百九十四 志七郎、祖父と会い銃弾を放つ事
老人……と表現したが、それは綺麗に整えられた髷が雪のように白かったのでそう判断しただけで、肌の色艶や着物の上からでも解る筋肉の張り等、よくよく見れば六十を少し回ったかどうか……といった所に見える。
「「お祖父様!? 何時江戸へ!?」」
国元で隠居している様な老臣等、家臣全ての顔を見知っている訳では無いので、ソレが誰なのか俺には判断が付かなかったが、兄上達が揃ってそんな声を上げた事で理解する事が出来た。
猪山藩先代藩主、猪河為五郎様で有る。
父上の四十郎と言う名は、彼が四十の年に生まれた子だと言う事で名付けられた名らしいのだが、父上は既にその歳を周り四捨五入すれば五十に成る。
それを考えればお祖父様は九十近い筈で有る。
けれども上記した通りその容姿は年齢通りには見えず、一郎翁の様に森人の血でも入っているのでは無いかと思える程だ。
「さっきまで馴染みの揚屋で呑んでたんだがよ、外の騒ぎに気付いて出てみりゃ見知った顔が後始末に走り回ってるじゃねぇか。とっ捕まえて話を聞いたら、義二郎が情けねぇ事に成ってるらしいってんで、わざわざ来てやったって訳だ」
何のことは無いと笑いながらそう切り出された言葉に拠れば、お祖父様はなんと吉原の俺達が戦ったのとは別の揚屋を今日の宿にするつもりだったのだそうだ。
広大とはいえないがそれなりの広さは有る吉原、今回の事件で被害を受けた入り口周辺の比較的『安い』見世は兎も角、奥の方の『超』高級店では事件前に入った客達を相手に普段通りの営業をしていたらしい。
お祖父様が言う見知った顔と言うのは、後始末や事件の背景を洗い出す為に部下を率いて奔走していた桂様だと言う。
「儂が御上に話を通してやっから心配は要らねぇ。だがよ国元の馬鹿息子の代わりにちったぁ説教してやらねぇといけねぇやなぁ……」
表情だけ見れば好々爺の笑みと言えるのだが、そう言い放ったお祖父様の目は笑っていなかった。
「今回の一件、これ程被害が大きく成っちまったなぁ、手前ぇら二人の怠惰と慢心が原因だ。仁一郎、昨夜はどんだけ呑んだ?」
お祖父様は静かに言った。
仁一郎兄上が油断しなければ義二郎兄上が庇い怪我を負う事は無かった、そこまでは皆の共通した認識で有る。
だがお祖父様は、更にその『油断』の理由に踏み込んだ。
仁一郎兄上は上戸……蟒蛇と言う表現では足りず、笊を通り越して枠だと言われる程の大酒飲みである。
お祖父様の言に拠れば、旅の最中も津々浦々で数多の銘酒美酒を飲み干しながらの旅程だった事は音に聞こえる程だったらしい。
流石に連日連夜の大宴会という訳では無かったそうだが、それでも昨夜泊まった猪山藩馴染みの温泉宿『猫屋』では相当の量を呑んだことは想像に難く無い。
「……少なく見積もっても一斗……いやもしかしたらそれ以上……」
言葉を濁しながらそう答えを返すが、酒飲みのその手の言葉は信用に足る物では無い。
「そんだけ呑んで、宿酔いの一つもしてねぇ……って事ぁねぇよな? 手前ぇ程度の練気じゃぁな。そして義二郎お前ぇもだ」
笑みを消し眼光鋭く二人を睨め付けて、言いながら諸肌を脱ぐ。
「おう、そこのちっこいの。お前ぇが志七郎だの? その懐の物で儂の此処ぶち抜いてみぃ」
鍛え抜かれ引き締まったその胸板に親指を向けそんな事を宣う。
その言葉が指しているのは間違いなく俺の銃だろうがこれは玩具なんかではない、前世に扱った事の有る幾つかの拳銃に比べても殺傷力の高い部類と言える物だ。
どういう意図で言っているのかは解らないが、普通に考えれば自殺行為以外の何物でも無い。
「志七郎様、ご隠居様の仰るとおりに……。ある意味に於いて一郎よりも強い……半ば以上に化物と分類して差し支え無い御方で御座います故」
躊躇する俺に、そんな言葉を掛けたのは笹葉だった。
お祖父様に気を取られ気づかなかったのだが、笹葉と母上もお祖父様と共にこの部屋へと来ていたらしい。
一郎翁ならば、放たれた銃弾を躱したり掴み取ったりなんて方法で無傷で済む姿は容易に想像出来る、お祖父様が彼以上の強者だと言うので有れば、少なくとも命を落とす様な事は無いだろう。
「……どうなっても知りませんよ?」
敵でも無い相手に銃を向ける事に抵抗が無い訳では無い、だが手元が狂ったりすればその方が危険だろう、そう考え全身に氣を巡らせしっかりと狙いを定め……引き金を引く。
すると信じられない事が起こった……。
氣を巡らせた瞳は飛んで行く銃弾をはっきりと捉えており、お祖父様が何をしようと見落とす事は無かった筈だ。
お祖父様は驚くべき事に、何もせずただ銃弾をその胸で受けたのである。
だがお祖父様は微動だにする事無く、まるで金属に撃ち込んだ様な音を響かせて、弾丸をその胸板で弾いたのだ。
「氣脈奥伝に通ずれば総身之金剛石の如く也。儂程に極めずともこの入口よりもう二、三歩踏み込めて居れば、この例え如何な相手が妖刀で有ろうと技も無くただ振り回すだけの相手では、毛微塵程の傷も付かぬわ」
お祖父様の見立てでは、義二郎兄上の技量は奥伝の入り口に届くか届かないかと言う所で随分と長く足踏みをしている状態らしい。
「……手前ぇ等兄弟は揃いもそろって才に恵まれ過ぎてやがるからな、しゃかりきに成って努力するなんて事ぁしなくても人より先を行く。驕り高ぶってもしょうのねぇ所を、真当に育ってきたんだ……お清ちゃんも馬鹿息子も良い親だったんだろう」
目を閉じ感慨深げに深い溜息を付き、一度言葉を切った。
「だがそんだけじゃぁ足りねぇ事も有る。女親にゃぁ気付けねぇ事を叱り飛ばし殴り飛ばしてでも解らせるのが男親なんだが……、大きな問題無く此処まで来ちまった所為で馬鹿息子はお前ぇ等の足りない所に気付けて無かったんだな」
今度会ったらアイツも説教だ、と呟いてお祖父様は大きく目を見開き、
「仁。義。お前ぇ等が斬られなけりゃ、今日くたばった連中に被害は出なかった筈だ、お前ぇ等の怠惰が原因で何人もくたばった。その事を噛みしめて反省しやがれ」
重々しく、そう言い放った。
「「はい。肝に銘じて……」」
二人がそう素直に返事を返すと、納得した様に一つ頷き再び口を開く。
「んじゃ、お前ぇ等に罰を言い渡す。先ず仁一郎、お前ぇは禁酒……と言いてぇ所だが、酒から氣を得てるお前ぇに禁酒させるわけにゃぁいかねぇか……」
仁一郎兄上は、義二郎兄上や礼子姉上の様に先天的に優れた氣を持ちあわせては居らず、酒を氣に変換する『練火業』と言う技術でカバーしているのだそうだ。
それ故に完全に禁酒してしまうと、仁一郎兄上のパワーダウンは避けられないし、修行と言う意味でも酒を飲まないのは悪手らしい。
「よし、禁美酒だ! 何処ぞの馬鹿の所為で今なら何処の酒屋にも馬のションベン見たいな酒がだぶついてやがる。それならいくら呑んでも構わねぇ、それ以外の酒は一年禁止だ」
不味い酒を飲め、と言うのは罰則としては悪く無い……のだろうか?
「次に義二郎、手前ぇは腕一本駄目にしたって事で罰にゃ十分だろう。だがお前を救う為に尽力した皆に対しての礼をしねぇ訳にゃ行かんだろぅ。義肢を作るために外つ国まで行くんだ、相応の土産をそれぞれに買い求めて来い」
毒に苦しみ、腕を落とした……うん、反省を促す為の罰と言うならば、それ以上に何かを求める必要は無いだろう。
土産を買って来いと言うのも、何も命じなければ義二郎兄上自身が自他に対して引け目を感じるであろう事を慮ってだと思う。
「「はっ!!」」
俺程度でも想像の付くお祖父様の言葉を二人が理解しない訳も無く、素直にそう返事を返しては居るがそれぞれに思う所は有るようだ。
「よし、んじゃ後は儂に任せておけ。悪いようにゃしねぇからよ」
お祖父様も二人の気持ちには気付いて居るだろうが、それを無視するかのように悪そうな笑みを見せそう宣言した。




