百九十九 志七郎、土産を差し出し不用意を叱られる事
「おう、お帰り。随分と遅かったじゃねぇか。ん? なんでぇどっかで美味い物でも食ってきたか?」
夕食の刻限前十分な余裕を持って屋敷へと帰り着いた俺が、御祖父様と母上に帰宅を告げに行くと、折り箱に目を止めた御祖父様がそう言った。
「ええまぁ、ちょっと知り合った人に昼を誘われたんですが、その見世で頂いた土産です」
中身が何かは知らないけれども、家族で食べろと受け取った物なのだ、それにあの見世の料理の美味さを考えればこれもきっと美味いものに違いない。
そう思いながら包を解き、蓋を外すと中にはみっしりと先程頂いた物と同じ夜船が詰まっていた。
「あれまぁ、随分と沢山牡丹餅だこと。これだけの物を土産に持たせてくれるなんざぁ、随分と酔狂なお人だねぇ」
「いえ、これは牡丹餅では無く『夜船』だそうですよ。どの辺に違いが有るかは俺には解りませんでしたが」
母上の言葉に俺がそう切り返すと、母上と御祖父様は一瞬顔を見合わせてから破顔した。
「はははっ、牡丹餅、夜船、御萩、北窓、季節に依って呼び方は変わるが全部同じ物だ。お前さん、過去世持ちだけ有って歳に見合わぬ知性は有るが、まだまだ知らぬ事も多い見てぇだな」
春夏秋冬とそれぞれの季節で呼び替えるのが、菓子屋や茶の席では常識なのだそうだ。
流石に普段からわざわざ全てを呼び替える必要がある訳で無く、少なくともこの江戸では年中牡丹餅で通しても問題無いらしい。
とは言え教養の無い無骨者と笑われ恥を掻く可能性は有るので、覚えておいて損は無いそうだが……
「しーちゃんもそろそろお茶やら三味やら適当な習い事をした方が良いのかしらねぇ……」
笑いを抑え母上がそうつぶやいたが、正直な所お茶は普通に飲むだけならば兎も角、茶道と言う所まで踏み込んだ物には興味は無いし、歌舞音曲全般は前世でも殆ど聴くことは無かった。
俺の家ではテレビはニュースや教養番組の類しか見る事が許されず、ラジオも車での移動中に掛けている事は有っても意識して聴いた事は無い。
あの家にはラジカセやCDプレイヤーなんて物は無く、有るのは古いレコードプレイヤーとクラシック系のレコードだけだった。
そんな家庭環境だった事も有って、授業以外でそう言った物に触れる機会が殆ど無かったのだ。
だがこの世界では興味が無いでは済まされない。
武士階級である以上、楽器や舞、そして茶道もまた最低限の教養なのである。
あの無骨一辺倒に思える一郎翁ですら猿楽の師範免状を持ち、龍笛と言う竹の横笛の名手だと言う。
信三郎兄上が偶に笛の練習をしているのを聞いた事は有ったが、それとて公家に婿入りするからこその物だと思っていたのだが、母上に拠れば兄弟皆何らかの楽器を手習い程度には扱えるのだそうだ。
ちなみに仁一郎兄上は土笛と言う焼き物の笛を、義二郎兄上は胡弓とその他に祭太鼓を、礼子姉上はお琴を、智香子姉上はリュート等西洋楽器を、信三郎兄上は太笛と琵琶を、睦姉上も三味線を、それぞれ習っているらしい。
「しーちゃんの手にどんな楽器が合うかは解らないけれども、何もしないという訳にも行かないからねぇ……近いうちに取り敢えず家にある楽器を一通り触って見ましょうか」
一寸考えこむ様な素振りを見せた後で母上がそう言う、俺が楽器を習う事は決定事項の様だ……まぁ最低限の教養と言われては、それを拒否する訳には行かないだろうが。
「儂もしばらく江戸に居るつもりだからな。法螺の吹き方成らば儂が教えてやろうて」
満面の笑みを浮かべ御祖父様もそう言ったが、その笑顔には色々と含む物がありそうに見えた……。
「さて、話は変わるが志七郎よ。お前さん家紋を背負ったままでその小料理屋へと行ったのかい?」
今日は裃や羽織は身につけず長着と袴と言うスタイルだったが、御祖父様に言い付けられたお使いと言う事で、一応襟首には家紋が入っている物を着ていた。
質問の意図が今ひとつ解らなかったが素直にはいと答えると、
「しーちゃんはまぁ、まだ子供だから問題には成らないと思うけれども……屋台なんかなら兎も角、そう言う見世に入る時はお忍びの体を作らなきゃ駄目なのよ」
そう母上の方から苦言が飛んできた。
武士たるもの戦場で己の面倒一つ見る事が出来ぬ様では話に成らない、と言う事で料理もまた武士にとっては必須技能の一つで有る。
と成れば日々の食事はその為の修行で有り、それを怠け外食をすると言う行為は褒められた物では無い。
屋台での買い食い位ならば仕事や用事の合間の小腹抑えと言い訳も立つが、飲食店に上がりこんでしまえば申し開きのしようも無くなる。
とは言っても武士とて人間、偶には仲間や友人と外食の一つもしたい時も有るだろう。
そんな時には『家紋や顔』を隠す『お忍び』スタイルで出かけるものなのだ。
無論それだけで本当に何処の誰かが全く解らなく成るわけでは無い、例えば義二郎兄上辺りの様に並外れた体格の者ならば例えお忍びだとしても誰が見ても彼だと気がつくだろう。
それでもお忍びスタイルの者に対しては『何処のどなたかも解らない』と言う『振り』をするのも世間一般のマナーなのだそうだ。
『私は恥ずかしい事をしているのを理解しているので、そっとしておいて下さい』と主張するのが『お忍び』の意味なのだ、と二人は声を揃えて言った。
「それにね事と次第に依っては、先方の御見世にも迷惑を掛ける事にも成りかねないの」
お忍びをせずに見世を利用すると、その見世を贔屓にしている……と言う主張にも成るのだそうだ。
江戸っ子と言うのは兎角流行り物が大好きで、もしも「〇〇家あの見世を贔屓にしているらしい」なんて噂が立てば、その見世に客が大挙する事に成るだろう。
それを捌ききれる規模の見世ならば良いが、極々小さな見世であれば集まった客に押し潰される事も有るらしい。
その辺は前世でも『グルメ雑誌』なんかに取り上げられた店に、許容量以上の客が押し寄せそれを捌く為に味が落ちた、なんてケースはちょくちょく耳にした話である。
流石に俺のような子供一人が一度行った位でそういう状況には成らないとは思うが、今後俺の名前が今以上に広がって行く様ならば注意しなければ成らないだろう。
「それらを考えれば、こうしてお前さんに折りを持たせたのも別の思惑が有る、とも考えられるだろう? もしもコレを食ろうて美味いと思えば、猪山藩の贔屓に成れるかも知れぬ……そんな下心が有ると邪推も出来よう?」
流石にそれを本気で言っている訳では無いようで、御祖父様は冗談めかして茶化す様な口調でその言葉を口にした。
「……貴方がその見世の料理を石銀さんと並び立てる程だと思った、それが本当なら一度その料理人を招いてみるのも良いかも知れないわね」
例えお忍びだとしても外食は『恥ずかしい事』なのだ、誰かに招かれた成らば『しょうが無いから出かける』事が許されるが、腕の良い料理人の料理を食べたいと言うのは理由には成らないらしい。
ではそんな時、武家の者はどうするのか。
その答えは母上が言った通り『料理人を屋敷へ招く』事で有る。
見世を営業していれば何人もの客を捌いてそれだけの売上を出すことが出来るだろうが、料理人を招くとなれば見世を休ませる事に成るので、見世を貸し切るのとほぼほぼ同義で有る、と成れば相応に銭が掛かる事は想像に難く無い。
「ん、悪く無いわね……裏通りの小料理屋なら、料亭の料理人を招く程には掛からないでしょうし、町人料理も睦の良い勉強に成るでしょ」
いつの間にやら懐紙を皿代わりに黒文字で夜船を一つ口に運んでいた母上は、その味に満足したらしくそう言ってあの見世の大将を招く事を決めた様だった。




