百七十八 小僧連、得物を持ち帰り、包囲網を敷かれる事
獲物の処理と平行してぴんふを含めた鍬を得物とする何人かが穴を掘り、そこへ二人の遺体を放り込む。
これだけの人数が居れば遺体をまるまる江戸へと運ぶ事も出来るだろうと思ったのだが、遺体は個人の携帯物の範疇を超える物と扱われるらしく、要石を通る事が出来ないのだそうだ。
兎鬼ヶ原から江戸まで今から歩くとなれば、帰り着くよりも早く日が落ちる事になる。
夜は鬼や妖かしが生きる時であり、より活発で活動的にそして凶暴化する刻限である、そんな中を余計な荷物を抱えて進み、不意を打たれ襲撃されなどすれば、それこそ被害者の数は跳ね上がるだろう。
槍使いの彼にしてみれば、手形と首が持ち帰られたなら後はそのまま野ざらしが普通で有り、こうして埋めて貰えるだけ幸せと言えるらしい。
「野ざらしの死体を見つけたらば、持ち帰る事は出来ずとも首は落とすんだ。何時何時迷ひ死人にならんとも限らんからな」
『迷ひ死人』と言うのは屍繰りに操られた『生き屍』とは違い、放置された死体が自然発生的に妖怪化した物で生前の記憶が残っているのか、自宅へと帰りそして家族や近所の者を襲うらしい。
迷ひ死人は生前と殆ど変わらぬ姿で現れる為、大概の場合家族はそれが化物と化して居る事に気づかず迎え入れる、そして迷ひ死人の手に掛かった者も迷ひ死人に成る。
その結果、たった一体の迷ひ死人が一つの集落をまるまる死滅させ、増殖したそれらが更に近隣の集落を襲うそんな事件が、家安公が幕府を開き現在の様な鬼切りの体制を整えるまで何度も有ったのだそうだ。
迷ひ死人がどの様な条件で生まれるかが完全に解明された訳では無いが、それでも首が繋がって居ない死体が成る事は無い、と言い伝えられて居るのだという。
「知ってた……?」
この一年、多少なりとも鬼切りと言う行為に触れて来た俺だが、この事を知らずに居るのは中々に不味い問題では無いかと思え、端的な疑問の言葉をりーちと歌に向ける。
「……いえ、初耳ですね」
「……聞いた事無い」
だが帰ってきたのは双方共に否定の言葉だった。
「そら御武家様が行く様な戦場じゃぁ、迷ひ死人に成る様な原形を留めた遺体なんざぁ有り得ねぇからなぁ。大概は食い荒らされるか、斬られたり潰されたりするもんだ」
俺達の様子に槍使いは苦笑を浮かべ、そう教えてくれた。
俺達が倒した兎鬼は流石に多過ぎた。
智香子姉上の様に幾らでも持ち帰る事が出来る筈も無く、4人で手分けをしても半分程度しか持ち帰る事は出来そうに無かった。
だからと言って放置して帰るのは勿体無い、かと言って助っ人に対して『ご自由にどうぞ』と差し上げる訳にも行かないのだ。
相手が武家の者成らば御用商人に売り渡す事に成るので、特に問題には成らないのだが、相手が町人階級の鬼切り者の場合、鬼切奉行所で手形と照らし合わせた上で一括買取と成る為、自分が倒した獲物でなければ一律没収されてしまうのである。
この辺の扱いの差は、武士が家名を汚す真似をする筈が無いと『推定無罪』とでも言うべき形が原則なのに対し、相手が町人の場合には己の利益の為にはどの様な非道をするか解った物では無い……と言わば『推定有罪』が基本と成る為だそうだ。
鬼切手形は魂と直接繋がっており、どんな些細な罪であれ手形を詳しく改めれば発覚する事に成るのに、その様な運用がされているのは手形の詳細を閲覧する権限を持つのが一定以上の立場の武士に限定されるからである。
討伐報酬の支払いや獲物の買い取りを担当する者にはその様な権限は与えられて居らず、日常的に行われる手続きを簡便化していった結果なのだそうだ。
「……本当に彼らにこの金額を分配して宜しいので?」
ではどうするのが正解かと言えば、助っ人の皆さんにも素材を持って江戸へと戻ってもらい、俺達が換金したうえで彼らに手間賃を支払うのである。
その手続を奉行所の職員にお願いした所、手間賃と言うには少々大きい額を指定した為か、驚きを隠さぬ表情で問い返した。
「はい。それと戦場で発見した死者の手形と首、装備一式です。拙者達の取り分は要りません。全て遺族に届けて下さい」
通常の討伐報酬の支払いは兎も角、こういった特殊な手続きは俺達も初めてだったのだが、歌は物怖じする事無くてきぱきと手続きを進めそう言った。
「そういう事であれば、……猪河殿、野火家のご兄弟、平和殿に利市殿、桂殿、……討伐数と素材の数に問題無し……」
桂殿が居れば全て丸投げでも良かったのだろうが残念ながら彼は居らず、他の同心が担当してくれたのだが、それでも滞り無く手続きが進んだのは、歌の説明が良かったのかそれとも目の前の彼が有能なのか……。
「……って、かつら……様?!」
だが唐突に更なる驚きの声を上げ対応の手を止め歌の手形を再度まじまじと見つめると、
「緊急! 緊急! 出合え! 出合ええぇぇ!」
絶叫としか言い様の無い声を上げ、笛を吹き鳴らした。
状況を掴めずに居る内に俺達だけで無く助っ人達も含めて、笛と叫びに呼ばれて来た捕り方達に包囲されていた。
まだ日も落ちきらぬ内だと言うのに彼らは皆一様に『御用』と書かれた提灯を持ち、十手や袖搦、刺股、竹梯子といった捕具を持った者達が十重二十重に取り囲んでいる。
「えーと……」
「なにが……」
「どうなっているのやら……」
何がどうなっているのか、俺は勿論ぴんふもりーちも解らない様で、思わずそう声を上げながら顔を見合わせた。
「鬼切奉行、桂様の御令嬢、歌江様を拐かしたのは貴様らだな! 神妙にお縄を頂戴しろぅい!」
先頭に立ち青筋を立ててそう叫ぶのは、先程まで俺達に対応していた同心だ。
彼の言葉に拠れば今朝方桂様の屋敷から歌江と言う少女が何者かによって拐かされ、その捜索の為に鬼切奉行所だけで無く、東西南北の町奉行所からも同心や岡っ引きが動いて居るそうだ。
鬼切奉行と言う重責に有る者故、本来ならば公私混同等許されない。
だが普段から部下思い、鬼切り者思いの仕事ぶりで知られる桂様の事、目に入れても痛くない程に可愛がっている末娘が拐かされた、と冷静沈着な御方らしくない取り乱し様から、多くの者が自主的に捜索に出た。
そんな中職務の為にこの場を動く事の出来なかった彼の目の前に桂歌右衛門――否、桂歌江の手形を持つ者が現れた、と言う状況らしい……。
「……で、そういう事の様ですがどうします歌?」
完全に誤解としか言えない状況では有る、だがそれを俺達が幾ら言っても通じないだろう事は考えるまでも無い事だ。
前世の感覚で考えても、捜索願が出されている子供が不審車両に乗っているのを、職務質問中に発見してしまえば運転手が何を言おうとも『未成年者略取』容疑で逮捕は免れないだろう。
例え子供本人が望んだ上だとしても、保護者の同意が無ければアウトなのだ。
とは言え、今回は本人だけで無く彼……彼女の兄である桂殿からの依頼で動いたのだから、俺達が咎め立てされるのは一寸違うと思う。
……てか中身は兎も角、俺達は同年代の子供だし誘拐はあり得ないだろう。
「……歌だと!? 貴様ぁ! 私の可愛い娘を斯様に呼び捨てるとは! 何者かは知らぬが刀の錆にしてくれるぅぅ!」
「だから落ち着けと言ってるだろう、糞親父!」
包囲網の更に外、空気を揺らす怒声が続け様に二つ上がった、その声の主は確認するまでも無く桂親子の物だろう。




