百八十一 小僧連、事件を聞き事態を把握する事
辻斬り……それは前世で言えば通り魔殺人の事を指す、と思って大きな間違いは無いだろう。
たしか昼に豚面と立ち話をした時にそんな事をちらりと聞いたが、飽く迄も最近それが出没すると言う事だけで、詳細まで詳しく聞いた訳ではない。
俺だけでなくりーちやぴんふ、歌も辻斬りと言う言葉自体は知っているが、桂様の言うのがどんな事件なのかまでは知らないらしい。
「年明けより解っているだけでも同一犯の手による物と思われる被害が七人、お家の恥と被害に遭った事を隠したであろう侍も相当数居ると考えれば、恐らくはその倍以上が殺められておる……」
よく解っていないとはっきり顔に書いてある年少組の様子を見て、桂様は溜息一つ付くと苦虫を噛み潰した様な表情でそう話だした。
この五ヶ月で十四人以上が殺された……単純計算で一ヶ月に約三人、いくら前世の日本に比べて治安が良いとは言いがたいこの江戸でも十分に異常事態と言える数字らしい。
その話に拠れば目撃者は無く被害者も皆死に絶えて居るが故に、犯人の人相風体もはっきりせず捜査は難航していると言う。
俺の経験よりもこの世界の犯罪捜査が優位と言えるのはやはり『手形』の存在で、鬼切り手形に限らず幕府や神社が発行するそれは『魂』と直結し功罪全てが目に見える形で記される。
その為この様な事件が起これば、ありとあらゆる場所で『手形改め』と呼ばれる一種の検問が行われるのだが、今のところその甲斐も無く犯人は野放しのままなのだと言う。
現在は各町奉行所と鬼切奉行所の同心やその下の御用聞き達、更には小普請組と呼ばれる無役の旗本達も動員して、夜回りの人数を増やすと言う対症療法的な事しか出来ていないそうだ。
だがそこまでの話を聞いて一つ腑に落ちない点が有った。
「被害者は名の知られた……要は腕利きばかりだと言う話でしたが、誰一人として逃げ遂せた者は居ないのですか?」
侍ならば逃げは恥と考え死ぬまで応戦するというのも納得は出来ないが理解は出来る、だが町人階級の鬼切り者ならば己の命が何よりも大事と逃げを打つだろうと思ったのだ。
そんな俺の疑問に桂様はただ無言で首を横に振る。
「彼奴はただの辻斬りでは無いようでな、斬られた者の中には致命傷とは言えぬ程の小さな傷しか受けておらぬにも関わらず事切れておった者も居る。御殿医殿の見立てでは刃に毒が仕込まれていたか……若しくは妖刀の類を用いたか……」
妖刀と口にする際、それを言葉にするのも恐ろしいと言わんばかりに一段声を潜めてそう言った。
「妖刀……ですか?」
魔法や神々が実在するこの世界、妖刀と言うのも迷信の類では無く実在する危険物なのだろう、だがそれに付いて見聞きする機会は今まで無く、それは俺以外の子供達も同じだった様で、皆を代表するかの様にりーちがそう疑問の声を上げた。
「……妖刀とは、神器や霊刀と相反する物。神器霊刀が神々より人の手に託される物で有る様に、妖刀は悪鬼大妖に魅入られた者が振るう邪悪なる刀……と言われている」
そんな出だしから妖刀に付いて話してくれたのは桂様では無く、息子の方だった。
桂殿の話しに拠れば、妖刀は人を斬る度に鋭さを増して行き、担い手もまたその度に尋常では無い力を得るのだと言う。
俺がこの世界に生まれる数年前、腐れ街を牛耳る石川三十三右衛門と言う男が妖刀『斬鉄』を手に大暴れした事が有り、その際には百を軽く超える犠牲者が出たのだそうだ。
結果その男は完全に人間を止め人の姿をした鬼に成り下がり、最早誰も手が付けられぬ程に成り果てた。
当時最強は誰かと人々の口に上っていた十余名の鬼切り者や侍――その中には当然一郎翁も含まれていたらしい――が火元国中から招集され事に当たったが、その大半の命を引き換えにしてやっと討伐に至ったのだと言う。
「妖刀の恐ろしさはそれだけでは無い。妖刀によって傷付けられた者は、その妖刀をへし折らぬ限り決して快癒せぬ、如何なる霊薬も聖歌の奇跡も、神仙の御業すらもが妖刀の傷の前には無意味なのだ」
補足する様に話を受け取り、桂様はそんな言葉から更に話を続けた。
石川の――腐れ街の変事と呼ばれるその事件では、担い手自身が凄腕だった事も有り大概の犠牲者は一刀の元に命を散らした。
だが今回の場合傷跡から見て取れる太刀筋からは、妖刀使い本人は然程の使い手という訳では無いと言う事が解っている。
けれどもその事は本人も自覚が有るらしく、増長して手口が雑に成ればまだ解決の糸口も見えてくるという物なのだが、未だ慎重な犯行が繰り返されているので有る。
「それほどの大事件だと言うのに、何故幕府はその事に対する触れを出さないのですか?! 鬼切り者達に死ねと言っている様な物ではないですか!」
子供らしい潔癖さを示し、真っ赤な顔で父親にそう食って掛かった歌である。
だがそれが悪手で有る事は少し考えれば想像に難く無い。
この火元国の経済は鬼切りで得られる様々な素材の取引で成り立っていると言っても過言ではないだろう。
お花さんや虎さんの話では、百万近い人口を誇るこの江戸は世界的にも随一の大都市と言える。
当然それだけの人口を抱えると言う事は、ありとあらゆる物の消費地としても世界最大と言う事で有る。
江戸周辺の農作物だけでそれだけの人口を支える事は出来ず、鬼斬によって得られる数多の食材が有ってこそこの大都市は成り立っているのだ。
もしその辻斬りに付いて大々的なお触れを出せば、鬼切り者達は仕事を自重するか、江戸を出て他の場所へと移るだろう。
それは江戸の経済にとって大打撃で幕府にとっても看過できない事態だ。
そして同時にそれは武勇に拠って立つ武士の権威の否定とも成り兼ねない事でも有る。
前世でも凶悪殺人犯が長期間潜伏したままだ、等と報道されれば『警察は何をやってるんだ、ただの税金泥棒ではないか』と言う世論が噴出した物だ。
「……流石は鬼切小僧連の筆頭格、お前さんの考えは概ね私達幕府上層と一致しておる」
前世の事は兎も角、俺がこの江戸の経済や武士の威信云々の想像を口にすると、桂様は片眉を上げ驚き半分納得半分と言った様子で肯定の言葉を口にした。
「それに大々的な触れ等出せば彼奴にもその事が知られ、その蛮行が更に深く闇に潜まれる事にもなろう。そうなれば打つ手が無い……」
現状では石川の時の様に徒党を組んで大暴れする訳でも無く、数日に一度変死体が出ているだけに留まっている事から、上層部は大々的な対応を打つ事に未だ消極的なのだそうだ。
とは言え現場第一主義の桂様としては、これ以上の被害を出したくは無い、それも我が子とも成れば尚更だ。
直情的で潔癖な尚且つ己の武芸に自信を持ち過ぎている部分の有る末娘が、初陣を済ませ更に驕り高ぶればその手で下手人を討つ等と言い出しかねない……桂様はそう考え、歌の初陣に異を唱えて居たのだそうだ。
「……私は何処まで無鉄砲だと思われていたのでしょう」
父親からのそんな評価を受け少々では無くへこんだ様子を見せるが、まぁ父兄共に彼女の事は武門らしい御転婆娘と見ていたのであろう。
「……鬼切奉行所の同心である桂殿なら、その辻斬りの件はご存知だったのでは? 何故に強行を決断なさったので? それに歌さんが女児で有る事を手前共にも隠し立てしていた事が腑に落ちぬのですが?」
歌の様子をさておいてりーちがそんな問を口した、彼は彼で色々と図太い気がする。
「前者の問は簡単な事だ、一度二度の鬼切りに出た所で標的と成る程に名を上げるとは思えぬし、事が収まるのと歌江が行き遅れるのどちらが早いかと考えた故。後者は……面白いから?」
……うん、色々と台無しである。




