百九十二 三家連合、決着を付け遅きに失する事
通った!? 正直目眩まし程度の効果が有れば十分と思い放った魔法だったのだが、どうやら効果は抜群だったらしい。
ぶち当たった水弾はその衝撃に拠るダメージだけで無く、野附子魔の全身を覆う毒粘液に何らかの反応を及ぼした様で、熱した油に水を注いだ様な激しい音を立てていた。
「ま、魔法だと!? この国にゃぁ魔法使いは居ないんじゃなかったのかよ!」
どうやら奴は斬撃や刺突と言った物理攻撃に対して強い耐性を持つ反面、魔法に拠る攻撃には弱いらしい。
流石に水弾一発の水量では倒しきる事は出来ず反応音も直ぐに収まったが、それでも未だに体中から薄っすらと煙が上がっており、心無しか毒粘液の量も少なく成った様に見える。
毒粘液を火に晒した時に上がって居た毒煙とは違い、白い湯気の様な仄かな煙は穢れを感じず、むしろ奴の周りの毒気を浄化している様にすら思えた。
とは言えほんの一瞬踏み込んだだけで桂殿は行動不能に追い込まれたのだ、そんな所へ踏み込むのは悪手としか思えなかった。
だがそれをした者が居た、笹葉である。
気合の声一つ上げること無く、一投足で踏み込んだ笹葉が繰り出したのは両袈裟から横薙ぎの三手、最初からそこで止める事を前提としていたらしく、迷うこと無く後方へと飛び退く。
息を止めて踏み込み、その一呼吸で打ち込めば、毒気を吸うことは無いと言う判断なのだろう。
先程とは違い、自ら身体を引き千切って回避する余裕は無かったらしく、切り裂かれた身体は簡単にくっ付くのではなく、毒粘液を集めて無理矢理埋めた様に見えた。
「……行けますな。志七郎様、先程の術を繰り返して下さいまし。拙者と……仁一郎様で仕留めます!」
既に戦闘不能に陥っている桂殿を放置する訳にも行かず、彼と彼に肩を貸している清一殿を外し三人で攻める。
一瞬のアイコンタクトで全員がそれに同意した。
「……ぐぐぐっ! 舐めるなよ人間共! 魔法使いが居ると言っても、術者も霊獣もガキでは無いか! 纏めて喰い殺してやるわ!」
先程までの余裕綽々とした物言いとは打って変わって、追い詰められた小物の様な言葉を吐き、野附子魔は大きく腕を振りぬいた。
粘液で出来た身体を持つのだ、それが伸縮自在で有る事など容易に想像できる。
奴の腕は当然の様に俺を目掛けて伸びて来るが、氣によって銃弾を見切れる程に動体視力を高めている状態では、そんな攻撃を躱す事など造作も無い事だ。
目端で四煌戌の、特に御鏡が疲れた様な素振りを見せていない事を確認し、気合を込めて口を開き引き金を引く。
「以下同文!」
屍繰りとの戦いの際一郎翁が信三郎兄上に教えた同じ術を繰り返して使う為の言葉。
これは陰陽術だけに適用される物では無かった、口頭で呪を編む必要が有る術ならばそれが如何なる種類の術であろうとも使用可能だったのだ。
お花さんですら授業の中で俺が問いかけるまで知らなかった、一種の裏技とでも言うべき運用術ではあるが、彼女の様に無数の選択肢を持つ魔法使いにとっては使う価値は殆ど無い。
時と場合に合わせて柔軟な術の運用こそが優れた魔法使いの証なのだ。
だが今の俺には他の選択肢が無い以上、四煌戌達に負担をかけ過ぎない程度に連射する事しか出来ない。
銃弾を追いかけ水弾が撃ち込まれ、更に兄上と笹葉が追撃を叩き込む。
それを三度繰り返した時、勝負は付いた。
毒々しい粘液を滴らせていた野附子魔の身体から、それが洗い流され切り飛ばされ、残ったのは額から妖刀を角のように生やしたドス黒い髑髏だった。
眼窩から涙の様に毒粘液が徐々に流れ出しては居る物の、最早雀の涙の方がまだ多いと言わんばかりの量であり、完全に力尽きて居るのが誰の目にも明らかで有った。
「……妖鬼、野附子魔。討ち取ったり」
静かにそう呟いて、仁一郎兄上が振り下ろした槍が妖刀と野附子魔の本体らしき髑髏を叩き割る。
長いようで短かった戦いに決着が付いた瞬間だった。
放っておけば桂殿も危ないと思った所で、伝令を受け後詰にやって来た者達と合流した。
その中には智香子姉上から大量の霊薬を持たされた信三郎兄上も居り、彼が持っていた破毒丹を飲ませると、義二郎兄上とは違い桂殿は見る間に回復の様子を見せ、即座に戦闘行動が取れる程では無いが、それでも自力で立って歩ける程度には成った様だ。
「後の事は拙者らに任せ、其方等は帰って休むが良い。追って上様よりお褒めの言葉の一つもあろうぞ」
そう言って俺達を帰宅の途に付かせたのは、桂殿からの伝令を受けて手勢を率いてやって来た桂様だった。
己の嫡男が命を落としかけたと言うのに顔色一つ変える事無く、後処理に奔走する彼の姿を尻目に俺達は用意された船に乗る。
取り敢えず義二郎兄上の様子が気になると清一殿も桂殿もが口にし別れる事無く我が家を目指すが、誰もが疲れた様子でそれ以上口を開こうとはしなかった。
「仁ちゃん! 志ちゃん! 無事、無事戻りましたか! お前達だけでも無事でよかった!」
最寄りの船着場まで乗せて貰えたので、船を降りてから暫しも歩かず屋敷へと戻ると、どうやら屋敷の中には殆ど家臣達も残って居ない様で、薙刀を手に自ら門番をしていた母上が迎えてくれた。
「母上? 俺達だけでもって……兄上は? 義二郎兄上は無事ですか? 間に合いましたか?」
俺がそう問いかけると、母上は感極まったのか口元を抑え薙刀に縋り付く様にして泣き崩れた。
お花さんに寅殿が保たせると言ったのだ、最悪の事体だけは避けられた、そう思いたいが母上の様子は明らかに尋常では無い。
「皆様方。奥方様とこの場は拙者が預かり申す。直ぐに義二郎様の下へ、如何なる事があろうと心を強くお持ち下さいませ」
流石は年の功というべきか、笹葉にそう促され俺達は義二郎兄上が看病されていた部屋へと走る。
「皆さん方……戻りましたか……、あと一歩、あと一歩及びませんでした……」
俺達の姿を認め、苦虫を噛み潰したそんな表情でお花さんがそう切り出した。
その言葉に拠れば、俺達が出立して暫くはお花さんと虎殿、そして順次帰ってきた者達の尽力で状態が良くなる事こそ無かったが、悪化もせず現状維持は出来ていたのだそうだ。
だが日が落ちきって少しした頃、急に義二郎兄上を冒す毒が暴れだした。
文字通り義二郎兄上の右腕だけが、誰彼構わず殴り殺そうと暴れだしたのだそうだ。
とは言え本人の意識は無く、ただ力任せに暴れるだけそれに打倒される様な者は猪山藩には居らず、力尽くで押し付ける事には成功したが、その頃には既に手遅れとしか言えない程に悪化していたのである。
そこからも皆が皆可能な限りの手を尽くした、火元国では手に入らない世界でも希少な素材を惜しげも無く使い、契約違反ギリギリを掠める様な魔法を使い、兄上を救う為に可能な限りの事をした。
だがそれでもなお毒の侵攻を完全に止める事は出来ず、遂に彼らは最後の手段を選ばざるを得なかった。
「センセー達が悪いんやおまへん。武士の情けとは言えワテが手を下したんや、恨むならワテを恨んだってください」
お花さんの話に割り込む形でそう言った豚面の手には血に塗れた鉞、そしてその背にはドス黒く変色した敷布団が有る。
「義二郎……済まぬ……俺が、俺が油断したばかりに……」
それらを見聞きした仁一郎兄上は大粒の涙を零し、崩れ落ちる様にしてその場へ経たり込み子供の様に嗚咽を漏らし、その直後だった。
「兄者も志七郎も無事でござったか。おお禿丸に清一では無いか、お前らも拙者の為に戦ってくれたとか……感謝致す」
……俺達の背に義二郎兄上の声が掛けられたのだ。




