百七十二 小僧連、承諾し後悔する事
「まぁ父上がアレに過保護に成るのは、解らぬ話でも無いのだがな……」
そう前置きをして桂殿が語る話に拠ると、譜代桂家は彼髭丸を筆頭に七男三女と子宝に恵まれたのだが、長男で有る彼が余りにも出来過ぎた存在だったのが悪かった。
幼い頃から父に手ずから武芸を仕込まれ、七つの頃にはそこらの腕自慢程度ならば刀対無手でも圧倒する事が出来る、それほどの腕前に育つ。
そして練武館に通う様に成れば、義二郎兄上にあっさりと打倒されても腐ること無く、むしろそれをバネにして一念発起、猛稽古に継ぐ猛稽古、苛烈なまでの鬼斬りの毎日で、みるみる内に差を詰め、遂には義二郎兄上と並んで同期の双璧と呼ばれる程になったのだ。
だが桂家当主はそれを当たり前の事と捉え、彼だけで無く彼の弟妹にも同様の修練を課した、結果次男は稽古中に父の木刀を受け損ね額を割られ、三男は無理な大鬼討伐で返り討ちとなり、他の弟達も次々と若い命を散らしていった。
結果、今生きているのは嫡男の桂殿と弟一人に妹二人の計四人、流石に多数の犠牲を出し過ぎた事を理解した当主は、一転して幼い兄弟達に対して過保護な親になったのだそうだ。
そして俺達に初陣の付きそいを依頼したいと言うのは末の子で、目に入れても痛くない程の猫可愛がりをしているらしい。
奉行職が必ずしも子に相続される物では無いとは言え、桂家は鬼斬奉行と言う重職を担う家であり(役職は個人では無く家に付くのが火元国流らしい)、時と場合によっては他家他藩の鬼斬り者達に『戦って死ね』と命ずるのが仕事と言える役職なのだ。
その子弟が理由も無く初陣を先延ばしに続ければ、桂家だけでは無く鬼斬奉行所の延いては幕府の威信にすら傷が付きかねない話だと言う。
「その辺の機微の解らぬ父上では無いのだが、事アレが絡むと我が父とは思えぬ程に駄々甘の親馬鹿に成り下がるのだ……」
そう苦々しさを隠さぬ表情で吐き捨てる桂殿の姿は、義二郎兄上と同い年の前世ならば高校を卒業したての若造のそれでは無く、むしろ若くして出世し過ぎた中間管理職と言った風情を感じさせる物だった。
「まぁ、引き受ける事に付いては吝かでは有りませんが、本人に初陣の気構えが無いならば、流石に受け入れられませんよ? 俺達も足手纏を連れて行けるほどの強者と言うわけでも無いですし」
実際りーちの初陣の時には、智香子姉上の用意した術具が無ければ俺自身命を落としていた。
あの空蝉地蔵と言う術具を改めて作るとなれば、極めて希少な素材が必要だそうで、それを銭で買おうと思えば猪山藩の税収を丸々一年分投入しても怪しい所らしい。
それを聞いてその素材を手に入れ一攫千金をと目論んだ豹堂家の面々も居たが、その高額素材が江戸より遥か遠くに有る、地獄へと繋がると言われる大穴周辺に住む『悪邪猩』と言う猩々《しょうじょう》の中でも最強最悪と言われる妖怪の骨の一部だと知り、涙ながらに諦めていた。
なお虎さんの話では西大陸では同系統の素材が希少ながらも鉱山から普通に採掘されるので、空蝉地蔵はこの国程高価な物では無く比較的高位の冒険者ならば一つ二つは常備する程度のアイテムなのだそうだ。
「本人のやる気も腕前も十分だと判断しておるからこそ、父上の態度が問題だと思うのだがな……。まぁ今日言われて直ちにと言う話では無い、其方らの予定も有るであろう……四日後ではどうだろうか?」
桂殿のその答えは完全に此方が引き受けると踏んでの物では有ったが、それに否を唱える者は誰も居なかった。
「私達と同年代と言う話でしたけれども、練武館でも修学館でも同期以下に桂家の者を見た覚えが無いんですよねぇ……」
取り敢えず予定通りの狩りを終え、再度江戸へと戻って来た所でぴんふがそう口にした。
練武館、修学館と言うのは江戸城曲輪内に設けられた武芸や学問を学び交流を行う場で、直臣の子弟で七つ以上の男子ならば誰でも無料で利用できる施設で有る。
利用者は卯月の初旬に行われる入門式に参加する事が義務付けられているので、同期の者達は多少身分の差が有っても顔見知りになり、またある程度の交友関係も構築されるのだ。
もっとも練武館や修学館は流派流儀に染まらぬ交流戦の場と言う意味合いが強いらしく、より深い技術を学びたい者は市中の町道場や学問所にも通うのが普通らしい。
「何処かの流派に傾倒して、町道場にばかり通っていると言う事じゃないでしょうかね?」
りーちの言う通り、中には練武館に行くこと無く自分が深く修めたいと考える流派の道場にだけ通う者も居るそうだがそう言うのは極めて稀なケースで有る。
ちなみに、義二郎兄上、桂殿、清一殿達三人は、練武館の同期と言うだけで無く、剣術流派『吉備津流』の道場でも同期なのだそうだ。
一郎翁も『鳴砂流兵法』と言う総合戦闘流派を興す前、若い頃にはその吉備津流を学んで居たらしいので、その強さの程は窺い知れると言う物である。
とは言え、その道場が江戸でも一二を争う大道場かと言えばそう言う訳でも無く、むしろ門下生の数はかなり少ない零細道場の部類らしい。
人気が無いわけでは無く、余りにも凶悪な猛稽古に着いて行けず、門下生が居着かないのが原因だそうなので、簡単に強くなれる流派は無いと言う事がよく解る話である。
「もしくは、俺の様に練武館に通うのは早過ぎる歳と言う事も考えられますよ?」
義二郎兄上や俺の様に武芸に関する加護持ちで無くても、家中の指南役の指導で幼くして強く成る者も決して居ない訳ではなく、五つは流石に早すぎるにしても遅生まれの子の六つの初陣と言うのは無い話では無い。
「いや、その歳頃で初陣が遅すぎるって事には成らんでしょう。町人や小普請組、御家人の子弟なら十で初陣が普通、大名や大身旗本でも七つで初陣ならば早い方です。私だって初陣はつい先日ですしね」
そう俺の言葉を否定したのはぴんふである。
彼に拠れば加護持ちでは無い子供の初陣は余程良い師匠が付かなければ、早期の初陣と言うのは中々に難しい話らしい。
無論、浅雀藩の指南役がそれに当てはまらないかと言えばそういう訳でも無く、むしろ武士が手にする殆どの武具を過不足無く使いこなし、それを教授する腕前も決して劣る物ではない。
単純にぴんふの手に合う武器が中々見つからず、刀、槍、小刀、薙刀、等など……考えられる限りあらゆる武器を試しに試し、最後の最後に辿り着いたのが鍬だったのだそうだ。
どうもぴんふは不器用な質らしく、得手と成った鍬以外の武器もそれなりに訓練したのだが、ものにはならなかったらしい……。
「あ、そういえば得物が何かとか聞いて置くの忘れてたね……。まぁ、危険度の低い戦場で小鬼なり犬鬼なりを相手にすれば問題にゃ成らないでしょうが……」
更に依頼を受ける際の不備を指摘したのはりーちだ、彼は彼で『借り』と言う言葉で思考停止に陥ってしまった事を今更ながらに後悔している様だ。
商人を目指しているだけ有って損得勘定にドライな部分の有る彼だが、自他共栄自他利益を旨とする門前屋の薫陶に拠るものなのか、『貸し』や『借り』と言う言葉に弱い面が有るらしい。
「んー、数日有るとはいえ、俺達もそれぞれやる事有りますしねぇ……情報収集に割く時間は余り取れないなぁ……」
明日は朝からお花さんの授業、明後日は書道の稽古、その次はたしかまた新しい習い事を増やすとか母上が言っていた気がする……。
「「まぁ、家の時見たいに余計な横槍が入るなんて事は無いでしょう……たぶん」」
綺麗にハモった二人の言葉に、俺は何処かで旗が立つ音が聞こえた気がした。




