百八十六 仁一郎、老臣の諫言を聞き、友軍に驚く事
猪山藩江戸屋敷家老、笹葉 武三、我が猪山の先代藩主猪河為五郎の乳兄弟であり、当代藩主四十郎の守役――爺やを務めた人物である。
我が猪山は武勇を誇る家風である、そしてそれは名に因む訳では無いだろうが『猪武者』としか呼べない様な、知恵働きの苦手な家臣を多く生み出す土壌と成っているのだそうだ。
だがそんな中に有って、彼は優れた剣腕と老獪な謀を両立させる事の出来る数少ない人材であった。
とは言えそれも歳を経て老成したが故であり、若い頃には幾つもの手柄と騒動を御祖父様と共に成した、実に猪山の男らしい人物だったそうだ。
「妖刀狩りに置いては拙者は一郎よりもよう知っております。なにせ腐れ街の変事は勿論、それ以前に有った斬髷の乱にも参陣し、その際にはこの手で妖刀『斬髷』を叩き折っておりますからな!」
そう誇らしげに胸を張ると共に、腰に挿した霊刀をポンと一つ叩く。
その話に拠れば、神器や霊刀の材料はこの世界の物では無く天から落ちてきた星の欠片――ようは隕石の事だろう――の様に外の世界由来の材料を神々が加工した物なのだと言う。
そして妖刀は鬼や妖怪が異世界から持ち込んだ品であり、魅入られる事無く入手し神々に奉納すれば、それを材料に作られた神器や霊刀を授かる事が出来るのだそうだ。
笹葉の霊刀はその話の通り、自ら打ち倒し叩き折った斬髷と言う妖刀を天目山に住む鍛冶神が打ち直した物で、彼が生きている間は彼の裁量で振るう事が許されているのである。
「しかし妖刀の危険性は人を斬る度に鋭さを増し、担い手を強化し人外へと導くだけでは有りませぬ」
妖刀の傷が何故神仙の力でも治癒出来ないのか、それは妖刀が異世界の存在であり世界樹の管理下に無いから……と言うだけでは無い、そこまでは多くの鬼や一部の妖怪も同じ事なのだ。
では何故なのか、それは妖刀に斬られた者の魂が妖刀に、担い手に、そして妖刀を生み出した者に喰われるからである。
厄介な事に斬られた者が強ければ強いほどに得る力も強くなる、その結果人が鬼や妖怪を倒し格を上げるのに比べて、数倍どころではない速さで力を付ける事が出来るのだと言う。
笹葉はそれらの事実を霊刀を授かる際に鍛冶神から教えられたのだそうだ。
「義二郎様程格の高い御方が斬られたとなれば、例え相手が不意打ちしか出来ぬ様な腰抜けであろうとも、侮るのは危険でござる。己の失態を己の手で取り返したいと望むのは当然なれど、万一若様が斬られたならばそれ以上に手が付けられぬ事体に成りましょう」
「だが……我が藩総出でと言う訳にも行かぬ……。妖刀使い相手ならば多勢に無勢と謗られる事こそ無かろうが、義二郎が参戦せぬ事の言い訳が立たぬ」
義二郎兄上は鈴木親子が居ない現在、我が猪山藩最大の戦力で有る。
幕府の要請も無いのに藩の全戦力を投入し、しかも彼が参戦しなかったと公に成れば、彼が妖刀の被害に遭った事は容易に想像が付いてしまう。
そうなれば兄上が斬られた経緯など関係無く、面白おかしく改変された噂が飛び交い、兄上のそして猪河家の名誉は地に落ちる事に成るだろう。
自分のミスで家名を落とし、更には弟の名声にまで傷を付けたと苦虫を噛み潰した様な表情で口にする。
が、笹葉は落ち着き払った様子で袂から何やら小さな紙包みを取り出した。
「義二郎様が生きている内に勝負が付いたならば大きな問題には成りませぬ」
包みを開くとそこには白い生地の饅頭が一つ、ほのかに……と言うには少し強すぎる酒の香りが鼻を付いた。
「満月堂の酒饅頭で御座います。義二郎様はその武名と同じ位に下戸で有る事でも有名な御方。誤って酒饅頭を食し宿酔いで倒れ伏したならば家名に傷は付きますまい……」
前世の世界でもそうだが酒に強い事も、強い男の条件の一つである。
下戸だと言う事が解れば『酒も飲めぬ半人前』と侮られる原因にも成るのだが、義二郎兄上は元服の時点で既に鬼切り者として多くの手柄を立てて居た。
むしろ幼くして多くの功績を上げ過ぎた事で『強すぎる化物』と忌避されかねなかったのが、下戸という弱点がある事で親しみ安さを得て万人に受け入れられる名声を得たのだと言う。
義二郎兄上を題材にした講談等では、獅子奮迅の大活躍で荒事を片付けた後に腹が減ったと酒饅頭を食らいひっくり返るのが定番のオチにすら成っているのだそうだ。
「それに我が藩だけで事に当たれば、また猪山が手柄を独り占めにした……と他藩に妬まれる事にも成りましょう。義二郎様が斬られた事は隠しつつ、協力してくれるであろう他家と合同で仕掛けるべきで御座います」
「だが協力者を募っている時間など無い。御二方のお力添えが有らば義二郎は暫く持つだろうが、手掛かりになり得る臭いが散ってしまえば、追う事も出来ぬ様に成る」
余程焦っているのだろう、落ち着き払った笹葉の様子に苛立ちを隠そうともせず、そう言葉を返す。
「失礼ながら仁一郎様は人付き合いが得手では無いとは言え、余りにも交友関係が狭すぎますな。斯様な時に頼れる無二の友と呼べる者が外に居らぬのは、先々を考えれば少々不安に御座います」
こんな時にそんな事を言う必要性が何処に有るのか、兄上の言う通り今は少しでも早く動くべき時では無いか。
そう思い俺が口を開くよりも早く、
「されど弟君等はそれぞれ外にも良い交友関係を作っている様ですな。彼らを通して得た縁もまた我が藩の財産、藩主と成られるからにはその全てを理解し掌握せねば成りませぬぞ……ほれ、耳を済ませなくともやって来ましたな」
更に続いた笹葉の言葉を合図にしたかのように、
「鬼二郎! まだ生きておるか!? 助太刀に来たぞ!」
「俺ぁ別にお前を助けに来た訳じゃねーし。縁談の飾りに手柄を拾いに来ただけだし!」
そんな声を上げながら、桂殿と清一殿が縁側へと姿を表した。
伝令役を買って出てくれた歌やりーち達から話を聞いて、少数ながら手勢を率いて応援に駆け付けてくれたらしい。
なおその手勢達は屋敷の敷地へ入る事無く、門の外に待機しているのだそうだ。
鬼切奉行所へと伝令に行ってくれた歌は桂殿に話を通し、それを聞いた桂殿は詳細を伏せたまま、そこから更に各地の戦場へと『猪山藩士は早急に帰還せよ』と伝令を飛ばしてくれたらしい。
丁度今日の稼ぎを終え精算手続き中だった笹葉は、義二郎兄上の危機に朋友である彼らが駆け付ける事を確信し、その上で仁一郎兄上が独走せぬ様に諌める為他の藩士達より一足早く帰還したのだと言う。
「今暫く待てば家臣達も順次帰還するでしょう。ですが下手人探しからとなれば手勢だけ多くてもむしろ相手に気取られ逃げられるやも知れませぬな。必要ならば再び伝令を立てて援軍を呼んでも良し。取り敢えずは少数精鋭で参るのが宜しいかと……」
笹葉の提案した少数精鋭は仁一郎兄上、桂殿に清一殿、そして俺と笹葉本人の五人だった。
幕臣で有る桂殿に、他藩の跡取りで有る清一殿、彼らが参加する事で我が藩が手柄の独り占めを目論んだと言う線は消える。
現在江戸に居る家臣達は俺と比べても一段劣る腕前で、義二郎兄上の魂を喰らって強化されているであろう妖刀使いにぶつけるには少々不安が残る……と言うのが笹葉の判断だそうだ。
二人が連れてきた手勢も、決して弱卒とは言わぬまでも猪山の若手と較べても手練の強者という訳では無いと言う事で、彼らには伝令をお願いする事になった。
最悪俺達が倒れた場合には、我が藩の者達が捨て駒となって足止めし、その間に桂様を通じて幕府に援軍を願う事になるそうだ。
俺個人としては前世の警察の様に、捜査事体は少数精鋭で行うにしても、犯人が特定出来た後は、恥も外聞も捨てて幕府主導で強者を招集し圧殺する方が良い、そう思う。
だが面子が命よりも重い武家社会では、彼らの判断が妥当なのだろう。




