁様もそんな怖い顔せんと……お互いなんも無かったって事でええやないの」
袖を軽く引き千代女義姉上が言うと、流石に兄上もそれを無視して睨み続ける事も出来ず、相手から一時視線を切った。
その瞬間……
「バカヤロー! 覚えてやがれ!」
と如何にも三下臭い捨て台詞を残して、誰よりも先に駈け出していった。




