十六 志七郎、初めての荒事を経験する事
長らく洗ったこともないであろう、髷も結っていないぼさぼさの汚らしい髪、あちらこちら染みだらけの不潔な着物、ニヤニヤと下卑た笑みから垣間見える歯は煙草のヤニか茶色く変色している……そこには絵に描いたようなならず者たちが居た。
「いくらお忍びだからって、仮にも武家の子女に手を出そうだなんていい度胸してるの……」
前に三人後ろに二人、俺達を狙い待ち構えて居たであろうそいつらに、姉上は焦りの色一つ見せずにそう、ため息混じりに呟いた。
「ハン、こんな腐れ町で人死があっても誰も気にしねぇよ。そもそもまっとうなお武家さんが来るような場所じゃねぇ、ガキの一匹や二匹いなくなった所で、俺達の仕業たぁわかりゃしねぇよ」
男たちは刀こそ刺しては居ないものの、それぞれが匕首や鉄鞭といった取り回しの良さそうな物で武装している。
武器の長さではこっちが有利だが体格を加味すれば間合いは同等。
だが、この状況でまだ得物を抜く様子を見せていないし、足運びや体軸の動きを見ても決して強者のそれではない。
「だが俺達も鬼じゃねぇ。そっちのお嬢ちゃんの持ってる巾着を置いていけば、そっちのガキは見逃してやるよ」
油断せず相手の様子を伺う俺に気を払う様子は無く、そう言って大口をあけ馬鹿の様に笑うその姿は、こちらに抵抗する手立ては無いとの侮り故だろう。
先手を取ればなんとかなる、そう判断し大きく踏み込むと同時に、腰に刺した木刀を抜きざまリーダー格と思われる男に振り下ろした。
さすがに頭を打ち抜けばいくら木刀でも死人がでるだろう、あいつらの言い分が本当なら特に問題にはならないかもしれないが、それでも殺意を持って殺すのと意図せず結果的に殺してしまうのでは大きく違う。
そう考えるのは前世における、殺人と過失致死の違いを引きずっているせいだろうか?
もしこの世界にそぐわない考え方だとしても、やはり俺には積極的に人を殺すという判断は出来ない。
故に木刀を袈裟斬りに振り下ろす。
手練とは呼べないにせよ、それなりに喧嘩慣れはしてそうな男たちだったが、所詮はガキと油断していたからだろう、奴らは誰一人として俺の動きに反応すること無くその一撃は男の鎖骨を叩き折っていた。
剣道で一本を取ることの出来る一撃ではないが実戦ではそんな事関係ない、鎖骨は体中の骨の中でも比較的折り易く、怪我をさせても良いから相手を制圧するという状況では狙い目となる部分の一つだ。
「ぁぁああ! 肩がぁ! 肩がぁぁ!」
骨を叩き折る感触が手に残るが残心を忘れず、すぐに身を引き姉上を背に次の獲物を探す。
「兄貴!」
「このガキ只者じゃねぇ」
「舐めたマネし腐りやがって!」
チンピラ風情でも流石は荒事慣れしている連中である、一人潰された位で引く者は居らずそれぞれが帯に刺した武器を抜き、臨戦態勢へとその意識を切り替えていくのが目に見えてわかる。
だが遅い!
それぞれが手にした武器を見定め、匕首を――刃物を手にした男を次のターゲットに選ぶと再び全力で踏み込み、今度はその武器を手にした手首を薙ぎ払った。
そして返す刀でもう一人の脇腹を薙ぐ。
どうやらこいつらは氣功を使いこなせるようなレベルの者ではなく、本当に前世で散々相手にしてきたチンピラと殆ど変わらない程度の実力の様だ。
俺の一撃を食らった3人は皆揃って打撃を受けた場所を抑え呻いている。
「話には聞いていたけど、本当に出来る子なの。でも流石に全部任せちゃうと姉上様の沽券に関わるの」
残りの二人に切っ先を向けた時、背後からそう呑気そうな緊張感の無い声が聞こえてきた。
SPの経験こそ無いが、それでも護衛対象が勝手に動くことの危険性位は理解してるつもりである。
慌てて俺が振り返るより先に、激しい閃光が辺りを包み込んだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁああああ!」
「目が! 目がァァァ!」
「ぅぅぅぅぅぅ……」
幸い光源が背後であったので俺は無事だったが、その光に網膜を焼かれたのは残っていた2名だけではなかった。
ならず者たちの上前をはねる為か、それとも奴らを倒した直後の隙を狙っていたのか、そこかしこに目を押さえ蹲る男たちが居た。
「閃光爆裂弾なの、目が潰れる程じゃないけど暫くは悶絶するしか出来ないの」
その言葉に振り返ると、いつの間にやらサングラスのような物を身につけ、フンスッ! っとふんぞり返る姉上の姿があった。
「姉上、ああ言うものが有るならもっと早く使ってください」
逃げるようにあの場を後にし、人通りの多い道へと抜けた所でそう言った。
どうやら追ってくる様な人の気配もなく、ここまでくれば問題はなさそうだ。
「いやー、色々買い物した後だったから、底のほうに入ってる物は出すのに手間取っちゃったの」
よくあるファンダジー世界の所謂アイテムボックスとは違い、思ったものを簡単に取り出せるわけで無いらしい。
だが、某青色タヌキの様にアレでもないコレでもないと、中身をぶち撒けなければ必要な物が取り出せないと言う事も無いようなので、使い出のあるアイテムなのは間違いないだろう。
「しかし、さっきの連中放っておいて良かったんですか? 俺に打たれたのは、確実に骨折位はしてると思いますが」
こちらが先手を取ったとはいえ、強盗相手それも刃物を持っている相手に情けを掛ける必要は無いとは思いつつも、怪我人を放って置くのはそれはそれで罪悪感が有る。
救急車とは言わないまでも、番所なり何なりに届け出ておく位はしても良い気がする。
「あの連中が言ってた通り、腐れ町じゃ人死だって珍しいことじゃないの。死んでなけりゃ自力で何とかする、あそこはそういう場所なの」
「そんな所にまともな護衛もなく行ったんですか……」
治安が良いと思っていたこの大江戸市中でも、行政機関の目の届かない場所がある、それを理解できたのはある意味で収穫ではあったが、早々踏み込んで良い場所でも無いだろう。
スラムというものが無い前世日本人の感覚の抜けていない俺では、どういう振る舞いでどんな騒ぎを起こす事になるか、どんな被害を受けることになるかも想像すら難しい。
「普通なら私一人でも武家の子女と解る者に手を出したりしないの。下手な家に手を出せばわざわざ犯人特定しなくてもあの辺一帯皆殺しなの」
流石は封建社会『殺られたら殺れ』がまかり通る訳か……。
そんなリスクを冒してまでわざわざ手を出してきたのは、恐らく自由市場での俺達の会話を耳にしての事だろう。
舶来物の高価なアイテムを小娘と小僧が手にしているのだ、上手く行けば纏まった金になる。その金を手に遠くに逃げてしまえば報復が有っても自分たちに被害はない、そう考えてもおかしくはない。
早い話が強盗殺人をブチかまして高飛びを企てるような連中と同じ思考回路なわけだ。
科学的捜査が未だ発達してるとは思えないこの世界ではそれなりに上手く行くことのある手口なのだろう。
もっともそれは綿密に計画された上での話で、行き当たりばったりの犯行が上手く行く筈も無いと思えるのだが……。
「つまりはネギ背負った鴨が自分から縄張りに入ってきたら、罠と思っても手をださざるを得ない。そういうことですね……」
「なの。今日は流石にちょっと不用心過ぎたかもしれないの。次はもっと上手くやるのー」
ため息混じりに零した俺の感想に、姉上はこの上なく朗らかな口振りでそう返した。
この姉上、全然懲りてない……




