百七十四 小僧連、用事を足し、昼食を口にする事
今回は「用便」に対する言及が御座います。
お食事中の方や、そう言った描写に嫌悪感を抱かれる方は半分ほど話を飛ばして読まれる事をお勧めいたします。
そんなに直接的な描写では無いので、大丈夫だとは思いますが念のため……
生い茂る草の上に微かに見える兎鬼の耳を目印に撃ち放たれた矢も流石に百発百中とは行かず、一発で仕留めたのは二匹に留まり後は寄って来た所を、慌てること無く弓を捨て腰の物を抜き放ち一刀のもと切り捨てていた。
昼までの間で七匹の兎鬼を狩ったのだが、はっきり言って危うい所など何一つ無く、その腕前を見れば初陣を先延ばしにしていたのは確かに過保護としか言い様の無い事に思える。
兎鬼から取れる素材は『角』や『毛皮』、『牙』『尾』で肉は食用に適さない。
牙を根本から採ったり、毛皮を綺麗に剥ぐのはかなり手間の掛かる作業になるが、それらを諦めれば大きな稼ぎには成らない為、相応の時間を掛けた故にその数に留まったが、ただひたすら数を倒す事に注力すれば倍は軽く行けただろう。
「さて、そろそろ良い時間だし要石の側まで戻って昼飯にしよう」
日が中天に昇ったのを見上げぴんふが口にした提案に異を唱える者は無く、最低限度の警戒をしながらもと来た道を辿り帰って行く、その道すがらであった。
「あ、あの! ……皆は鬼斬りの際には御不浄はどうしてるの……どうしてるんだ?」
それを口にするのが余程恥ずかしかったのだろう、歌は頬を赤らめながらそう疑問の言葉を上げた。
「ああ、戦場にゃ厠なんぞ有りゃしませんからねぇ。小さい方ならそこら辺で済ませますし、大きい方は流石に危ないですから余程の緊急じゃなけりゃ江戸に飛んでした方が宜しいでしょうね」
サラッとそう答えたのはりーちである。
彼の言葉通り小便であれば然程の時間も掛からないしその辺で適当に済ませる事も出来るが、大便ともなれば気張っている間に鬼や妖怪に襲われかねない。
そうなれば冗談事では済まされない大惨事だ『糞をしていて殺された』など恥以外の何物でも無い。
ちなみに江戸市中であれば、それこそ何処にでもと言ってよいほどに数多くの公衆便所が有る。
汲み取り式のそこに溜められた用便は郊外の処理施設(肥溜めである)に集められて、下肥と呼ばれる一種の肥料が作られているのだ。
江戸城や大々名の屋敷等では、上流階級は食う物が高級なのでそれが出した物は高級肥料の材料に成る……と、わざわざ身分別に使う便所が別けられているらしい。
ともあれこの世界、この火元国に生きる者達にとっては用便と言えども大事な資源、それを野っ原に放置すると言う選択は決して褒められた事では無いのである。
「俺はどちらも可能な限り戻ってする様にしてる、犬猫じゃあるまいしそこらですると言うのはみっとも良い物では無いと思うからな」
俺の場合は前世の遵法感覚が多少なりとも残っているのが大きな理由では有る、いくら軽微罪とは言っても、警察官が立ち小便などした事がバレれば何らかの処分(と言っても厳重注意程度ではあるが……)は免れないのだ。
「まぁ、ちょうど昼飯を食いに要石まで戻るんだし、ついでに戻ってしてくりゃ良でしょう。流石に何時でも何処でも何度でも、って訳には行かないですがね」
俺と同じくという訳では無いけれど、やはり毎回江戸へ戻るぴんふがそう付け加えると、歌はあからさまにほっとした様な様子で足を早めたのだった。
……我慢してたのだろう。
昼飯時の鬼斬奉行所はやたらと混み合う、俺達の様に厠を使う為に戻ってきた者も少なく無いが、それ以上に『宵越しの銭は持たねぇ』主義で弁当すら用意する事が出来ず、午前中の稼ぎで昼食を買い求める者が多いからである。
そういう者達を見込んで、この時間帯は鬼斬奉行所の前庭には弁当売やら担ぎ屋台の蕎麦屋やらが多数乱立していた。
さっさと用を足し終わった俺は、懐に持った握り飯に合わせるおかずを買い足す為に、何か美味そうな物は無いかと物色して回っていると、
「あら、ボンも昼飯でっか? そこの煮売屋のひじき煮えらい美味かったでまんねん」
どうやら彼もおかずを買い足していたらしい豚面に声を掛けられた。
今日は単独で牛鬼と言う八本足の大牛を狩りに行っていたそうで、午前中に既に一匹を仕留めその上がりが思った以上に多かったので、足りない分の飯を追加しに来たのだそうだ。
「あっちの蕎麦屋ははっきり言ってハズレでんな。そっちのカツ丼屋は値段に見合う味でしたわー。あそこの拉麺屋はどえらい美味かったでまんねん……」
と、次々とお勧めの見世を指差して教えてくれるが、此処は常設されている見世では無く、殆ど毎日入れ替わっているのだが……
「もしかして……全部食べた……のか?」
驚愕混じりの俺の言葉に、豚面は満面の笑みを浮かべたままただ無言で頷き肯定の意を示した。
……うん、今聞いた食事量が平常運転なら、そりゃ食費だけでも大出費だろう。
「ああ、せや。ボンは賞金首狩りなんぞせぇへんから知らんかも知れへんけど。ここんところなんや厄介な辻斬りがちょくちょく出てるらしいから、帰りにゃ気ぃ付けなあきまへんでー」
どうやらまだ食べるらしい豚面は、そう物騒な事を言い残すと臭いに誘われる様に「うなぎ」と変体仮名で書かれた屋台へと吸い込まれて行った。
取り敢えずひじき煮は好物の一つだし、豚面に言われた煮売屋へと行こうかな……。
「えらく長い小用でしたね……って買い食いですか」
要石を使い戦場へと戻ると、一人残っていたりーちがそう苦笑を浮かべながらそう言った。
長いと口にしているが、どうやら俺が最初に戻って来た様である。
「りーちも食べるか? ひじき煮、美味いぞ?」
睦姉上が用意してくれた梅のおにぎりだけでも良かったのだが、一人前四文とリーズナブルなお値段だったのでついつい買ってしまったのだ。
「いえ、手前はしっかり弁当を用意してますから」
そう言う彼の手には竹を編んだ弁当箱が有った、中身はエビの尻尾が見えるおにぎり(所謂『天むす』だ)に『ごぼうと豆腐の味噌漬け』だそうだ。
同じ弁当をぴんふも持ってきているらしいが、量も同じならば俺達よりも年上な分身体の大きなぴんふには少々足りないかも知れない。
「お、七も何か買ってきたんだね。見てよこの大根の漬物、綺麗な飴色で美味しそうだよ」
噂をすれば陰では無いが、要石が光ると共にまるまる一本まんまの沢庵を魅せつけるように持ったぴんふが姿を表わす。
「……そんな大きな漬物買ってきて、全部食べきれるんですか? 兄者は本当に衝動買いばかりで……」
その姿に溜息を付きながらりーちがそう言う。
「私一人で食べきれなくても、りーちだって七だって歌だって居るじゃないか。皆で食べればそんな量じゃないでしょう」
そんな話をしながらぴんふが取り出した竹細工の弁当箱はりーちよりも一回り大きいが、中身の量が多いだけで献立に差は無いようだ。
「あ、沢庵じゃない……これ、江戸の味じゃなさそうだわ」
件の沢庵はぴんふの弁当箱の蓋をまな板代わりに彼の小柄で輪切りにして三人で摘んでいるが、口の中に広がるほのかな燻製の風味がする事から、それが沢庵では無くいぶり漬けでは無いかと推測できた。
前世の世界と違い、流通関係の発達して居ないこの世界ではあるが、江戸以外の土地で発達した料理も各地の藩主達が参勤の際に持ち込んだり、作らせたりするので決して口にする事が無い訳では無い。
「以前にも食べた事有るけれど、たしかこれは北の方……雄鹿藩か雪田藩辺りの品だったかと……」
「ああ、確かに雪田名物とか書いてたなー」
そんな取り留めの無い会話をしながら、三人共食事を取り終えた頃、
「歌さん、随分と長い厠でしたねー」
「大っきい方だったんじゃない?」
やっと戻ってきた歌に、ぴんふとりーちがそう声を掛けた。




