百八十 小僧連、親子の語らいに同席し、老いと若きを見る事
流石に何時までも公衆の面前で恥ずかしいやり取りを続ける訳にも行かないと主張する歌に促され、俺達は桂様の執務室へと移動した。
拐かしと言うのは桂様の勘違いでそれを周りの者達が早合点しての事と、桂殿が宣言し取り敢えず事態を収束させたが、これだけ大きな騒ぎに成ってしまえば幕府上層部からのお叱りは免れないだろうとの事である。
事態が収まった事で助太刀してくれた彼らは即座に開放され、俺やりーち、ぴんふもそれに紛れて逃げだそうとしたのだが、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。
桂様と桂殿に襟首をとっ捕まれ、文字通り引き摺られる様にしてこの場へと運ばれたのだ。
「歌江の初陣は時期尚早、今暫く待つように……と、先日私は確かに申し渡した筈だが? 急いては事を仕損じると言う言葉も有る、焦る必要など何も無かろうに?」
先程までの娘を溺愛する親馬鹿を通り越した馬鹿親、と言った風情は鳴りを潜め、至って厳格な鬼切り奉行としての、家長としての顔で桂様はそう自らの子等に問いかけた。
こうして改まった姿を見ると先程までの態度は、思いの外大きくなりすぎた問題を滑稽噺に敢えて貶める事で、世間に受け入れられるようにする為の擬態だった様に思える。
例え親子の間の揉め事とは言え、桂殿がしたのは『主君の命』に背く行為であり、その事が公になれば桂様は自らの嫡男を処罰せざるを得ない。
まかり間違って今回の一件が原因で桂様が鬼切奉行の任を解かれる様な事が有れば、桂殿を勘当するだけでは済まされず、切腹を命じられてもおかしく無い行為なのだ。
「……歌江ももう十に成りますれば、そろそろ縁談の一つ二つを勧めても良い歳頃。なれども父上が余りにも箱入りに育てた事で、俺には世間知らずの馬鹿娘に成りかけていた様に思えました、そのままでは何処に出しても桂家の恥と……」
そんな父親の気遣いをしっかりと理解して居たのだろう、桂殿もまた先程までの戯けた物とは違う引き締まった表情でそう答えた。
だが、口にしている内容は桂様にとっても歌にとってもかなり辛辣な内容だった。
確かに今日一日行動を共にしただけでも『武士とは鬼切り者とはこう有るべき』と教条主義的と言うか理想主義者と言うか……現実に則さぬ理想論を振りかざす部分が多少なりとも見受けられた。
けれども戦場で実戦を経験し、世の中が綺麗事だけで済むものではなく、鬼切り者の大多数を占める町人階級の者達には武士の理想論が通じない、と言う事もあっさりと受け入れた辺り、ただ経験が足りないだけで決して馬鹿娘などでは無いだろう。
それは子供ならば誰でも有る程度で、むしろしっかりと躾が行き届いている子供だからこその物で、好感を持つべき部分では無いかとも思えた。
しかし前世とは違い十五、六が結婚適齢期とされているこの火元国では、武家の娘が十にもなれば見合い話の一つ二つは出てくるのが普通で有る。
側室、妾に成るならば兎も角、正室ならば夫が留守の間家中を取り仕切る立場となるのだ、現実の見えていない者に舵取りを任せる訳には行かない、と考える者も決して少なくは無いだろう。
「ただでさえ歌江は少女らしい愛らしさとは縁遠い無骨者、顔立ちとて整っては居るものの私と瓜二つの男面……。猪山の睦殿程とは言わぬが、その半分でも可愛らしければ多少箱入りでも嫁の貰い手は有ろうが……」
……あー、うん、言いたい事は解らなくも無い。
実際、完全武装とは言え彼女が女だと言及されるまで、俺達だけで無く助太刀してくれた鬼切り者達も気づかなかった訳だし……。
だが馬鹿娘云々に付いては歌自身自覚が有るらしく異論は無かった様だが、その容姿に関して言及し始めた辺りから彼女の表情が大分険しく成っていった。
「成る程……お兄様は私の事を、斯様な可愛げの無い妹と思っていたのですね……」
少しだけ俯きながら彼女は怒りを押し殺した様な静かな声でそう言った。
「い、いや! べ、別に可愛く無い、とまでは言って居らんぞ! ただ猪山の末姫の様な誰からも愛される様な顔立ちとは違うと言うだけで……」
流石に余計な事まで言い過ぎた、と焦り弁解の言葉を口にするが、それで歌の機嫌が直る筈も無い……。
「……桂殿の言い分は良いとして、歌は何故御父上の言葉に反して初陣を急いだんだい?」
とは言え兄妹喧嘩は俺達が帰ってからやってもらえば良い訳で、さっさと話を進めて貰おうと俺がそう助け舟を出す。
歌と呼び捨てた事に桂様が一瞬片眉を上げて不快感を示すが、取り敢えずスルーしておく……後が怖い気持ちが無いわけでは無いが……。
「……義姉様の子が無事生まれれば、お兄様の次代まで桂家が繋がる事に成ります。なればお兄様の予備で有る私達は早期に家を出て己が行先を定めねば……と、髷兄様やお姉様とも話して居たのです」
髷兄様と言うのは髭丸殿の弟で歌の兄で有る桂家六男髷介殿の事で、髭丸殿を除けば桂家男子唯一の生き残りで、髭丸殿に万が一が有れば桂家を背負って立つ必要の有る、所謂『部屋住みの居候』の立場の方だ。
お姉様と言うのもやはり数少ない生き残りである桂家三女三枝嬢で、彼女は歌程に武勇に傾倒していない分、料理や歌舞音曲と言ったより女性らしいと表現される芸事を得意としており、此方は既に嫁ぎ先が決まっているらしい。
正月に聞いた通り桂殿の奥さんは現在妊娠中で、順当に行けば秋頃には桂家に新たな子供が生まれる事に成る。
そうなったならば、既に元服している髷介殿は何らかの方法で独立して家を出、三枝嬢も先方の都合が付き次第嫁に行く。
先の展望が立っていないと言う意味では髷丸殿も歌も変らないと言えなくも無いが、多少なりとも腕の立つ男児ならば、最悪市井の鬼切り者としてでも生きていく事事態は難しく無い。
対して、手に職も無く初陣も済ませていない女児では、嫁に行く以外の選択肢は無い。
女らしい手習いの一つもする事無く、只管思うがままに武芸に邁進してきた自分が、良き嫁良き妻に成る……と言う姿を想像する事すら出来なかった。
「故に、鬼切り者として身を立てよう。鬼切り者として名を立てた女武芸者の話は幾つも有りますし、彼女たちの逸話と比べても決して劣っているとは思えず、そう考えました」
そう自身の考えを淀むこと無く言い切った彼女は確かに可愛らしい少女と言うよりは、幼いながらに勇気ある決断をした少年にしか見えなかった。
二人共、歌の将来の事を考え初陣に出る事が必要だと判断したが故に、父の言い付けに背き強引に決行したと言う事だ。
彼らの言い分は少なくとも第三者で有る俺には真当な意見で有り、決して大きく間違えた物には聞こえなかった。
野火家の兄弟二人も俺と同じ意見の様で、納得半分疑問半分と言うような表情で桂様の方を静かに見詰めている。
「……まったく、私も老いたと言う事か……それとも眉松達の死に懲りすぎて愚鈍に成り下がって居たか……。子供らの成長に気づいて居らなんだか……」
俺達の無言の催促を受けてという訳では無いだろうが、桂様は溜息を一つ付くと独りぼやく様な口調でそう言葉を発した。
「とは言え、私も何の理由も無く反対していた訳では無いのだ……」
己を省みる苦痛に顔を顰めたのも一瞬の事で、再び厳格な家長の顔を取り戻し改めてそう口を開き直した。
「髭丸もそして他の皆も此処最近巷を騒がせている辻斬りの話は聞いておろう? 彼奴が手に掛けるのは侍か、若しくはそれなりに名の知れた鬼切り者達ばかり……。歌江の初陣は彼奴の件が片付いてから……と考えて居ったのだ」




