二百二 志七郎、恋話を聞き縁談を語る事
桂殿が発した余りにも外聞の悪いその発言を聞きつけて、俺達は纏めて桂様の執務室へと連行された。
うん、いくら何でも幕府転覆なんて事を大声で口にすれば、下手をしなくても桂様の立場にも障りが有る事位は簡単に想像出来る話である。
輝かしい頭に幾つもの瘤を拵え、木の座布団こそ無いものの、正座した膝の上には石の膝掛けが乗せられて、その姿は石抱きの拷問を受ける罪人のソレだった。
「この大馬鹿者が! 今は色々と過敏な時期だと言うのに何を口走っておるか! お前は私にも腹を切らせるつもりか!?」
先程、歌が同僚に不幸が有りその為に家中が自粛モードだと言っていたが、その不幸と言うのはどうやら『切腹』した者が居たと言う事らしい。
武士が切腹するのは余程の失態を演じた者が、家や親類縁者に迷惑を掛けない為にその責任を全て自分の命で精算する……そんな意味合いが有る。
前世の日本ならば死刑はそれ以上無い究極の刑罰だった、だがこの火元国では同じ死刑でも幾つもの段階が有り、切腹が命じられるのは比較的穏当な沙汰と言える。
それ以上の死刑……斬首や磔等が執行される場合には武士としての身分を剥奪された上で連座縁座が確定する事に成るのだ。
もしもその罪を犯したのが家長であれば一族郎党丸々、子で有れば勘当の上その妻子が縁座をと言う事になる。
そんな身内や部下を巻き込まぬ様に、何か大きな失態をやらかせば、上からの命令が下りる前に自ら腹を切る『自裁』が行われる事は、古くからの慣習なのだそうだ。
とは言え、当代上様の治世となってからおおよそ五十年、何か事が有っても穏当な処罰を命じる事が多い為、幕臣が自裁に至ると言う事はここ暫く無かったと言う。
「……と、其方等の様な子供に話す話では無かったな。で、この大虚けが世迷い言を吐いたのは如何なる故だ?」
あからさまな話逸らしでは有るが、俺は兎も角他の三人にはそんな大人の事情に付いての深い話は確かに早いかもしれない。
「猪河家の御二男様に年上の女性と御縁が有った……そんな話を聞いてお兄様は尋常ではない驚きぶりであのような事を口走ったのです」
桂様の思惑に乗っかり俺が口を開くよりも早く、歌が瞳を輝かせながらそう言った。
普段俺達と行動する時には、言葉使いこそ以前の様な無理した男言葉では無くなって居るが装いは男装のままであり、赴く場所が戦場だと言う事も有ってか、彼女が女で有る事を意識させる様な事は無かった。
だが、それでもやはり色恋沙汰が大好きな女性なのだろう、爛々と輝く瞳は父親では無く俺に向けられて居り、詳しい続きを話せと顔に書いて有った。
「なんと、鬼二郎に縁談とな! それは……確かに髭丸が驚くのも無理が無いやも知れぬなぁ……」
歌の言葉を聞き、桂様は御子息程では無いにせよ目を剥いて驚きを顕にし、それから何か懐かしい物を見るかの様に遠くを見やりながらそう口にした。
「と、言いますと?」
兄上の浮いた話など聞いた事の無い俺は、何か知っていそうな彼に問いかける。
「うむ……鬼二郎は幼き頃より『あの一郎』の弟子として、実年齢に全く見合わぬ凄まじい戦果を立て続けておった」
そんな出だしから始まった彼の話に拠ると、武に優れかと言って無骨物と言う訳でも無く、人並み外れた体格を持ちながら、決して醜男の類でも無い、兄上は非常に良くモテた。
縁談の話も決して少なかった訳でも無く、婿入り嫁取りどちらにも不自由しない選択肢は幾らでも有ったのだそうだ。
だがそんな義二郎兄上には想い人が居た、それ故に方々から掛けられる縁談や、友人知人に遊郭遊び等に誘われてもそれらを固辞し続けて居たらしい。
しかし想い人は別に許嫁が居り、その相手は義二郎兄上から見ても良い男だった。
それでも諦め切れなかった義二郎兄上は、桂様に立会人を願いその男に決闘を挑んだのである。
三日三晩飲まず食わずの戦いを繰り広げた二人、体力の限界を迎え双方共に戦う力を残していないと判断した桂様は、引き分けと裁定を下した。
勝ち負けは付かなかった物のその勝負の結果、兄上はその女性を諦め、二人の結婚を祝福したのである。
それが三年程前の話で有り未だその手の噂一つ聞かない事から、兄上の想いは今でもその方に向いているのではないか、と桂様達はずっと心配していたのだと言う。
此処まで話を聞けば立ち会った相手が桂殿で有り、想い人と言うのが桂殿の奥方で有る事は容易に想像できた。
「で、七! お相手はどの様な方なのですか!? 鬼二郎様のお歳で年上の方という事は色々と……アレな人じゃないんですか?」
流石に話の腰を折られたからと言って、父親の言葉を遮る訳にも行かず、かと言って全く興味の無い話では無かった……そんな様子の歌が、桂様の話が一段落した隙を見計らい声を上げる。
歌は言葉を濁しては居る物の『大年増の行き遅れ』と言いたい事は察する必要も無いほどに解りやすかった。
義二郎兄上は十九歳、それより年上となれば必然的にそういう事に成るのだ。
「……色々と訳有りの方でして、別段本人に問題が有ってそれまで縁が無かった……と言う事では無いです。多分桂様なら豹堂の御嬢さんと言えばご理解頂けるのでは?」
瞳嬢を巡る一連の騒動は幕臣の間ではそれなりに有名な話だったらしいので、皆まで言う必要は無いだろう。
俺が彼女達を拾って来て直ぐ、母上は彼女と義二郎兄上を縁付かせる事を思い立ち、国元の父上に相談の手紙を出していたのだそうだ。
その返事を持った御祖父様は、兄上が腕を失った事を幸いとばかりに強引とも言える手法で二人を結び付けた……らしいが流石のその詳細までは聞けて居ない。
ただ、そのやり取りの中で瞳嬢が『漢』を見せ、結果兄上は彼女を伴侶とする事を認めた、と言う事だけは今朝の稽古の時に望奴が嬉しそうに語ってくれた。
「……お父様はそれで解るかもしれませんが、私はその豹堂家とやらの事を知りません。どんな方なのですか!?」
聞いている事を意図的にはぐらかされた、と感じたのだろう、歌は少女らしいふくれっ面を見せ改めてそう問いなおして来る。
「……女性を言葉で語るなんて粋じゃない、とそんな事を誰かが言っていた。百聞は一件に如かずとも言いうし、明日の芝居見物に来れれば会うことも出来るだろうさ」
その疑問に答える言葉を持たなかった俺は、そう話の矛先を変える一手を打った。
「お? 芝居見物だと? まさかとは思うが二人っきりで出掛ける等とは言うまいな!?」
俺の意図を汲んでくれたのか、それとも素なのか桂様がそう乗っかる様な反応をくれる。
「いえ、そうじゃないですよ。猪河の奥方様に野火の奥方様もご一緒だと聞いております。小僧連の皆を戴き物の券が有るからと、七が誘ってくれたのです。ただ家は今自粛状態なのでお父様に相談しないとと、まだ返事が出来ていないのです」
「成る程な……、まぁ自粛云々は置いて置いて。歌江、お前が行きたいと言うならば構わんぞ」
「宜しいのですか?」
「おう、お前だけならば未だ政など解らぬ子供、と幾らでも言い訳が利く」
既に元服し成人として扱われる兄姉と違い、未だ十の歌成らばお忍びで芝居見物に行ったのを同僚等に見られても、不謹慎だ何だと騒ぐ輩は先ず居らず問題に成る事は無いだろうと言う事だった。
「では私も芝居見物、ご一緒させて頂きます。そうと決まれば私は一足先に失礼します、お忍びでの外出となれば母上に相談しないとどの様な装いで行けば良いのかも解りませんから」
喜色満面の笑顔としか言いようの無いその表情に俺は初めて彼女が『女』だと認識した、そんな気がした。




