十七 志七郎、三兄信三郎の稼ぎを知る事ー
昨日夕方に1話投稿しております。
平時投稿しておりますこの時間から、
開いてくださった方は、
前話を御確認下さいますようお願いいたします。
「ばっかもーん!!」
屋敷へと帰り着いた俺達を待っていたのは、父上のそんな天地を揺るがす怒声だった。
「自由市までならば兎も角、腐れ町に女子供だけで行く奴があるか! 一山幾らの雑魚ならばまだしも、凄腕の悪党が潜んでいないとも限らんのじゃぞ! 智香子! お主はどうしてそう粗忽なのじゃ!」
もっとも俺達とは言っても叱られているのは姉上だけだが……。
「ののののぉぉぉぉ!? な、なんてバレてるのー!?」
……言われれば確かにそうだ、どうやって俺達があの腐れ町へと行っていた事を知ったのだろう、今日は確か登城していたはずだが?
「なにを馬鹿な事を……、たとえ腐れ町であったとしても、江戸市中で閃光爆裂弾なんぞ使えばその光は城からもよく見えるわ! 軍用術具の様な銭の掛かるものをほいほい使うのはお主しか居らん! お主一人ならばどうなろう知った事で無いが、志七郎まで連れて行くとは……」
「ちょっ! 知った事じゃないって、一寸ひどすぎると思うの―!」
姉上、それは思っても口に出してはいけない言葉です……。
「自業自得じゃこの大馬鹿者!」
あ、痛そう……。
思った通り怒声とともに振り下ろされた拳骨が姉上の頭を音を立てて打ち抜く。
その拳には明らかに氣が篭っており、朝の稽古で見かけるそれよりも一段と強いオーラを放っていた。
「ののののぉぉぉぉ!」
よほど痛かったのだろう、姉上は頭を抑えのたうち回っている。
「志七郎も捕り方をしていたならば、不穏な場所であること位気付いたであろうに……、次からはしっかりと止めるのだ。見たところ怪我一つなく無事に済んだようだが、術具を使うような荒事があったのだろう?」
そんな姉上を心配する素振りも無く、今度は俺に話を振ってきた。
「ええ、姉上の巾着を狙ったゴロツキに絡まれました。まぁ、手練というほどではなかったので、問題は有りませんでしたが……」
「ふむ……お主の剣腕があれば尋常な輩には遅れを取ることは無いとは思うが、先程も言ったようにどこに凄腕が潜んでいるか解らぬのがあそこの恐ろしさじゃ」
言外に姉上が術具とやらを使わずとも何とかなった、そういう意図を込めたつもりの言葉は伝わったようだが、それは更なる説教を引き出しただけの様だ。
「以前にも何度かあそこを潰そうと町奉行が動いた事があるのじゃが、当時あの辺りに潜んでいた石川という狼藉者によって百を超える与力や同心が命を落とした。石川本人は数度目の討伐で討ち果たされたが、その一党は未だ数多く潜伏しておる」
スラムを牛耳るマフィアのボス……、と言った所だろうか? 司法機関の力を持ってしても潰しきれない犯罪組織があるというのは、どこの世界でも一緒なのだろう。
「ろくでなし共が一箇所に集まってあの場所から出てくる様子もないからの。被害を出してまで潰そうという動きは無くなっておる。今しばらくあの場所はあのままであろうから、不用意に立ち入るでない。どうしてもと言うならば、しっかりと護衛を付けろ」
その言葉で父上の話は終わりだったが、その後も智香子姉上は母上や義二郎兄上に同様に叱られ拳骨を落とされていた。
義二郎兄上の一撃に至っては、のた打ち回ることも出来ず痙攣するように床に転がって居たが大丈夫だろうか……。
「昨日は災難でおじゃったなぁ」
夕食後そう話しかけてきたのは三男、信三郎兄上だ。
御年12歳の彼は他の兄弟と違い、歳相応の容貌をしている。
ただ、家に居る時の大半を本を読んで過ごす所謂本の虫でありながら、引き締まった体躯とよく日焼けした健康的な少年に見える。
「いえお陰で智香子姉上の事が良く分かりましたよ。錬玉術というのも非常に興味深かった」
特に含むものがあるわけではない様子の、純粋に心配するような兄上の言葉に、安心させるべくそう軽く答えた。
「ふむ、流石は過去世の記憶があるというのは伊達ではおじゃらんの。受け答えが童子のソレではないわ……。して明日はなにか予定しておじゃるか?」
正直、応対の子供らしくなさでは、信三郎兄上も変わらないと思う。
「いえ、特には予定しておりません」
そんな内心を隠したまま、俺は素直にそう答えた。
「父上様の言ではお主に麻呂達の稼ぎ方を知らせよと言われておる。良ければ明日は麻呂の手伝いに来ぬか」
ちなみに一人称は麻呂だしおじゃる言葉を話すが、彼は別に麻呂眉ではないし、服装も公家を思わせるものではない。
「よろしいのであれば、お願いします」
「うむ、であれば明日は稽古をする時分には出かける用意をしておくのじゃぞ」
ずいぶんと早い時間に出かけるんだなぁ……。
「朝昼の飯も稼ぐのに必要な道具も、麻呂が確りと持っていけるような物を用意させておく、お主はいつも通りに身一つで構わぬ。麻呂の稼ぎ方は中々に体力勝負でおじゃるから、今夜は早めによう寝ておくのでおじゃる」
翌朝、言われた通り早朝稽古に出ること無く玄関へと向かうと、そこには釣り竿を担ぎ大きな魚籠をぶら下げ、何冊もの本を背負った兄上が居た。
「あ、兄上? 釣り竿と魚籠は解ります。魚を釣るのに必要でしょう。ですがその背中の本の山は何ですか?」
兄上の目的が何なのかは想像に難くはない。だが明らかにその本は場違いと思える。
百歩譲って魚信が来るまでの間時間を潰すために本を読む、と言うのは解らない話でもない。
前世でも埠頭や川辺に行けば雑誌片手に釣り糸を垂らす釣り人の姿と言うのはよく見たものだ。
だが、その本の量がおかしい。
一冊や二冊ならば先に思った通り理解が出来る。だがその量が軽く10冊を超えるとなればそれはどうなのだろうと思ってしまう。本だけでもかなりの重さのはずだ。
「麻呂が読む本もあるが、お主が読む本も持ってきたでおじゃる。義二郎兄上が付いて来るとは言え初陣に出るならば、事前に知っておくべき事は色々とあろう。兄上も父上も天然で強者と呼べるお方であるからその辺が抜けておると思ったのでおじゃる」
俺の事を思って持ってきてくれたのか……。
「重くは無いのですか。俺も少し持ちましょうか?」
兄上の気遣いの結果ならば無碍にするのもどうかと思いそう提案する。
「気遣いは感謝しよう、だが問題ないのでおじゃる。この背負子は智香子姉上謹製での、幾ら本を積んでも重さが無くなるのじゃ。姉上の持つ巾着の劣化品というか、効果の一部を再現したものと言っておじゃった」
なるほど、錬玉術の産物か、それならば気にする必要はない……のか?
「何時までもここでこうしておっては折角早く家を出る意味が無い。さっそく行くでおじゃるよ。ほい、お主はこれを持ってくるでおじゃ」
そう言って釣り竿と魚籠を一組渡された。
釣り竿は時代劇などで見かける細い竹製の物で、釣りを趣味にしていた知り合いが大事にしていた物によく似ている、魚籠も同じく細く裂いた竹を編んだもののようでこれらには特に不思議な要素は感じない。
魚籠は付けられた紐を帯に結んで腰に提げ、竿は肩に担ぐ。
昨日の様な事は無いとは思うが木刀もいつでも抜けるようにそれらと反対側に差している。
無論兄上も丸腰という訳ではなく、脇差しのような物を差していた。
たかだか魚釣りに行くというのに物々しいとは思うが、これがこの世界の標準なのだろう。
不思議に思うというほどではないが少々の違和感を感じつつも、俺達は早朝の人通りの殆ど無い道を歩き出していた。




