百八十三 小僧連、役得を得て風雲急を告げる事
「右から三匹、左から五匹、撃ち漏らしは俺とぴんふで抑える!」
あれから俺達は桂様に言われた通り、鬼切りへと出るのを週に2回から、隔週1回へとペースを落とす事にした。
「おいおい、坊主達に本気で殺られちゃ、わしらの仕事までのう成っちまう。ちったぁ自重してくれや」
そんな訳で今日は久しぶりに戦場へと出てきたのだが、出足順調と数匹の獲物を撃ち取った時点で、そんな言葉が投げかけられた。
その言葉の主は兎鬼ヶ原で助太刀してくれたあの槍使いで、その名を陳平と言う。
彼は鬼切り者としては中々の古株で、氣も術も使えない鬼斬り者としてはトップクラスの一人らしく、桂様もその顔と名前を知っている程の男だ。
当然そこまで行けば二つ名の一つも持っている物で『大槍使いの陳平』、略して『槍陳さん』と呼ばれている。
そんな彼が俺達と同じ戦場に居り、諌める様な言葉を口にしたのは、偶然が重なって……と言う事では無い。
今日は鬼切奉行所が大体二週に一度行っている『大魔引』と言う、指定された戦場の討伐報酬が増額されるイベントなのだ。
事前に何時、何処が対象となるか発表される事は無く、当日該当の戦場に遠駆要石で転移した所でその場に居る同心から教えられる、と言うシステムの為全ての鬼切り者が大挙して押し寄せる事は無い。
けれども彼等の様にある程度人数の居る徒党成らば、自分達が十分に戦える範疇の戦場に人を送り場所を特定する事は十分に可能である。
それに対して俺達はと言えば……
「何を言ってるんですか、大魔引は特定の戦場に鬼や妖怪が増えすぎたのを少しでも減らす為に行われているんですよ? 拙者達が少し位暴れた所で獲物が居なくなるなら、行われませんよ」
と、槍陳さんに対して静かに反論している歌が桂様から大魔引の情報を得ているのだ。
歌が鬼切りに出る事に反対していた桂様が何故、そんな情報をわざわざ与えてくれているのか?
それはあの日俺達が帰った後、家族で話し合いの場を持ったらしいのだが、その時に
『お父様が認めてくれなくても、一人でも勝手に行きます! 誰かと組むよりは危ないかもしれませんが、鬼切奉行に睨まれる方を増やす訳には行きませんし……。まぁ、野垂れ死んだらその時はその時だと思って下さいませ』
そんな自分の命を人質にするかの様な脅し文句を口にし、それに屈した桂様が一人で危ない真似をさせるよりは、何時何処で誰と行動しているか把握出来る方がまだマシ、と考えたからだそうだ。
当初その話を歌から聞いた時には『公私混同も甚だしいそれで良いのか高級官僚!』とも思ったのだが、賄賂の授受さえ法的に規制されていないこの火元国では『私益を公益に優先せず』という大原則さえ守っていれば、誰に咎められる事も無いらしい。
ちなみに歌は今でも出陣する際には男装をしている、彼女の持っている装備が男物として仕立ててある事も理由の一つでは有るが、女子供と侮られる事を避ける為だと言う。
同じような理由で男装している女鬼切り者は少なからず居るらしいが、歌の様に普段と戦場で完全に男女の口調を使い分け出来ている者は稀有な例だというのは、女鬼切り者の先輩で有る瞳嬢に聞いた話だ。
では俺達に情報を与える事でどの様な『公益』が有るのか……
「七! 歌! 兄さん! 槍陳さん! 左前方、大きな群れを見つけました……こっちへ釣ります!」
超長距離からの狙撃を得てとするりーち、長距離をフォローできる歌、中近距離まで詰められた時の処理が出来る俺とぴんふ、四煌戌が居る為索敵力にも優れる……と、バランスの取れた戦力を持つ俺達は、多少奉行所の想定を超えた敵が居ても対処出来る。
大魔引で高額報酬に目が眩んだ鬼切り者達の中には、自分の限界を弁えずに命を落とす者も決して少なく無かった。
だが俺達がこうして積極的に大きな群れや危険な鬼や妖怪を引き受けた上で、槍陳さんを含めた者達に共闘を求める事で、死者が減る事が期待されているのだそうだ。
「だぁ! また群れかよ! こっちも仲間呼ぶから少し待て!」
りーちの言葉に槍陳さんは首から下げた小さな笛を吹き鳴らした。
だがそんな安定した鬼切りも一月も保たなかった。
槍陳さんが何者かの手にかかり、変死体で見つかったのだ……。
下位の鬼切り者達にとって彼は手本で有り、良い兄貴分であった。
俺達の様に戦場で彼に助けられた者も決して少なく無い。
桂殿や義二郎兄上も駈け出しの頃には、彼が率いる鬼切り者達と共闘した事も有ったそうだ。
単独の強さと言う点で言えば、彼よりも強いと目される被害者は今までにも居た。
けれどもその存在感と言うか知名度と言うか……そういう物で彼以上の者は江戸中でも数える程だと言う。
下位の鬼切り者としては十分な功績が有ったと死後では有るが認められた彼の葬儀には、町民には異例にも幕府から弔問の使者が送られ、直接深い交友が有った訳ではない俺達は直接葬儀に参加する事こそ叶わなかったが、家を通して供花だけは送らせて貰えた……。
そんな彼が凶刃に倒れた事で江戸市中には暗雲が立ち込めた様な、なんとも言えない雰囲気が広がっていった。
「お父様の話では、日を追う毎に全体の討伐数が目に見えて減っているそうです」
本来であれば俺達も今日は鬼斬に出るつもりだったのだが、流石に皆の家族が揃って出陣に反対した為、今日は猪山屋敷に集まって茶菓子片手に雑談混じりの情報交換する事にした。
「流石に今日明日で江戸の経済が破綻する……なんて事は無いでしょうけれども、じわじわと食材全般の値が上がっている様です。この状況が長く続けば裕福では無い庶民層は辛いでしょうねぇ」
商人志望で子供ながらに経済に明るいりーちがそう言いながら口を着けた『黄金色の菓子』も、以前は一つ四文で買えたのが、今日は一つ五文と少し値上がりしていた。
「我が猪山藩も少しでも多くの食材が出回る様に、手隙の者は普段よりも狩場の難度を下げて数を狩る様にしてるらしいが……やはり焼け石に水と言う感じらしい」
万に届く数居る町人階級の鬼切り者、その一割が出陣を躊躇っているとしても軽く千に近い数になる。
ここ数日は若手連中だけで無く笹葉や母上すら得物を手に戦場へ足を運んで居る。
他藩でも同様に人手をだして居るらしいが、家程に滅私奉公とも言える価格で卸す事は無いらしく、食品価格高騰対策の決め手には全く成っていない。
「あー……我が浅雀藩は、完全にこの状況で儲ける気満々みたいです。元御用商人の福露屋が嬉々として釣り上げ工作をしてるみたいですし……」
苦虫を噛み潰した様な表情で吐き捨てるようにぴんふがそう口にした。
りーちを狙った一件に絡んで露見した脱税の咎で、当主は死罪と成り御用商人からも外されたが、見世その物が取り潰された訳では無く、彼の祖父で有る蓮宝がかなり深く癒着しているらしいし、コレを機に見世を立て直そうと言うのだろう。
それを考えれば、他者の不幸に漬け込んで儲けを得ようとする者の血縁だと言う事に思う所が有るのは想像に難く無い。
とは言え、現状ではこの辻切りの一件に付いて幕府から何ら御触れが出ていない以上、誰が何をしようとそれを咎め立てする事は出来ないのだ。
たかが辻斬りと切り捨てるには少々影響が大きくなり過ぎて居るとは思うが、どう動くにせよ幕府が……武士が不甲斐ないと言う世論が出てくるのは避けられない状況だろう。
「く、暗い話はこの辺にして……、お兄様の話ではそろそろ七の兄様達が江戸へ帰参する頃と聞きましたが、お手紙とか届いてないのですか?」
雰囲気を変えようと歌が話題の転換を図ったその時。
「智香子! 智香子は居らぬか! 義二郎が斬られた! 霊薬だ、有りったけの霊薬を!」
噂をすれば陰……では無いだろうが、血相を変えた仁一郎兄上がぐったりとした義二郎兄上を抱えて飛び込んできたのだった。




