百八十二 小僧連、危機を知り自重を誓う事
「お兄様……『戦場では何が有るか解らぬ、だが男児は女児が危機に陥れば危険を冒してでも庇うのが本能、故に男装して周りに気を使わせぬのが礼儀』などと出立前に仰ったのは嘘だったのですか!?」
父の言葉にへこんだ様子を見せていた歌だったが、流石に『面白い』の一言で男装を強要されていた訳では無かった様で、事前に聞いていた話との落差に驚きとも怒りとも取れる様な声を上げた。
「いや、完全無欠の大法螺と言う訳では無いぞ? 女児の前では見栄を張りたがるのが男児と言う物、ましてや命の危機を救ったとも成ればそれだけで相手の心をがっちり鷲掴み……等と考える輩も決して少なく無いだろう」
そうした歌の反応すらも面白いと思っているのだろう、表面上は取り繕って真面目な表情でそう言ってはいるが、残念ながら目が笑っていては説得力皆無である。
とは言え、彼の言っている事自体は決して間違いとは言い切れない。
事件の被害者で有る女性に対して真剣かつ親身な対応し、危機的状況を救われた事で惚れられて結婚に至った警察官と言うのは、決して珍しい話では無かった。
それは警察官に限らず、ヤクザに絡まれている女性を助ける為に喧嘩の経験も殆ど無いのに体を張った若者や、兄貴分が手籠めにしようとした女を逃がす為に破門覚悟で上に逆らったチンピラ……なんてのも前世に扱った事件の中には居たくらいだ。
残念ながら俺は前世三十五年間、女性と付き合う様な事は無かったので、男女の機微に敏いとは言えないがそれでも、女性という物が男が思っている以上に男の下心に敏い事位は知っているつもりではある
そして下心有りきの行動で結果が伴う事は殆ど無く、大概は誠心誠意、実直な思いで行動しなければ、女性の気持ちを得る事は出来ない(※ただしイケメンを除く)と言うのが俺の意見だ。
とは言ってもそれらの事柄が成り立つには大前提として、男女双方共に色恋沙汰を云々する程度の年齢に達している必要が有る。
三十五年一人の男として生きてきた記憶の有る俺では有るが、未だ六つのこの身体ではそう言う欲求は全くもって湧くことは無く、今の所縁談云々、男女云々と言う事に興味は欠片も湧いていない。
歌と同じく十歳のぴんふも、俺より一つ年上のりーちも、歌が女の子で有る事を知った今でも特に態度を変える様子は無い。
それらを鑑みれば流石に桂殿の主張は杞憂というか、歌を男装させる方便に過ぎない様に思えた。
「別にお前達が歌江に粉を掛けるのを避ける為……という訳ではないぞ。世の中には禿を侍らせて悦に入る様な変態も居ると聞く、戦場で斯様な輩に出くわさぬとも限らんからな」
「……子供相手に何を馬鹿な事を言っとるか馬鹿息子!」
『俺達を信じて居なかった』そんな風に捉えられては困ると更なる言葉を重ねたが、子供の可愛らしい恋愛事情では無く大人の遊び場絡みの言葉が出た事で、呆れ混じりの叱責と共に桂様はその頭に拳を振り下ろした。
ちなみに『禿』というのは水揚げ前の若い遊女見習いで、基本的には十三歳以下の少女の事で有る。
何故そんな事を俺が知っているかって?
それは違法風俗営業は暴力団の収入源としてはよくある物の一つで有り、それらを取り締まる中で潜入捜査をしたりする事は有ったし、そう言う『歴史』とでも言うような物を知る事で、何か捜査の足しに成ると思って勉強した事が有るからだ。
……別に辞書や辞典でエロい言葉を調べて、その結果覚えたという訳では無い。
「済んでしまった事は仕方が無いが、お主等はここ暫くの事で名が知られ過ぎておる。これ以上の手柄話が公の事と成れば、件の辻斬りに狙われる事にも成るやもしれぬ。完全に止めよとは言わぬが少々自重せよ……と、鬼切奉行として友の父として言わせてもらおう」
氣を当たり前に使える武家の子ならば俺達の年齢でも、武芸の修練の為、将来に備えての格上げの為、様々な理由で鬼切りに励むのは決して珍しい話では無く、よくある話と言い切れる範疇の事だ。
だが五歳の子供が初陣で大鬼を一対一で打倒し、上様にお褒めの言葉を貰った上で、その二つ名までもが天下に轟くと成れば稀有な事。
更にはそんな俺を含めた子供達だけで多大な戦果を恒常的に上げ続け、徒党としての二つ名までもが広がりを見せているとも成れば中々にある事では無い。
件の辻斬りが如何なる基準で獲物を選んでいるかは解らないが、次に俺達が狙われても何ら可怪しくは無い、と桂様以下鬼切奉行所の上層部は判断しているのだそうだ。
とは言っても今の所表沙汰になっている被害者がそれなりに名の知れた鬼切り者というだけで、遺体の見つかっていない者や隠された被害が有るだろう事を考えれば、名のある者だけが狙われているとも言い切れ無いのが現状らしい。
「此の度の事が無くとも、一度呼んで話しておこうとは思って居ったのだがな。他の鬼切り者や侍なれば修練足らず死するも自業自得と捨て置けるが、いくら腕が立とうとも其方等の様な童子が斬られたならば流石に寝覚めが悪い」
鬼切奉行と言う立場上人の死に関する報告を受けない日はほぼ無く、個人的な顔見知りで無い限りはそれを数字の上の事と切捨てねば成らない事は想像に難くない。
俺が所属していた捜査四課は直接生死に関わる事件を扱う事は比較的少なかったが、それでも人死にに関わった数は思い出すのも難しい程だ。
常時殺し合う事が仕事の鬼切り者達を取り纏めているのだから、一人一人の死者に一々心を砕いて居ては、彼自身が保たないだろう。
そんな役職を担うとは言え桂様もまた人間である、自らの可愛い末の子よりも幼い者が自ら望んで挑んだ鬼切りで死した成らばまだしも、如何なる因縁も無い辻斬りの凶刃に倒れるのは避けたい事態だそうだ。
その気持は暴力団の抗争でヤクザが何人死のうと何ら痛痒も感じないが、それに巻き込まれた一般人それも女子供が死傷した場合、を考えれば俺自身にとっても馴染み深い物と言えた。
俺にとっては四煌戌達の餌代を稼ぐ以上の動機は今の所無く、ペースを落とすことには何ら問題は無い。
ここ暫くの稼ぎは相応の金額に成っているし、暫くは鬼切りに出ずとも問題が無い程には溜まっている。
「俺は桂様の言う通り、鬼切りに出る回数を減らす事に異論は無いが二人はどうだ?」
大人が親身に成って心配してくれたとしても、子供は何時の時代でも無理無茶無謀を重ね、痛い目を見なければ懲りない物だ。
そんな不安を少しだけ感じながら、二人に問いかけてみる。
「商いの為の元手を稼ぎたいとは思いますが、既に連雀商人を始めるにゃ十分な蓄えは出来ましたし……手前はそれでも良いですよ」
「正直もう少し格を稼ぎたい所ですが……急いて命を落としては元も子も無いですし、件の辻斬りがお縄に成るまでの辛抱と言うならば、仕様の無い事かと」
だが予想に反して二人共否定的な意見を口にする事は無く、暫くは自重する事に同意してくれた。
「では、これ以上大きく名前を売らない程度の頻度と獲物で……と言う事でしたら、私も参加しても大丈夫ですね!」
自重する事に合意した俺達にそう言ったのは、当然ながら歌である。
確かに彼女の言葉通り自重したペースでの鬼切り成らば、桂様が反対した理由はクリアした事に成るが……
「それとコレとは別の話だ! 女の子が危ない鬼切りに出る必要は無い! 初陣も済んだんだし、嫁入り前の顔に傷でも付いたらどうすんの!」
厳格で冷静な御奉行様の顔をかなぐり捨てて、そう叫んだ桂様の顔は何処にでも居る普通の父親の顔だった。




