百九十 三家連合、追い詰め敵破れる事
人には『筋力』『体力』『器用』『敏捷』『知力』『集中力』『魅力』『精神力』『霊力』『魂力』これら十の力が有ると言う。
それら能力と修練や加護によって得られる『技能』を組み合わせる事で、人の行動と言うのは成り立っているのだそうだ。
「あやつの剣腕その物は大した事は御座らん。精々持っていて剣術二段有るか無いかでございます。なれどその速さ……敏捷が異様に高い。どう考えても人の域を超越しております……、恐らくは妖刀で斬った者の魂を喰らったが故」
あの妖刀使いと刃を交えた、笹葉は未だ荒い息を整えるよりも先に、そんな事を言う。
笹葉の代わりに前へと出た桂殿と清一殿の二人も、やはり相手の斬撃を受け流すのが精一杯の様で此方から攻勢に出る余裕は無い。
一撃を防御したと思った瞬間にはもう相手は次の攻撃動作へと入っているのだ。
流石にそれを一人で相手にしていた時よりは余裕が有る様だが、それでも手数を更に増やした相手に主導権は握られたままだ。
数の利すらもその圧倒的な速さの前では十分に機能しているとは言いがたいのが現状である。
桂殿の得手は抜手も見えぬ様な超高速抜刀術で、その技を用いればあの速さに対抗できる様に思えたが、鞘へと刀を収める暇も与えられず守勢に立たされ続ければそれも出来ず。
清一殿も『龍和』と名付けられた、相手の打ち込みをいなし刀を弾く、剣道で言う所の『巻き上げ』や『巻き落し』をカウンターで決めると言う技を得意にしているらしいのだが、仕掛けるよりも早く引かれては出来よう筈も無い。
「……お美月が逃げちゃったじゃないか。お前ら……なんで僕の邪魔をするんだ……。あの女が悪いんじゃないか、僕を騙したりしたんだから……」
そんな高速連撃を繰り出しながらもぶつぶつと呟く男は、目の前で己を相手取る三人に視線を合わせる事も無く、忙しなく動き回る眼球は何処を見ているかもはっきりとしない。
それでもなお前に居る二人へ斬撃放ち、時折二人の間から繰り出される兄上の槍の一撃に対しても見逃す事無く対応していた。
「……あれだけ集中力を欠いた状態でも押されているのでは、時間を掛けただけ此方が不利に成りましょう、誠に厄介な……」
戦闘に限らず集中力はありとあらゆる物事を成功させるのに必要な力である。
高い集中力を維持出来れば、本人の能力を越えた結果が出来る事もあり得る、逆に集中力を欠けば能力も技術も発揮する事は出来ない、そんな事も有る。
三人の集中力は決して低いものでは無いだろうが、それとて長時間維持するのは難しい、疲れて来ればなおさらだ。
『今』が彼らの集中力の最高潮だとすれば、長く続ける事でそれが抜け落ち受けを誤る可能性は低い物では無い。
対して相手は既に集中力が切れた状態であり、他所事に気を取られたままですら優勢を保っているのだ、もしこの先何かの切っ掛けで此方を倒す事に集中し始めれば、手が付けられない状態に成るのは明白である。
どうにか今の内に勝負を付けなければ、笹葉の言う通りジリ貧だろう。
再度俺が介入する隙を探すため、四人から目を離す事無く手早く弾倉から薬莢を落とし、新たな弾薬を込め直す。
いつの間にやら完全に日が落ちてしまったのだろう、先程まで窓から差し込んでいた薄明かりすらもが無くなり、俺達を照らすのは開いた部屋の幾つかに有った行灯のほのかな灯火だけに成っていた。
俺達は氣を目に集める事で、このくらいの闇ならば見通す事が出来るので、然程氣にする必要は無い。
秋元と言う苗字を持つ武士階級であろうあの妖刀使いも当然そうなのだろうと思っていたのだが、徐々にでは有るが繰り出される斬撃の狙いが甘く成っている様に見えた。
「……見えてねぇし」
「その様だな……鬼斬童子殿!」
直接打ち合っている二人は俺よりもその事に早く気が付いたのだろう、二人がそんな声を上げた。
皆まで言わずとも、彼らが言わんとしている事は容易に理解出来た。
俺は息が整ってきた笹葉と頷きあうと、それぞれ手近な行灯へと駆け寄り火を吹き消した。
予想通り相手は闇を見通す手段を何一つ持ち合わせていないらしく、俺達が灯りを消すと今まで一歩も動かず刀を振り回していたのが、遂に動きだした。
無論三人も相手に好きにさせる事を良しとした訳では無く、攻撃の手を止めた妖刀使いに対しそれぞれがそれぞれ、必殺の気合を込めた一撃を繰り出していた。
桂殿の放った一撃が男の胸を逆袈裟に切り裂き、清一殿の刀は左肘を切り落とし、仁一郎兄上の槍が腹を貫いた。
勝負有った。そう思うのは当然だろう、普通ならば致命傷と言うには十分な傷で有る。
だが男はそれで止まる事無く、俺達がまだ消していない行灯へと瞬間移動でもしたのかと、錯覚すら覚える速さで駆け寄り、蹴倒した。
言うまでも無い事かも知れないが、この江戸の街の建物は大半が木と紙でできている。
無論漆喰やその他不燃素材を使用している建物が無い訳ではないが、そういうのは大店の蔵等極々限られた一部に過ぎない。
当然、この揚屋とて火の手が上がれば一気に燃え尽きる事は、文字通り火を見るより明らかで有る。
瞬く間に倒れた行灯が燃え出し、その火は部屋の畳や布団へと燃え広がる。
「な!? 正気か貴様!」
兄上が思わずそう叫びを上げるが、男は血の流れ出る傷口を押さえる事すら無く、焦点の定まらない瞳で炎に照らしだされた俺達を見回し、
「ヒッヒッヒ……何を馬鹿げた事を……正気でこんな事するわきゃねぇでしょう。どうせあの世に行っても地獄へ落ちるだけ……なら一人でも多く道連れにしてや……」
ニヤリと口元を引き攣らせる様に笑いながらそんな事を口にしている最中である。
男の顔がガラスの様に罅割れ、空気を入れ過ぎた風船の様に膨らみ、血飛沫を撒き散らしながら弾け飛た。
飛び散る肉片の中から人ではない何かが、ゆっくりと浮かび上がる。
「……喰った、喰ったぁ。しょぼい宿主だったからなぁ……孵化出来るかも怪しいと思ってたが、思いの外早かったなぁ」
ドロリとしたドス黒い体液を滴らせ、不定形の粘液で出来ているかのような身体を持ち上げる。
人の形……といえるかは微妙な所では有るが、二本の手らしきものを上へと大きく伸ばして伸びをし、人位は丸呑み出来そうな大きな口を開き欠伸をした。
「おめぇ等にゃぁ……恨みも辛みもねぇが……あのお美月って女は喰わねと成らねぇ契約だからなぁ……邪魔立てするなら、おめぇ等も……食うぞゴルァ!」
叫びと共に額に当たるであろう場所から丸で角の様に妖刀が飛び出した。
先程までのあの男の手に有った時でも禍々しい何かが薄っすらと感じられたが、今はそこから溢れ出す毒々しい怨嗟の念が目に見える程に濃密さで噴き出している。
咆哮に含まれる妖気がはっきりと解るほどに空気を震わせ、それだけでも奴が俺が今までに見た事の有る妖怪の中でも最も凶悪で強靭な存在である事が、一瞬で理解出来た。
ただ少し凄まれた程度の事の筈なのに全身から嫌な汗が吹き出すのを感じる。
他の者達も唐突に現れた強敵に多少気圧された感は有ったが、誰一人として恐怖に怯えたり、尻込みして逃げ腰に成るなんて事は無かった。
腐れ街の変事の際にも妖刀使いが大鬼へと変じた事が有ったのは事前に聞いていたのだ、今回もそれが起こった所で別段おかしな話では無い、と皆覚悟は決まって居ただけの事だ。
それぞれが得物を握り直し、一歩も引かない構えを見せると、
「だよなぁ……そうじゃ無けりゃぁ面白くねぇ……。俺ぁ野附子魔。 龍旋処の猛毒より生まれし毒気の妖だぁ……、苦しみ抜いて死ぬのが嫌なら、もう五つ数えるだけ待ってやるから、早々に逝ねや……」
余裕の笑みを浮かべながらそう言った。




