二百五 志七郎、悪所へと入り小屋へと入る事
「若草町は久しぶりに来たけれど、相も変わらず賑々しいわいねぇ」
母上のそんな言葉通り町と町を隔てる町木戸を潜ると、同じ江戸市中とは思えぬ程の賑わいに満ちていた。
角力、お化け屋敷、見世物小屋、芝居小屋に屋台の数々……少し奥まった処に立っている『意和戸』の幟は確か前世で言う処のストリップの様な物だったと思う。
この江戸の街は、俺の知る前世の江戸とは違い、正確な碁盤の目とまでは言わない物の、それに近しい計画的に建設された事が節々に感じられるそんな街で有る。
にも関わらずこの若草町は建物の大きさも道割も適当で、雑多な興行を生業とする者達が集まり、自分達の都合が良いように仮設の粗末な建物を建てまくったそんな所の様だ。
そしてそういう所には当然付き物と言える連中が居る、荒事揉め事を飯の種にしているケツ持ち達だ。
彼らは例え相手が武士であろうとも自分達の縄張りでのトラブルを許さない、時と場合によっては刺し違える事すら厭わず落とし前を付けに来る、そんな連中らしい。
俺の経験的には碌でもない奴らだと思えるのだが、前世とは違い『義理と人情』の所謂『任侠道』が息づくこの江戸では、『親分さん』は町の名士で有り中には奉行所の同心から十手を預かる『御用聞き』を兼ねている者も少なくない。
その更に部下らしいチンピラ臭い連中が、屋台で亀や金魚を売っていたり、見世物小屋の呼び込みをしているのが見えた。
流石に女性が半数を超え、しかも男衆の大半が子供という俺達には声を掛けて来たりはしてい無いが、意和戸のキャッチらしい男に袖を引かれて行く男達も真っ昼間だと言うのにちらほらと見かける程だ。
老若男女、武士町人、士農工商、そんな区別区分無く一時の娯楽を求めて江戸中から人が集まっているのではないだろうか? そんな風に思える程に道行く人々の姿に共通点は無く、その雑多な賑わいは生まれ変わってから初めて見るものだった。
「祭りでも無いのにこの賑わい……初めて見ました……」
ぽかんっと口を開けて驚きを顕にしているのは、俺より四歳年上の歌だ。
「若葉町も凄いですけど、西の紅葉町も凄いですよ。父上に何度か連れて行って貰いましたが、あちらの方が物売りが多めで見世物の類はこっちが多いようですね」
同じく四歳上のぴんふがそう言った、彼の話に拠れば旅興行の類は江戸の東西に位置する『若葉町』と『紅葉町』の二箇所が主だった興行場所なのだそうだ。
野火家の当主で有る役満叔父上は一時は商人を志した事も有り、方々の珍しい品々を商う行商人が臨時の見世を出す事の多い紅葉町に良く行くらしい。
「向こうは江戸では手に入らない希少な素材が売られてたりしますし、その内七も行ってみると良いですよ。そろそろ鎧も新たに仕立てないと行けない頃でしょう?」
ぴんふだけでなくりーちも紅葉町には何度か連れて行って貰った事があるらしく、露店の品揃えに言及する言葉を口にした。
彼の言葉の通り、義二郎兄上に仕立てて貰った今の鎧は、成長を見越してある程度余裕の有る作りには成っていたが、それでもそろそろ限界が近づいている。
子供の身体の成長は本当に早い物で、このペースならば恐らくは年末を待つ事無く、着るのが難しく成るだろう。
「銭で装備の素材を買い集めるのは余りお勧めせぬでござる、特定の耐性装備を作りたいというので無ければ、自分で狩れる素材を使う様にせねば、装備の力を己の力と履き違える事が多いからの」
「鬼切り者は装備で格付けされるもんなんだ、銭で良い物を仕立てて腕に見合わぬ獲物を斡旋されて野垂れ死ぬ輩なんてのは、枚挙に暇が無いってもんさね」
俺達の会話を聞き、そう忠言を口にしたのは義二郎兄上と瞳じょ……義姉上だった。
んー、そうなるとこれから暫くは獲物の選択には防具の素材を加味する様にしないとな。
「ほら、皆もう入場が始まってるみたいよ。折角なんだから前座から見たいじゃない、急ぐわよ!」
と、母上が軒を連ねる小屋の一角を指差しそう声を上げ、考えこみそうに成った俺の思考を中断させた。
「そうね、急ぎましょう。小芝居は前座の演芸も面白いと聞くし」
「私、小芝居は初めてなんです、御義姉様方急ぎましょう。ほら、貴方達も行くわよ」
野火の奥方様方にも急かされ、取り敢えず考えるのは後にする事にした。
入り口前には結構な行列が出来ていたのだが、水鏡から貰った券を列を整理していた若い衆に見せると、直ぐに席へと通された。
俺が貰った券は東の一枠と西の二枠と別れて居たのだが、そこは東側を二組のカップルに提供する事はすんなりと決まったのだが、問題は西側である。
野火家の四人を一纏めにして、猪河家の三人+歌、と言う組み合わせか、子供四人と母上達+信三郎兄上の組み合わせ、そのどちらかが良いかと言う話に成ったのだ。
ちなみに野火の奥方様方は母上と同じグループでの観劇を希望している。
大大名の妻としての社交経験が足りないお二人は、多少は行き慣れた大芝居成らば兎も角、初めて来たこの場で母上と離されるのは少々不安なのだそうだ。
普通の子供ならば子供だけにするのも問題が有るように思えるが、生憎この面子に普通の子供らしく初めての場に気後れする様な可愛げの有る者は居ない。
それに俺の中身は十分に引率を務める事が出来るおっさんであるため問題は無いだろう。
「船の上も地獄でおじゃったが、母上達に囲まれてと言うのも少々どころではなく遠慮しておきたいでおじゃる……かと言って友達等を引き離すのも無粋……。ううむ、もしかしなくても麻呂詰んでる?」
うん、思春期真っ只中の信三郎兄上を母親達のグループに突っ込むのは色々と可哀想な気は確かにする、とは言え俺がそっちに行くのも勘弁して欲しい。
「あの、それならば私が小母様方の席に行きますよ。男と女で分かれるとすれば丁度良いじゃ無いですか」
絶望的な表情を浮かべ色々と諦めた様子だった兄上を救う言葉を、微苦笑を浮かべた歌が口にした。
「そうと決まればほらさっさと席に行きましょう、今日の前座は手妻ですって」
「あら、楽しみ。歌江ちゃんは手妻見たこと有りまして?」
「いえ、母上や義姉上は芝居見物にも良く行く様ですが、私は武芸の方が楽しくて……」
「流石は鬼切り者ねぇ……わっちは薙刀も満足に振れにゃあで……こんな可愛えお嬢ちゃんなんにねぇ」
女三人拠れば姦しいとはよく言った物で、女性陣だけのグループに成った瞬間から彼女達は話しながら席へと案内されていった。
「……あー、アレと一緒に観劇ってのは、確かに厳しい物が有りそうですねぇ」
女性陣の姦しい姿を見て引き攣った笑みを浮かべながらそう言ったのはぴんふである。
「まぁ、此方は此方で男同士ゆっくり楽しみましょうか」
りーちの物言いも決して七つのそれでは無く、下手をしなくても信三郎兄上よりも大人びた物に聞こえる。
「……なんか麻呂が一番幼い気がするでおじゃ」
兄上本人も自覚していた様でそんな事をぽつりと零す、俺を含め皆その言葉を耳にしたのだが、それに対して誰も何も口にする事は無かった。
「お坊ちゃん方、お待たせしやした。お席に案内させて頂きやす!」
カップル組を案内していった若い衆が戻ってきて、そう言いながら深々と頭を下げたのだ。
案内された席に付き、奇術師らしき男が芸をしているのを眺めている内に、立ち見席を含め全ての席が埋まり、そして舞台の緞帳が上がった。




